2019年6月26日水曜日

ブログのタイトルをshigeに変更しました

ブログのタイトルをshigeに変更しました


ブログのタイトルを「Bライフ田舎暮らし←うつ病で隠居しました」から「shigeのブログ@うつ病で隠居」に変更しました。



Bライフという言葉に感化されたことで今のこの山奥の生活があるわけなのですが、移住して1年、働かない生き方の渦中ではあるのですが、月の支出も6万円台に安定してきたこともあって、もうあえてBライフという言葉にに固執しなくてもよいのではないかとの思いです。



それに小屋暮らしで月に2万円3万円で生活している方々と比べれば少し悠々自適過ぎるかなぁという感じもしています。



うつ病に関しても、もうほとんど症状的なものは出てきていないので、この文言も落とそうかとも思ったのですが、会社員を辞めた直接の理由でもあるので、こちらは今後も使っていこうと思います。



と、言いながら、少し前の冬の時期には冬季うつをかなり警戒していたので、次回の冬もどうなるかはわかりません。自律神経はまだめちゃくちゃで、炎天下でも冬用の上着を着用していることがあるので、知人には気味悪がられたりもします(笑)。



ということで少々脱線してしまいましたが、タイトルを「shigeのブログ@うつ病で隠居」としてブログを続けていきますので今後もよろしくお願い致します。



さて、現在は何をしているかですが、重い腰を持ち上げてまた家のDIYをせっせとやり始めました。


玄関のDIY

5月上旬のことなのですが、玄関のガラスが大きな鳥の体当たりによって、みごとに割れました。小動物なら入り込めそうな大きな穴があいてしまったのですが、なんとそのまま1ヵ月半も過ごしているという、どこまでも怠惰な自分がここにおります。



ただ梅雨の時期に突入してしまったので流石に封鎖しないと大変なことになりそうということで、手始めにこの玄関のガラス部の修理に取り掛かりました。



元々はガラスだったのですが特に採光も取れない北側の玄関なのでガラスを全て取り払ってコンパネを打ち込むことにしました。



ただコンパネ1枚では心もとないので内側に枠木を打ち込んで、玄関の外と中の両面からコンパネを取り付けています。外側は家の概観が白色なので白色のウォールペーパーで装飾してから取り付けました。




なかなか良い感じです。



この窓部分を直したことで、玄関周りのリメイクにもようやく着手できました。ボロい靴箱は大理石柄でキレイに。床部分も大理石柄のクッションシートを引いております。見た目だけ豪華に。





このあと、壁と天井、全てホワイトの壁紙で包み込む予定です。ちょっと大変な作業ですが、1年半も放置してしまった玄関。訪問してくれる人があっと驚くような美しい玄関に仕上げてしまおうと気合が入っております。



ちなみに左側にタイル模様が見えている箇所は元々古臭いタイル張りで、そこへ壁紙を貼ろうと下地にモルタルをもっている状態です。1年半前にやってずっとこのままでした(笑)。



玄関は完成したらまた後日このブログで紹介させてもらいますね。



おまけ

大きくなった現在のピヨ子。ちょっと怖い顔をした写真を選んでみました(笑)。




更新がまた滞ってしまい申し訳ありません。みなさん、お疲れさまでした。おやすみなさい。


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母親が倒れ東京へ戻りました


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2019年6月16日日曜日

どんな人生であれ結局、人生は自己満足

どんな人生であれ結局、人生は自己満足


どんな人生であれ結局、人生は自己満足なのだという話をよく聞きます。僕自身も強くそう思います。自分が100点だと思えば100点。誰かに採点してもらうものではないはずです。


人生は自己満足


ただ他人を満足させることが自分の満足になるという人も多いはずです。ですので自己満足とは、単に利己的に生きましょうということとも、少し違うのかもしれません。



一般には、湧き出てきた欲求を満たすことが満足と定義されるかもしれません。このことを否定するつもりありませんし、全ての欲求を抑え込んだ仙人のような生き方が良いとも思ってはいません。



