2019年1月30日水曜日

自然の中の田舎暮らし隠居生活

Bライフ田舎別荘暮らしブログ

自然の中の田舎暮らし隠居生活


このブログは元々自分のうつ病を綴り始めたものですが、いつの間にか会社の退職を決め、自然の中の田舎暮らしの隠居生活みたいな内容に変わってきてしまっています。




でも、こんなダラ~っとした働かない生活に興味を持ってくれる人がけっこういるということにちょっと嬉しさと驚きを感じています。



52歳で隠居を決め込んだのですが、突入してみて結構いいなぁというのが率直な感想です。年金がもらえるまでにはあと13年もあります。



ですので大手を振って隠居などと言ってもいられないのですが、お金を使わない生活に自分を慣らしてみると、なんか大丈夫そう。そんな感じがしています。



以前なら1年間くらいで消費していたお金で、今は3,4年間は普通に生きられそうです。




別に死にそうなほどに質素な生活をしているという感覚もないです。要は過去の僕の生活の8割くらいが、どお~でもよいことにお金を使っていたということなのだと思います。



この隠居生活ですが、年金のような定期的な安定収入が得られてから突入するべきだとは思いますが、半隠居のような形で月に数万円のアルバイトをして生活していくというのもありかと思います。



ただこんな生活が成り立つのも、快適な住処を手に入れられたからという点が大きいと思っています。小屋暮らしに憧れていたことがあったことは以前このブログにも書きましたが、やはり隠居というスタイルには向いていない、というか無理だと思います。



小屋暮らしはパワーのある若者向け。30代までじゃないでしょうか。




それに小屋暮らしは、そこに掛る初期費用が安いということでかなり安直にトライしてしまう人も多いと思うのですが、それでも土地代100万円、材料費50万円、製作期間に掛る諸経費30万円(半年間の交通費や食費、テント、その他もろもろ)。


結局200万円弱はかかると思います。



それで手に入るのは、風呂無し、トイレなしで6畳一間のスペース。そこに寝床、テーブル、キッチン。だから、多分、とても狭い



僕は一人で暮らしていくつもりなので、なるべく小さな2LDKの物件を探していました。部屋は二部屋あれば十分。



でも暮らしてみて思ったことですが、もっと広くてもいい。誰か泊まりに来た時にもうひと部屋あったらっと思い始めてます。



ですので、暖かくなったらルーフバルコニーの下の8畳ほどのスペースにもう一部屋増設するつもりです。DIYで。



こういうことを実行しようと思えるのも、この家に既に頑強な土台があるからです。長く暮らしていくには、少しずつ快適な環境にしていける、そんなベースも必要だと思うのです。



隠居というスタイルを取り込もうと思っている方には、別荘地の安い物件を探すことを強くおススメします。田舎の古民家なども良いとは思いますが、人間関係の当たり外れはかなり恐ろしいとも思います。 →田舎で村八分にあった友達の話



また別荘地の土地は80坪で30万円くらいで手にはいるかもしれません。隣に家が建っていなければ、その土地も購入可能か調べておけば、後々、敷地を広げていくこともできます。




なんならそこに小屋を建てても楽しいかもしれません。



まず、1,2年などという短いスパンではなく、10年,20年、自分がその土地で、その家で快適に暮らしていけそうか。こんな視点を持っておくことが隠居ライフを可能にする住処を見つけるためには役立つと思います。



Bライフ的にお金を掛けずに生活していくには若者なら自作の小屋でもOK。でも40代以上は無理。



ということで再度、別荘地を強くおススメしたいと思います。自然の中で暮らしているというこの感覚は何ものにも変えがたい気持ち良さがあります。



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2019年1月28日月曜日

暇を苦痛に感じる理由と対処法

Bライフ田舎別荘暮らしブログ

暇を苦痛に感じる理由と対処法

今、僕の24時間365日は全て自分の自由時間です。働かない生活を選んだわけなので当たり前のことなのですが、暇をこよなく愛している自分でさえ、本当に暇で暇でしょうがないと感じることも実はあります。




