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2019年1月28日月曜日

暇を苦痛に感じる理由と対処法

Bライフ田舎別荘暮らしブログ

暇を苦痛に感じる理由と対処法

今、僕の24時間365日は全て自分の自由時間です。働かない生活を選んだわけなので当たり前のことなのですが、暇をこよなく愛している自分でさえ、本当に暇で暇でしょうがないと感じることも実はあります。




時には、その暇な状態を苦痛に感じてしまったりもします。でも実際にはやることは沢山あったりするわけなのです。


やることが沢山あるのに暇だと感じてしまう、この摩訶不思議な現象。最近になって、なんとなくこの理由が分かってきたような気がするのです。この現象はこんなことを考えている時に生じることが多いようだと。



「人生とは何か特別なことを成し遂げるべきものなのだ」



人生の使命感


実際の暇な状態と、それを暇と感じることの間には、いささかギャップがあるようなのです。


落ち着いていて、ゆったりと、のんびりと、特に何をしていなくても幸せな気分を満喫できることもあります。今はむしろこの状態の方が多いくらいです。





でも一度この「人生の使命感」のような概念が迷い込んで来ると自体は一変します。暇は恥ずかしいことだ、暇であることを許さん暇は悪なのだ....。



非常に興味深い現象です。



やるべきことは沢山あっても、それらは使命感を満たすようなものではないので暇の穴埋めにはならないという感覚。だからやるべきこともやらない。どうせなら全部終わってから、暇だぁ~っという感覚になってもらいたいものですが。



でも僕はこの感覚を少し客観視できるようにもなってきました。東京のアパートに住んでいたころは、ずっぽりとこの感覚にはまっていて、強い焦燥感、そして恐怖にすら感じていたように思います。



そこに落ちるか否かは紙一重なのかもしれません。人生の使命感というものを重視するか否か。



この使命感という感覚をぬぐってあげれば、すごくラクになります。そして今を今として満喫できるようにもなってくるようなのです。


暇を暇として楽しめる力。現代人に欠損している力ではないかと思われます。



定年退職をしたら


60歳、または65歳になれば多くの人はリタイアとなります。「人生が暇になるその時までに多くの趣味を持っておきましょう!」なんてことがしばしば推奨されますが、僕はちょっと違うなぁという感じがしているのです。



前述したように、「暇である状態」と「暇だと感じる状態」とは別ものだからです。



趣味をいくつか持っていても、暇だと感じてしまい焦燥感をぬぐえないこともあります。多くの人が定年後にこのことと対峙することになるはずなのです。


ですので、この記事のタイトルにした「暇を苦痛に感じる理由と対処法」ですが、それは決して趣味を見つけるなどというものではないのです。



人生の使命感のような得体の知れない概念とおさらばしてしまいましょう、ということです。



ここに引っ掛かっていると何年も何十年も自分の時間、自分の人生を楽しめなくなるかもしれません。非常にもったいないことです。


同じ一杯のコーヒーの味も全く別なものになるような気がします。




暇であることに苦痛や焦りを感じたら、何か目新しいこと、刺激のあること、そういう方向に目を向けるのではなくて


人生の使命感のような概念と決別してしまう方向へ向かう努力をすること。何か特別なことを成し遂げなくても良いのだということを真に理解すること。僕はそんな風に思っています。



仏教用語に「諦観」というものがあります。


諦(あきら)めて観るという文字の成り立ちですが、諦めるは「あからしめる」という意味で使われます。物事をあきらかにして観てみる。人生とはこうあるべきだという固定観念から一歩離れて観てみるということのようです。



ですので僕はこの諦観という言葉がとても好きです。




暇を苦痛に感じることがあれば、是非一度、こんなアプローチもしてみてください。きっと何かが変わると思います。


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6 件のコメント:

  1. こんにちは。はるまきです。とても分かりやすい記事をありがとうございました。最近自分が感じていたもやもやの原因はこれだったんだな、と、答え?ヒント?を教えて頂いた気分です。何か特別な事を成し遂げるべき、そうでないと認めてもらえない、とずっと思っていたのでしょうね。ずっと全力で仕事も趣味も頑張ってきましたが、最近年齢のせいもあるのか、方向転換をせざるをえなくなってきました。それはそれで居心地いいのですが、時々訪れる焦りに似た感情に手を焼いているところでした。
    このままいったら、また更に新しい刺激を求めて動き出すところでした。危ない危ない(笑)
    何か特別な事を成し遂げなければ、なんて気持ちを手放したうえで、自分の好きな事を楽しめたら、最高ですね。
    気付きをありがとうございました。

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    1. はるまきさん、こんにちは。コメントありがとうございます。何か特別なことをしなくてはという使命感。多くの人がずっとこんなモノに引きずられて生きていくように思います。良い面もあると思いますが、虚無感のような穴のあいてしまった感覚の要因になってしまうこともあるようです。できるなら、この重しは取り払ってしまった方が良いのではと思っています。何かを感じとって頂けたということ、とても嬉しく思います。

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  2. 暇を暇として楽しめる力。
    とても難しい問題ですね…
    休みでも明後日から仕事だ・・・あれやこれややらないとって考えてしまって休んだ気になりません笑
    嵐の大野さんが言っていた「普通の人生を送りたい、同じ事が続くことへの違和感」などの言葉がとても共鳴しています。
    別次元かもしれませんが彼も同じ感覚の持ち主なんでしょうかね。

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    1. masaさん、こんにちは。人生は一度きりなのだから、常に刺激を求めれるべきだ。こういう思いは誰にでもあるかと思います。でもその結果として行きつく先はいったいどこなのだろうかと、よく考えます。外側に何かを求め続けても着地点は永久にないのかもしれない、という気もしていてこんな記事を書いてしまいました。こころ穏やかに過ごせるのが一番素敵だと思います。

      今日も良い一日を。

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    2. はじめまして。

      Shigeさんの分析は、的確で、今感じている「暇」の理由が理解できたような気がしています。

      ありがとうございました。

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    3. こんにちは。コメントありがとうございます。「暇」を味方に、限りある人生の時間を自分なりに楽しく生きられればと思います。良い一日を。

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