でも、ひとつだけ、この満足に対してよく理解しておいた方がよい点を、僕なりの見解ですが紹介しておこうと思います。



それは依存ということ。欲求と依存との境界線は当人にとっては非常に不鮮明です。例えばお金を使わない生き方を僕は実践していますが、もしギャンブルに依存していたら絶対に無理なことです。



たいして好きでもなかった、でも、ちょっとした切っ掛け、そんなことでのめり込んでしまう依存状態持っていたら、何が自分の真の欲求か、本当にわからなくなると思うのです。



依存に関してはいろいろな解釈があろうかとは思いますが、明確に言えることは、繰り返し行うことが、いつしか日常となってしまうということ。



であれば、続ければ自分のプラスになるであろうことを続けた方が良いと理解できるはずです。だから働かないよりは働いた方が良いとも言えます。プラスになるのであれば。



マイナス方向に寄与するであろう対象に依存しても満足は絶対に得られないと僕はそう思います。。


コツコツと続ける満足

今、かなり古い中古の別荘で暮らしていますが、ダラダラ生活のなかにあっても、DIYをコツコツと続けております。木材やセメントを扱うのは普通に考えたら、とても面倒なことです。




でも2年間続けてきたら、家の外観も内装も、ものすごく良くなってきて、今はDIYにある種の依存を感じてます。



ダラダラ人間の自分が言うのもおこがましいとは思うのですが、満足とは、やりたいことというより、やり続けたこと、に感じやすいのではないでしょうかね。これはひとつの結論。


幼少のころの夏休み

一方で幼少のころの夏休みや学生のころバイクで自由奔放に放浪していた時期のような感覚を最近、たまにではあるのですが、そんな懐かしい感覚も思い出すようになりました。



この山奥で寝て起きて、食べて、畑を作って、自生している植物を採取して、そんなものも食べてみて、そしてたまに海などへドライブに行ってみたりして...。これもまた完全なる自己満足の世界。




そんなテキトー極まりない生活の中にあるわけなのですが、こんな生活の中に何十年も前に感じたことのある、ホワーっとした気持ちの良い感覚がオーバーラップする時があります。



もっともっと」というような感覚がどこかに置き去りにされているような感じなのです。だから実に気持ちがいい。




山奥での生活にもその内に飽がくるのではないかと危惧していたこともあったのですが、何故か日を追うごとに、これ良いなぁ~という思いが強くなってきたりもします。



自分でも不思議な感覚なのですが、今が一番良いという脱出不能な状態になっているような感じです。誰に自慢するわけでもなく、自分が心地良い。そういうのが一番危険かもなのですが(笑)。



前回、うつ病から山奥へ移住して一年、にも書いたのですが、悩み事や不安なことのない時間の中にあると、何か自分を誇示して文字にしてみたり、文字にするために何かをやってみたりということも、かなり減ってきたりもします。



そのことがこのブログの更新頻度の低さに出てしまっているのは申し訳ないことではあるのですが、多分これは真理ではないかとも思います。



心静かに座ってみる

瞑想的なものはあまり得意ではないのですが、目をつぶって自然の音を聴いているだけというのもすごくしっくりとくるようになってしまいました。もうこれは死期が近いのかもしれません(笑)。




でも人生が80年あるとすれば、僕の場合まだあと30年くらいあったりもします。しかし、おそらくは、こんなことをしている内にあっと言う間にそんな時間も過ぎていってしまうのではないでしょうかね。



それに、これは少し声を大にして言いたいことなのですが、老後とか人生100年とか、そういうのあまりい深く考える必要ないんじゃないでしょうか。人生って常に今だと思うのですよ。



これは今を楽しみましょうとか、今を生きましょうとか、そういうポジティブな提言とは少し違うのですが、今、若者である人もいて、今、中年である人もいて、今、老人である人もいるということだけのことです。



それぞれが今を生きているだけ。そういうことじゃないかと思うのです。働かない生き方を続けていくならば、蓄えは必要かもしれません。でも余計な心配はあまり意味がない。どうせ何歳になっても常に今を生きるのですから。