時には、その暇な状態を苦痛に感じてしまったりもします。でも実際にはやることは沢山あったりするわけなのです。


やることが沢山あるのに暇だと感じてしまう、この摩訶不思議な現象。最近になって、なんとなくこの理由が分かってきたような気がするのです。この現象はこんなことを考えている時に生じることが多いようだと。



「人生とは何か特別なことを成し遂げるべきものなのだ」



人生の使命感


実際の暇な状態と、それを暇と感じることの間には、いささかギャップがあるようなのです。


落ち着いていて、ゆったりと、のんびりと、特に何をしていなくても幸せな気分を満喫できることもあります。今はむしろこの状態の方が多いくらいです。





でも一度この「人生の使命感」のような概念が迷い込んで来ると自体は一変します。暇は恥ずかしいことだ、暇であることを許さん暇は悪なのだ....。



非常に興味深い現象です。



やるべきことは沢山あっても、それらは使命感を満たすようなものではないので暇の穴埋めにはならないという感覚。だからやるべきこともやらない。どうせなら全部終わってから、暇だぁ~っという感覚になってもらいたいものですが。



でも僕はこの感覚を少し客観視できるようにもなってきました。東京のアパートに住んでいたころは、ずっぽりとこの感覚にはまっていて、強い焦燥感、そして恐怖にすら感じていたように思います。



そこに落ちるか否かは紙一重なのかもしれません。人生の使命感というものを重視するか否か。



この使命感という感覚をぬぐってあげれば、すごくラクになります。そして今を今として満喫できるようにもなってくるようなのです。


暇を暇として楽しめる力。現代人に欠損している力ではないかと思われます。



定年退職をしたら


60歳、または65歳になれば多くの人はリタイアとなります。「人生が暇になるその時までに多くの趣味を持っておきましょう!」なんてことがしばしば推奨されますが、僕はちょっと違うなぁという感じがしているのです。



前述したように、「暇である状態」と「暇だと感じる状態」とは別ものだからです。



趣味をいくつか持っていても、暇だと感じてしまい焦燥感をぬぐえないこともあります。多くの人が定年後にこのことと対峙することになるはずなのです。


ですので、この記事のタイトルにした「暇を苦痛に感じる理由と対処法」ですが、それは決して趣味を見つけるなどというものではないのです。



人生の使命感のような得体の知れない概念とおさらばしてしまいましょう、ということです。



ここに引っ掛かっていると何年も何十年も自分の時間、自分の人生を楽しめなくなるかもしれません。非常にもったいないことです。


同じ一杯のコーヒーの味も全く別なものになるような気がします。




暇であることに苦痛や焦りを感じたら、何か目新しいこと、刺激のあること、そういう方向に目を向けるのではなくて


人生の使命感のような概念と決別してしまう方向へ向かう努力をすること。何か特別なことを成し遂げなくても良いのだということを真に理解すること。僕はそんな風に思っています。



仏教用語に「諦観」というものがあります。


諦(あきら)めて観るという文字の成り立ちですが、諦めるは「あからしめる」という意味で使われます。物事をあきらかにして観てみる。人生とはこうあるべきだという固定観念から一歩離れて観てみるということのようです。



ですので僕はこの諦観という言葉がとても好きです。




暇を苦痛に感じることがあれば、是非一度、こんなアプローチもしてみてください。きっと何かが変わると思います。


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自然の中の田舎暮らし隠居生活


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2019年1月26日土曜日

山奥スローライフの朝のスタイル

山奥スローライフの朝のスタイル


今朝の朝食はガーリックケチャップを塗ったトーストにソーセージとレタス、そしてスクランブルエッグ。


今朝、と書きましたが、山奥スローライフの朝食は完全にこのスタイルで固定されています。実に美味いのです。




マクドナルドやモスバーガーが実は大の好物なのですが、お値段がお高いのですよね。そこでどうにかお安くバーガー的な味になるものをと模索し続けてきたわけなのですが、行き着いた先がこれです。むしろバーガーよりも美味い。




