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2019年1月15日火曜日

もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。すっとこう感じているなら、逃げるが勝ちという言葉について少し考えてみてはどうでしょうか。



うつ病で逃げクセの付いている自分には座右の銘的な言葉です。凄く勇気付けられます。だって逃げても良いといっているのですから。



「もう嫌だ。疲れた。そんなに辛かったら、人生、逃げちゃっても良いのですよ



こんなことは学校でも家庭でも会社でも、どこでも教えてくれません。メンタルが壊れて、うつ病で通院し始めて初めて聞かされる言葉のように思います。


もう嫌だ。疲れた。


競争という人生のあり方


この世界は競争で成り立っていると言っても過言ではないですよね。技術も医療も、そして福祉でさえも競争のたまもののような気がします。一般企業だけが競争社会ではないですから。公務員でも同じことです。




競争、そしてその競争に勝ちたいという人の根源的な欲求が人の住む世界をより良いものにしてきている。これは疑いようのない事実のようです。



でもこれは人類とか地球とか、かなり大きな枠組みとしての機能です。その競争に参加するかどうかは実は自由なのです。誰かが参加しなければ成り立たないというものでもないのですから。



本当のところ、テキトウにやっても良いのですよ。



しかしながら、そんなことは分かっていても、テキトウにはできない。あたりまえのように植えつけられてしまった競争、そんな人生のあり方。



そんなものが僕らの潜在意識の中には強固に存在していて、少々の疑問を感じつつも、自らはそのレールからは降りられないように出来ている。



レールから落ちそうになれば、歯を食いしばって落ちないように努力し続けたりもする。



そしてその競争を富や名誉、お金、幸せ...いろいろな形で正当化する理由もきちんと持ち合わせています。だから、頑張る。





当たり前のことですが、頑張るのが良いか悪いかと問われれば、良いことなのでしょう。僕もそう思います。ですので是非、頑張りましょう、とも言ってはおきます。



もう嫌だ人生に疲れたと思ったら逃げても良い


頑張っている人の足を引っ張るようなことを言うつもりはありません。ただ、辛かったら頑張らなくても良いのではないでしょうか。そうとだけは付け加えておきたいと思います。



文字にするとたったの三文字。「疲れた」。しかし思いは大小様々です。



そしてこの「疲れた」という思いの延長線上で、究極の選択をしてしまう人も存在します。これは実に悲しいことだと感じます。



その選択が間違っているのかどうかは、僕が言い切ることは出来ないのかもしれませんが、生きていることが良いことだと捉えられる正常の意識からすれば間違いのように思います。



どうせ人は死ぬのですから
まずは今を生きましょう。



そしてその為に必要があれば
さっさと逃げましょう。貧乏なBライフでもいいじゃないですか。



逃げるが勝ち


「勝ち」という言葉がついているので、「一旦逃げて後で勝ちにいきましょう」的な意味に捉える人が多いかと思います。でも、そんな場面での勝ちなんて実はどうでも良いのです。



あえて意識するならばもっと大きいもの。そういうものに勝つという意味に僕は捉えています。





しょせん全てはちいさなことです。長い人生でちょっとやそっと逃げたって大したことはない。働かない生き方もありだと思うのです。



逃げまくり。いいじゃないですか。田舎でもどこでも逃げた先で時間を掛けて考えてみればいい。考えなくても、もちろんいいですけど。



もしかすると今まで信じてきた自分の価値観が何の根拠もないことだったのだと思い始めるかもしれません。



歯を食いしばって頑張ることが自分の中の正義だと思っていたかもしれません。しかし、もしかしたら違うかも、と感じ始めるかもしれません。



万人に共通する正しい道などひとつもないのです。誰かに、何かに無理やり合わせてきただけのことかもしれません。



そんなことを自分の中の、う~んと深い領域で考えてみる時間も、ちょっとだけ逃げてみると手にすることも出来ます。



逃げたから敗北。こういう考えを辞めてみるだけでも何かが変わるような気がします。



だから、もう嫌だ、人生に疲れたと感じているならば、逃げるが勝ちの意味を
今一度、少しだけ考えてみても良いのではないでしょうか。



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4 件のコメント:

  1. こんばんは。はるまきです。こちらの記事はとても印象に残っていて、何度も読み返している記事です。
    負けず嫌いで、逃げるか勝ち、て言葉に拒否反応すらあった過去の自分ですが、色々経験するうちに、人生に勝ちも負けもないなと思うようになりました。
    真面目な性質の人ほど、辛い状況でも我慢して努力して、なんとか乗り越えようとしますが、そうやって我慢し続けた先に光があるのかどうかなんて分からないし、努力とか関係なかったりしますよね。
    自分の人生で散々学んで来たはずが、自分の子供にはまた同じ努力を押し付けてしまいました。「辛くても、石の上に三年!頑張ったら、得るものがあるから!」なんて。
    押し付けていましたね。
    子供が自殺を図り、連絡が来た時の絶望感。
    忘れられません。
    一命をとりとめ、回復して、今はゆるーい職場でゆるーく働いて、毎日笑顔でいます。
    生きてるだけで良かったのに、自分にも子供にもたくさん負荷をかけてきました。
    忘れっぽいため、同じ過ちを繰り返しそうな自分にとって、こうやってブログという形ですが、気づきを与えて下さる方には感謝の思いでいっぱいです。
    ツイッターでコメントしようかと思いましたが、文字数制限あるためブログにコメントさせて頂きました。
    ちょっと重たい内容でごめんなさい。
    でも、今は母も子供も元気です☺️
    逃げるが勝ち、その通りです☺️

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    1. はるまきさん、こんばんは。ツイッターを見ていたら、今更ですがこの記事が気になってリツイートしてしまいました。こちらへのコメント、ありがとうございます。はるまきさんのコメント、途中まで読んで凍りつきました...。でも少し先へ読み進めたらご無事とのこと、安堵いたしました。

      この記事に書いている内容はしばし誤解を招くこともあるかとも思います。嫌だからといって放り投げていたら人生は前に進まないじゃないかという意見ももちろんだと。

      人は逆境の中にあってもがき苦しんで次の一歩を見つけるもの。確かにそういうことが出来る人達が大勢いることも承知しています。でも極少数かもしれませんが、そこで地獄の苦しみを味わい、他に解を見出せなくなってしまう人がいることも事実だと思うのです。

      ですので、そういう苦しみの渦中にある人には是非こんな人間のメッセージも届いて欲しいなと、今日、ふと思いました。

      人にはいくらでも再起のチャンスがあります。
      一時休息という逃げ方が容認される世になって欲しいと思っています。


      いつもコメントありがとうございます。

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  2. 人にはいくらでも再起のチャンスかある。
    一時休息という逃げ方が容認される世を。
    ほんとにその通りと思います。
    一時休息したあと、前よりもっと頑張らないと!なんて思わずにいられる環境があるといいですよね。
    何べん失敗したってよし、ですよ。
    人生には色んな選択肢があっていいのだ、と教えてあげられる大人でいたいなあと思います。

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    1. こんばんは。暖かいコメントありがとうございます。「何べん失敗したってよし」すばらしいメッセージ性を秘めた言葉だと感じました。こういうもの事の捉え方が社会に浸透していくことを真に願っています。

      辛い状況にあると、そこにある選択肢も見えなくなってしまうこともあるかと思います。だから、そんなアドバイスをしてあげられる大人の存在もとても大切だと思います。

      ありがとうございます。僕も勇気付けられました。

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