争ったり闘ったり

闘ったり争ったり、無駄に溜め込んでみたり、そういうことを今までは、おそらく面白いことだと思っていた人間です。会社員時代には闘争本能をむき出しにして自分自身をも酷使もしてきました。




そういう時期は人間には必要なのだと今もそう思っています。



闘うこと争うこと、奪い取ること、そういう欲求が経済をまわして社会を進化させる動力源になっていることは疑いのない事実。仕方のないことだとも感じます。



でも、それって社会のためであって、実は自分の為ではないような気もするのです。



人の中に埋め込まれている本能的な部分大半は人類の為のものなんじゃないのかなぁ。自分の為だと思って欲を振りかざして競い合っていることは、実のところ大して自分の為ではなかったりするのですよ。



まぁこんなことを考えるのは自分がジイさんになった証拠でもあるような気がしますが。



でもこのことに気が付くとかなりラクになるのは確かだとも思います。



山奥には今日もそんな事を考えている人間が一人おります。



人生は自己満足。どんな形で満足するのかは人それぞれなのですが、働かないで生きる、こんな生き方もあるんだといことを紹介させて頂きました。





みなさん良い休日を。


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ブログのタイトルをshigeに変更しました



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働かないで生きる、お金を使わない生き方



2019年6月4日火曜日

会社員生活を辞めて自由に生きたい

会社員生活を辞めて自由に生きたい


2017年9月末日のことなのですが、会社員生活を辞めて自由に生きたいという思いを、ついに形に変えてしまいました。



会社員生活を辞めることと離婚と移住、普通に考えたらとんでもない事を一度にしでかしてしまったわけなのですが、今現在の自分のメンタルの良さから考えれば会社員生活を辞めたこと、そして自由に生き始めたことは大正解だったと感じています。もちろん貧乏ですが。




移住に踏み切ったのは2018年5月27日。伊豆半島の熱海と三島の中間地点に位置する山奥のとある別荘地に移住し、それ以降現在まで働かない生き方を継続中ではありますが、不思議なことに何の焦りもありません。




会社を辞める=自分で仕事をする?

会社員生活を辞めるということは自分で何か仕事をすると誰もがそう考えるのだとは思います。しかし、このブログに何度も書いていますが、お金を使わないという選択肢も本当にあったりするのです。



自由に生きたいという思いを具現化する方法として僕が取った方法はただ単に消費を少なくして、働かなくてよい期間をなるべく延長してくというだけのものです。



別の言葉でいうと単なるプー太郎



しかしこのプー太郎の月の支出は合計で6万円年間にして70万円ほどなのです。350万円あれば5年間は自由に生きられます。



そんなテキトーな考え方です。もちろん何かしらで収入を得られればその期間はもっと延長できると思っております。



会社員生活を送っていた時には、たまの休日にはお金を沢山使わないと気がすまないような感じでしたが、僕の現在は毎日が休日。



ですので、そんな強迫観念めいたものはもはや存在しません。お金を使わない生き方というのも本当に心地の良いものです。



何時でも自由に寝て、何時でも自由に起きて、夏は天気が良ければ海に泳ぎに行って、普通に考えれば超ナマケモノの生活で全くうらやましくないと思いますが、僕自身は今それが最高っと感じております。



もちろん人との付き合いもいろいろとあるので終始暇というわけでもなく、いろいろな面で調度良い感じ。ここに労働が少しでも入ると、ちょっとなぁと、まだそんなことを思っております。



ブログの更新頻度


東京でもがいていた時期から一年しか経っていないのに今は悠々自適に生きている感じがしていて、そんな感じになってしまったのでブログの更新もまばらになってしまっているような感じだったりします(ちょっと言い訳)。



ブログを読んでくれている方には本当に申し訳ないことなのですが、ブログを書いている自分って、内容の違いはあれ、不安な自分を払拭したいという要素が大きかったような気がしているのです。



しゃにむに何かを作ってみたり、ぶっ壊してみたり。もちろん快適な住処を手に入れるためなのですが、慣れない環境の中で早く自分のアイデンティティを確立しておきたい、というような感覚だったのかもしれません。