そして最近タバスコに目覚めてしまいました。こいつをかけると、味のグレードがさらにUPし激ウマという領域に達します。



材料費は

パン 15円
ソーセージ 15円
ガーリックケチャップ 15円
タバスコ 5円
レタス 10円
タマゴ 10円

とざっくりですが、合計70円。まさにBライフ的な朝食。でも普通ですよね。たぶん外食しなければ誰でも朝食はこんなものだろうと思います。


そして10日間食べ続けても1ヶ月間食べ続けても、全く飽きないこの不思議。昼や夜に食べることはないですが、朝はもう完全にこれで固定。これ150円くらいで売ればバカ売れするんじゃないかと本気で思ってます。



ですので、是非、自宅で作ってみてください。ガーリックケチャップとタバスコが決め手です。



と、こんな朝食を頂いた後は、温蒸気グッツを肩に乗せて10分ほどソファでゴロゴロ。ツイッターを見ながら肩のコリをほぐしております。これも実に気持ちが良いのでおススメです。1,000円くらいと激安です。→温蒸気




そして調子が出てきたら、家の周りの掃除などをしております。したりしなかったり。



でも今日は天気予報を見てしっまって、夕方から雪が降るらしいという情報を耳に。しかたなく買出しに行ってきました。多分降らないと思いますが念のため。



自宅の山の麓から見る富士山はこんなに綺麗です。快晴快晴。雪なんて降るのかね。


灯油のストック

食料はけっこうあるので心配してないですが、灯油が切れそう。5缶のストックの内4缶がカラなので補充に行きました。僕のここでの生活で一番経費が掛っているのはおそらく灯油代だと思います。でもこれは冬季うつへの対策として必須なので全く気にしてません。



快適に過ごすために必要なお金は惜しむどころか、値段も全く気になりません。必要なのだから気にしてもしょうがない。



昨年も一昨年も冬の間は1ヶ月間以上寝込みました。これはただダラダラしているというだけの状態ではなく、手足の凍るような冷たさと共にひどい気分の落ち込みに支配されている状態です。冬季うつは本当に辛いものです。



それが、今年の冬はほとんど大丈夫。外出して体調を崩したときはありましたが、冬季うつだと自覚できるような症状は全く出てません。



だからもし大雪が降っても大丈夫。多分。



さて準備は万端。
これから午後の読書の時間に移ります。


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2019年1月25日金曜日

使い古したフライパンが好きなのだ

Bライフ田舎別荘暮らしブログ

使い古したフライパンが好きなのだ


田舎暮らしと称してこの山奥に移住してきてから、結構いろいろな物を購入してきています。東京のアパートに住んでいた時に使っていたものの大半は捨ててきてしまいました。


でも、このフライパン。テフロン加工が完全に剥げ落ちたただの鉄ナベと化したフライパン。こいつは何故かとても気に入っていて未だに使っているのです。




フライパンって高いものではないですよね。Bライフだからってそんな汚いの使うなよぉっと言われちゃいそうですが、火にかける物は自分で使い古したヤツが好きなのです。鉄の風格が出てくるというか、上手く表現できないですが、とにかく好きなのです。




ヤカンも魚用の網も古いものを使っています。これらはたぶんずっと使い続けます。



週に一回くらいは外食をすることもありますが、それ以外ほぼ100%自炊を楽しんで生きています。一食100円以内ということを意識していた時期もありましたが、今は何も考えてません。



ただ、肉類は賞味期限が近いものを3割引きで買っています。それを冷凍で保存。保存できないものは割引になっていても買いません。食べずに捨てることになるのが最もバカらしいと思っているからです。




