母親が倒れ東京へ戻りました
日曜日の午前0時ころ、東京の母親が救急で病院へ運ばれました。午後になって連絡を受け伊豆の山奥から急遽東京の豊洲へ向かったのですが夕刻の面会時間には間に合わず、その日は実家に直行となりました。ICUなので中に入れる時間が厳しいようなのです。
倒れた母親ももちろん心配なのですが、夜中から病院にいて一睡もしていない父親の方もかなり心配でした。ただ父親に会ってみるといつもと変わらない様子。こちらは一安心しました。
僕はうつ病で会社を退職後、伊豆の格安の別荘を見つけ住み始めてしまったわけなのですが、伊豆を選んだの理由のひとつに東京の実家に3時間弱で行けるという点がありました。
沖縄でも九州でも奄美大島でもどこでもいいやと一時期考えたことがあったのですが、結局のところ高齢の両親に何かあった時、いや何もなくても、会いにいける距離にいるということが大切だと感じていました。そしてそれは正解だったと今も思っています。
ただ東京には5つ年の離れた兄貴がいるので全面的に頼ってしまっているところはあるのですが...。
母親の病状
翌日、まだ意識の戻っていない母親に面会に行ってきました。敗血症と片肺への穴、腎臓機能低下が主な病名だそうです。人工呼吸器を付けられている状態で鎮静剤を投与し続ける必要があるとのことで、意識はまだ当面戻らないとのことでした。7月6日は僕の誕生日だったのですが、誕生日というのは自分を祝ってもらうものではなく、生んでくれた親に感謝をする日だということをこの年になって知ったばかりです。なんとも情けないことなのですが。
あと数日で53歳なのだが誕生日っていったい何なのだろうか。そう思っていたところ— shige@うつ病で隠居Bライフ (@TommyLeeJonesA) 2019年6月30日
「誕生日とは産んでもらったことを親に感謝する日だ」
と故高島忠夫が論じているブイがテレビから流れてきた。
なるほど。
そういう思いで過ごしてみたことは一度もないことに気付かされた
感謝しに行くとしよう。
病状がこの後どうなるのかは分かりませんが、今は一旦伊豆の山奥へ戻ってっきています。意識が戻るか状態が悪化するかわかりませんが、何か変化があれば今度は数日滞在できる準備をして東京へ行こうと思っています。おそらく来週。
誰も歳には勝てません。どんなに強靭な人でも80歳を超えれば足腰も気力も、そして臓器類も弱ってくるのだは普通のことだとも思います。でも母親にはまだまだ生きてもらいたいと切に願っています。
この山奥ののんびりスローライフを、畑を、デッキを、母親にも見せてあげたいと思ってます。今までに何度も何度も誘ってきましたが、そのたびに、いつかね、と言われ連れてこれていません。
必ず元の元気な母親に戻って、親孝行をさせてください。お願いします。
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夏の海、しかし首を痛めて安静状態
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回復するといいですね。
返信削除お大事にしてあげてください。
tkさん、こんにちは。ご心配頂きありがとうございました。
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