そんな感じではあるのですが、まだまだやるべきことも沢山ある中で、現在は、今日一日快適に過ごせればそれでいいかなぁというような感覚になってきているのは確かです。



のんびりと、ゆったりと、それでいて毎日ちょっと楽しい、そんな日々を送れるようになって、波はあるものの以前のようなうつの状態とは完全に決別できた気がしています。



会社員を辞めて自由に生きはじめてしまって一年間。少し振り返って、所感のようなものを紹介しておこうかと思います。



家に関して

ボロい家を買ってしまったために未だに何かしらの作業途中です。家の値段をこのブログに書いたことはないのですが、そろそろよいかなっということで公開しますが、300万円台です。


こちらが間取り。こんな小さなお家。


固定資産税が年間6,500円なので察しはついたかとは思いますが、不動産としては超安物の物件に分類されると思います。ただ、元々土地だけ買って自作の小屋を建ててみたいとも思っていたので、それから比べれば高額な物件なのかもしれません。



この別荘地のお隣に少々高級な別荘地が、そちらの別荘地を通ると、やはり自分の住処のボロさ加減を再認識することになります。



しかしながら僕は、この家がとても気に入っているのです。大好きだったりするのです




大好きなので引きこもりには拍車がかかっております(笑)。




毎日の生活に関して

特に大きなイベントが無くても普通に楽しく暮らせるようになってしまいました。そんな自由きままな生活を可能にしてくれたのはここに来てあらたに出来たお友達の御蔭だと強く感じています。



ここまで遊びに来てくれるツイッターのフォロワーさん、ブログの読者さん。そして山奥別荘のちょっと離れた隣人の方々



烏骨鶏のピヨ子を介して鶏つながりの友人も仲良くしてくれております。山奥喫茶店のママさんもね。




みなさんには心から感謝しています。こんな自分ですが、これからも、どうぞよろしくお願いします。




お金に関して

さて、一番の難題。しかしこの件に関しては全く動こうとしておりません。Bライフと言えども月に6万円前後の支出はありますが、まぁ焦らなくてよいかぁという思考のままでおります。



おそらくは後2,3年、働きに出ることはないだろうし、その後もそのままかもしれません。その時に考えることにしようと思います。会社員生活にだけは戻ることはないと思います。



病気に関して

何の病気もしていないのですが、病院に関しては結構心配していました。山奥から病院に行けるのか?という点。しかし住んでみれば病院もスーパーも何もかも、クルマで15分程なのです。無用な心配でした。



高血圧で長年苦しんでいたため、近くの診療所で高圧剤を出してもらっています。血圧は上が165もあったため、ずっと締め付けられるような頭の痛さを感じていたのですが現在は125。快適快適。



余計なお世話だと思いますが、高血圧の人は早いとこ医者に行った方が良いですよ。物凄くラクになりましたから。ちなみに高圧剤のお値段は2ヶ月分で2,000円程度です。高額なサプリなど飲まないほうが絶対に良いです。




夢とか将来に関して

ここの暮らしがとても心地良いので、このままのスタイルで継続していけるならそれが一番だと思っています。何かを成さなければとか、職に付いていなければ、というような義務感的な思考は今は一切ありません。それだけ、穏やかに過ごせているということなのかもしれません。




最後に

東京のアパートに住んでいた休職時期は、とてつもなく長い日々でした。そう感じていました。毎日が葛藤と自己嫌悪、不安、焦燥の連続だったような気がします。



自分で勝手に作りあげてしまったそんな幻想のような呪縛なのですが、そういうものは、この山奥での一年間ですっかり消え去りました。



そのことだけでも自分にとって良い選択だったと思っています。僕の場合はうつ病での休職期間が4年半にも及んだこと、年齢ももう既に50代に突入していたという背景があるのですが、30代でも40代でも、病気でなくてもあまりかわらないのではないかとも思っています。



会社員生活をやめて自由に生き始める選択肢は誰にでもあるはずです。ただ、当然貧乏な生活にはなります(笑)。



でも、それよりも大きなものが得られるのではないかな。僕はこれからも大好きなこの家この山奥で、自由に生きていこうと思っています。



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