パンも野菜も一週間に一回買出しにいくのが調度良いようです。そんな生活パターンも出来てきました。



出きるだけ美味しいものを自分で作って、テキトウに買い物をしても大した金額にならないということも分かってきて、今結構ラクです。


Bライフに囚われてガチガチに生きるよりも明らかに無駄となることさえやらなければ、想定の範囲で全て収まってしまいます。



今日は空心菜の炒め物を頂きました。




鉄ナベと化したフライパンにはこれからもまだまだ活躍してもらうつもりです。



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2019年1月23日水曜日

生きる価値がないとか無駄な存在だとか

生きる価値がない無駄な存在だと思ったら


うつ病などのメンタル疾患を負っていると自分は生きる価値がないとか無駄な存在とかそういったネガティブな思考に囚われてしまうことがよくあります。



僕自身も死にたいと思った事は何度も、何度もあります。だからそういう気持ちを否定はしません。長い人生の中では、あっても普通のことだとも思います。



でも、この世の中には生きていたくても生きられない人が沢山いるということは今一度考えてみる価値はあるのではないかと思えるようになってきました。



生きていたくても生きられない人がいる。そんなことは自分とは全く関係のないことだ。そう思うかもしれません。確かに全く関係ないことのようにも思います。




でも理屈や思考は一旦わきに置いておいて、是非、一度ここに記載する短い詩を読んでみてくれませんか。



人には言葉があります。そしてその言葉からその状況や感情、思い、いろいろなものを受け取れる力を持っています。11歳の幼い女の子が死の淵に立ちながら切実な思いを綴った詩です。何かを感じ取ることが出来るかもしれません。


"
『命のたいせつさ』

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる
命もいつかなくなる

電池はすぐに取り換えられるけど
命はそう簡単には取り換えられない

何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない
でも『命なんかいらない』と言って
命をむだにする人もいる

まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく
働いているのに

だから
私は命がつかれたと言うまで
せいいっぱい生きよう

"


11歳の短い生涯を終えた女の子


この女の子は5歳の時に神経芽細胞腫という小児がんの一種にかかりました。1998年6月28日に5年半に及ぶ病気と戦いの末、11歳の時に短い生涯を終えました。宮越由貴奈さんという女の子です。今はもういません。




自分の命は間違いなく自分のものです。しかしその大切さが、自分ではよくわからなくなってしまう時もあるとも思うのです。僕にも何度もそんな時がありました。



でもそんな時、改めてこの短い詩を読んでみて、自然に流れ落ちる大粒の涙と共に命の大切さに、はっと気付かされました。11歳の小さな女の子から生きることの大切さを教えられた瞬間です。



僕は何度も何度も読み返してみました。是非、何度も何度も読み返してみてください。どんな思いでこの詩を綴ったのかを、どんなに生きたかったかを、是非思い浮かべてみてください。



生きる価値がないとか無駄な存在だとか、そんな感覚になったとしても、そのことと命の大切さとは別なことのように思います。人にはそういう時がある、ということだけで、命の大切さはどんな時も変わるものではないと思うのです。



この女の子の言うとおり、命はいつかなくなるものです。



だから是非、その時が来るまで、せいいっぱい生きてみませんか。



生きる価値や無駄な存在というような思いへの答えは、理屈を捏ね回して得られるものではないのだと気付くことも大切かと思います。



何がが価値があって何かには価値が無い。何かは無駄ではなく何かは無駄である。



これってモノなのですよ。人のことではないのです。



だから価値ある人間というのも存在しないし、価値のない人間というのも存在しないのですよ。



悩んでいる時、辛い時、どんなことを言ってもしっくりこないということもわかります。僕もそんな時間を何年も過ごしてきました。



でも時間が和らげてくれることも確かです。紹介した詩から何かを感じ取れたら、それを小さな切っ掛けに、少しだけ前向きに、そして今という時間を生きてみませんか。



山奥の小さなボロい家に住み始めて、そんなことを少し考えられるようになりました。



自分には生きる価値がないとか無駄な存在だみたいな見方は捨ててしまいませんか。そんなもの、捨てしまいましょう。



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2019年1月22日火曜日

カプセルホテルで生活できるのだろうか

カプセルホテルで生活できるのだろうか


母親が入院したということで急遽また東京の実家に行ってきましたが、元気そうでした。安心、安心。大丈夫、大丈夫。


もうかなりの高齢ですが、まだまだ元気で、今回もまた長~い話を聴かせてくれました。超話好きな人なので僕は完全な聞き役に回ります。



東京には一日滞在したのですが、今回は実家には泊まらず、せっかくなのでカプセルホテルに宿泊してみました。Bライファーの方が好きそうな激安ホテル。



まず東京までの電車、今回とても良い方法を見つけました。田舎暮らしの最寄の駅は函南駅。ここから東京の新橋駅まで東海道線で2時間弱なのですが、座った瞬間にデパスを2錠ほど飲むのです。すると直ぐに眠気が訪れて爆睡へ。




ふっと気が付くと新橋駅。すごいですね。これは。



どこでもドア」ってもしかしてコレのことじゃないですか!体感10分くらいで着いてしまうのですよ。すごくラク~。



母親は豊洲の昭和大学病院に入院しているのですが、出来て5年くらいらしく非常にきれいな病院でした。窓から見える景色は運河と緑とビル郡。とても良い場所です。




豊洲は僕の地元なのですが、子供のころは石川播磨重工業という大きな造船会社がひとつあるだけで、他に何も無いド田舎でした。それが今ではららぽーとまで出来て、お台場と築地の中間点ということもあって超一等地になっています。



世の中わからないものです。



お台場も子供のころは本当に何もない場所で、完全な草むらでした。アサリが大量に取れる場所だったので、一年中潮干狩りをしていただけの場所です。



今は、フジテレビを中心に企業用のビルとマンション郡で埋め尽くされています。地元が栄えるのは嬉しいことですが、こんな風に変貌してしまったことで、とても困っていることがあります。



それは駐車場が異常に高いということ。両親はクルマに乗らず、実家には駐車場がありません。この地に、たまにクルマで行くと30分400円などという、とんでもないボッタクリ料金の駐車場にとめざるをえないことになるのです。



10時間も停めたら8,000円ですよ!ホテルか!っていう金額です。



ということで恐ろしいのでクルマでは絶対に行かないのです。ちなみに、僕が今住んでいるこの山奥の最寄の駅、函南駅の駐車場は24時間で800円。う~ん、リーズナブル。こうでなくては。



カプセルホテルに宿泊


今回は少しカプセルホテルについても書いてみようと思います。僕自身生涯を通して数回しか泊まったことはないのですが、実に便利ではあります。予約もせず飛び込みで即泊まれますので。




この一泊3,200円の宿泊施設。日曜日の夜にもかかわらず宿泊客が沢山いるのです。ちょっと驚きました。客の大半は大きめの荷物を持っている中高年。みな常連のように見えました。多分、多分ですが、こういう所で冬場をしのいでいる方達かもしれません。



3,200円という宿泊費。安いと言えば安いし、高いと言えば高い気もします。毎日だとしたら絶対に高い。スパに泊まってもだいたい3,500円くらい。ネットカフェだと2,000円くらい(泊まったことないですが)。



いずれにしろ、数千円でも連泊すれば相当な金額になってしまいます。1ヶ月だと10万円弱。



なんだかとても考えさせられるのです。ネットカフェ難民という言葉も一時期はやりましたが、本当に負のループに思えます。一日数千円の日払いの仕事をして数千円を寝泊りで消費してしまう。



何がそうさせるのだろか...。東京の魅力?う~ん、わからない。



所持金があまりないなら、ド田舎で月5,000円の家でも借りて、お金をちょこちょこと貯めながら体制を立て直しても良いのではないかと、普通にそう思ってしまいます。




僕にはわからないのですが、きっと都会に執着したい理由があるのでしょうね。起死回生の一発とか。そういうのかな?



と、こんなことを考えながらカプセルホテルでの夜を明かしたのでした。



そしてまた、この山奥に帰ってきて、そんなことも多分、すっかり忘れてしまいます



今日は都会での疲れを癒しに、プールに行ってのんびりと泳ぐとします。



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2019年1月16日水曜日

あって良し、無くてまた良しという話


あって良し、無くてまた良し



最近、物事を「あって良し、無くてまた良し」と思えるようになってきました。雪に関して考えたときに思ったそんな話をしたいと思います。


10日ほど前、この山奥に雪が降りました。パラパラと30分ほど降っただけのことですが、積雪が怖くなってスタッドレスに履き替えるべきだと焦りました。


昨年はいていたスタッドレスは玄関に積み上げてあります。お金を使わないBライフを始めようと思っていたのについつい雪が怖くなって買ってしまったスタッドレス。




でも結局ノーマルのまま放置しました。自分で交換するつもりもありません。大変だし危険だから。



雪が積もって山奥に篭城するのもいいかなぁ。そんな感じです。ノーマルタイヤのまま。



積もったらクルマには乗りません。そう、どこにも出かけなければ良い。


ビクビクする必要などない


雪を恐れてビクビクする必要などないことに今更ながら気付きました。食料は缶詰とか米とかで、なんだかんだ1ヶ月分以上のストックはあります。




灯油も18リットルが5缶分あります。そしてネット上には10年くらいでは観切れないほどの映画とドラマがあります。そして本も音楽も。



と言うことで、雪なんか積もったって全然平気じゃないかという結論。住んでみないとわからなかったり、不安になる要素って沢山あると思うのです。寒さも雪も湿度も、住むまでは実はいろいろなことを恐れていました。



しかしなんだか雪が楽しみだ。そんな気持ちになりました。



降らないかもしれないし、降るかもしれない。降っても降らなくてもオッケー



物事の究極の捕らえ方


最近思うのですが実はこれが、物事の究極の捕らえ方なのではないかと。究極のものの見方というか。



あってよし、無くてまたよし。



頭や心を占有してしまう不安な出来事に対しても、もしこんな風に捉えることが出来きたなら、そこにはもう不安や悩みがなくなるのではないかと、この雪に対する自分の考え方の変化から、そう感じています。



死んでよし、死ななくてまたよし。


なんだか今、ものすごく良い心境にあります。文章でお伝えできているのはその表面的なことだけだとは思いますが、全てはどちらでもよいのだという、そんな平安な気持ちです。



決して投げやりな気持ちではありません。それで良いんじゃないかという諦観。こんな気持ちです。諦めるという一文字。




こんなBライフ的なブログを書いていると、極稀にですが、こんな良い心境になることがあります。自分で書いている内容に自分で学ばされているような感じ。お恥ずかしい話ですが。



でも、この感覚が長く続いてくれるととても嬉しい。


しかしそれもまた
続いてもよし、続かなくてもよし、ということなのかもしれません。



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カプセルホテルで生活できるのだろうか


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働かないで生きる、お金を使わない生き方
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2019年1月15日火曜日

もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。すっとこう感じているなら、逃げるが勝ちという言葉について少し考えてみてはどうでしょうか。



うつ病で逃げクセの付いている自分には座右の銘的な言葉です。凄く勇気付けられます。だって逃げても良いといっているのですから。



「もう嫌だ。疲れた。そんなに辛かったら、人生、逃げちゃっても良いのですよ



こんなことは学校でも家庭でも会社でも、どこでも教えてくれません。メンタルが壊れて、うつ病で通院し始めて初めて聞かされる言葉のように思います。


もう嫌だ。疲れた。


競争という人生のあり方


この世界は競争で成り立っていると言っても過言ではないですよね。技術も医療も、そして福祉でさえも競争のたまもののような気がします。一般企業だけが競争社会ではないですから。公務員でも同じことです。




競争、そしてその競争に勝ちたいという人の根源的な欲求が人の住む世界をより良いものにしてきている。これは疑いようのない事実のようです。



でもこれは人類とか地球とか、かなり大きな枠組みとしての機能です。その競争に参加するかどうかは実は自由なのです。誰かが参加しなければ成り立たないというものでもないのですから。



本当のところ、テキトウにやっても良いのですよ。



しかしながら、そんなことは分かっていても、テキトウにはできない。あたりまえのように植えつけられてしまった競争、そんな人生のあり方。



そんなものが僕らの潜在意識の中には強固に存在していて、少々の疑問を感じつつも、自らはそのレールからは降りられないように出来ている。



レールから落ちそうになれば、歯を食いしばって落ちないように努力し続けたりもする。



そしてその競争を富や名誉、お金、幸せ...いろいろな形で正当化する理由もきちんと持ち合わせています。だから、頑張る。





当たり前のことですが、頑張るのが良いか悪いかと問われれば、良いことなのでしょう。僕もそう思います。ですので是非、頑張りましょう、とも言ってはおきます。



もう嫌だ人生に疲れたと思ったら逃げても良い


頑張っている人の足を引っ張るようなことを言うつもりはありません。ただ、辛かったら頑張らなくても良いのではないでしょうか。そうとだけは付け加えておきたいと思います。



文字にするとたったの三文字。「疲れた」。しかし思いは大小様々です。



そしてこの「疲れた」という思いの延長線上で、究極の選択をしてしまう人も存在します。これは実に悲しいことだと感じます。



その選択が間違っているのかどうかは、僕が言い切ることは出来ないのかもしれませんが、生きていることが良いことだと捉えられる正常の意識からすれば間違いのように思います。



どうせ人は死ぬのですから
まずは今を生きましょう。



そしてその為に必要があれば
さっさと逃げましょう。貧乏なBライフでもいいじゃないですか。



逃げるが勝ち


「勝ち」という言葉がついているので、「一旦逃げて後で勝ちにいきましょう」的な意味に捉える人が多いかと思います。でも、そんな場面での勝ちなんて実はどうでも良いのです。



あえて意識するならばもっと大きいもの。そういうものに勝つという意味に僕は捉えています。





しょせん全てはちいさなことです。長い人生でちょっとやそっと逃げたって大したことはない。働かない生き方もありだと思うのです。



逃げまくり。いいじゃないですか。田舎でもどこでも逃げた先で時間を掛けて考えてみればいい。考えなくても、もちろんいいですけど。



もしかすると今まで信じてきた自分の価値観が何の根拠もないことだったのだと思い始めるかもしれません。



歯を食いしばって頑張ることが自分の中の正義だと思っていたかもしれません。しかし、もしかしたら違うかも、と感じ始めるかもしれません。



万人に共通する正しい道などひとつもないのです。誰かに、何かに無理やり合わせてきただけのことかもしれません。



そんなことを自分の中の、う~んと深い領域で考えてみる時間も、ちょっとだけ逃げてみると手にすることも出来ます。



逃げたから敗北。こういう考えを辞めてみるだけでも何かが変わるような気がします。



だから、もう嫌だ、人生に疲れたと感じているならば、逃げるが勝ちの意味を
今一度、少しだけ考えてみても良いのではないでしょうか。



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2019年1月13日日曜日

いつもの山奥に帰ってきた

いつもの山奥に帰ってきた


朝、風呂に入ってなんだか気分が盛り上がってしまい、急遽東京の実家に顔を出しに行きました。江東区の実家で一泊。以前住んでいた八王子で一泊。八王子では昼間から友人と居酒屋で談笑。Bライファーにあるまじき散財。




しかし、なかなか楽しい時間でした。それでも時折襲ってくるナンとも言えない辛さ。東京へもどるのは今回で3回目なのにまだこんな症状が出てきます。潜在意識なのか、トラウマなのか、どよ~んとした気分になってしまうのは、もう治らないのかもしれません。



今回はデパスも睡眠剤も大量に服用しました。意識をうつろな状態にしてなんとか自分をごまかすという、イマイチな方法。東京へ行ってこんなことをしていて何か意味があるのだろうかという自問自答も.....。



今日、この山奥へもどってきたのですが、電車の窓から海が見え始めて、そして閑散とした函南駅に到着して自分のクルマに乗った瞬間、涙が。




なんなんだ~?僕は子供か!



田舎暮らしでの見慣れた道を走っている自分が嬉しくて涙がまたポトポトと。これは医者に行った方が良いかもしれませんね。三日程度でこんな感じになってしまうのは、やっぱりおかしいかもです。




理由はよくわからないのですが、この田舎が、この山奥が、好きなのだということでしょう。そう片付けてしまうのが一番簡単だし、あまり自分の心の底を詮索してもしょうがないのでね。多分闇は深いと思われますが。



折角出かけたのだから、旅行記的な視点でいろいろと書いてみたいとも思っていたのだけど、そういうのって何にも浮かばないのです。美味いもの食べましたぁ~!みたいなのが書けません...。ちゃんと食べてきましたが(笑)。



ということで、これからもこのブログは、この閉鎖された山奥の空間での生活がメインになります。それも貧乏なBライフを中心とした内容です。多分。



自由に生きる、と言い切ってはいますが、僕の場合、あちらこちらへ飛び回るのとはちょっと違うようです。そういうのをかえって不自由に感じてしまう人間のようなので。自由にゴロゴロします(笑)。



そうそう、電車の中の広告にFODというフジテレビ系のドラマの配信サービスを見つけました。先週Netflexの無料視聴期間の一ヶ月が来てしまったところなので、これには自分のアンテナがピピピっと反応。



先ほど早速、登録してみました。1ヶ月以内に解約すれば無料。ただし解約した日から観れなくなるとのことなのでギリギリ(2月12日)まで粘るつもりです。






ちなみにNetflexは登録後に即解約しても期日の1ヶ月までは無料で観続けることができます。何度かこのブログに書いてますがNetflexはおススメですよ。映画もドラマ(海外がメイン)も質と在庫量が違います。



さてさて、FODですが、こちらも超便利なのですが、というのも現在日本のテレビドラマってAmazonやNetflexではしょぼいものしか配信されていないからなのです。



テレビ局も自前のドラマは自分のところの収益につなげたいわけで、良いものは他では配信しないのですね。



僕自身は、うつ病と命名される数年前からテレビは観られなくなっていたので、観ていないドラマは山のようにあります。今は楽しめますので、思う存分楽しみます。



部屋に構築したミニシアターも300%くらい活躍してくれています。



働かない生き方を選択してしまった自分にとって、外で活動できない冬は特に、このシアター生活が最高のお気に入り。外から見れば完璧なグウタラ生活ですが、中から見ても完璧なグウタラ生活です(笑)。



いいのです。
これが幸せなのですから。


こんなことをしながら日常を取り戻しにかかりましたが、見事に取り戻せたようです。今とても落ち着いていて良い気分です。


またいつものようにゆっくり過ごす生活にもどります。



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2019年1月10日木曜日

お金を使わない生活、節約生活は辛いのか?

お金を使わない生活、節約生活は辛いのか?


昨日、僕が尊敬している、そして僕に勇気をくれたBライフの先輩さんが久しぶりにブログを更新しました。山梨に120万円で土地を買って自力で小屋を建ててしまった方です。


お金を使わない節約生活を実践している先駆者的な存在。


初めて記事を読んだ時、閃光のようなものが頭の中を突き抜けました。うつ病で寝込んでいた時のことです。




会社を辞めて何もない土地にテントを張りながら半年間掛けて小屋を製作していく工程はまさに冒険と自由、そんな感じでした。



多くの人が影響を受けたことと思います。僕の知る限り(ツイッターのフォロワーさん)でも3名、同じように山奥の土地を購入して自力で小屋を建てています。


そして彼らもまたブログを書き、ツィートをし、田舎暮らしのBライファーとして他の人に影響を与えていくのかもしれません。




そんな先輩Bライファーさんの今回のブログの内容は衝撃的なものでした。


文末からの抜粋の転記:

"Bライフを始めてからの三年間はとても辛かった。この先どうなるかは知る由もないが、これからはBライフのための人生ではなく、自分のために人生を送りたい。Bライフについて、僕は勘違いをしていたのかもしれません。"



辛かった


辛かったというコメントがとても衝撃的でした。ここ最近の1年は、うつ病で心療内科に通っていることも知っていました。しかし生活そのもの、Bライフそのものが辛かったというのは、語られたことがなかったのです。



何が辛かったのか、その詳細は述べられていませんが、虚無感とか人生の意味とか、そういう点だとは想像が付きます。



人生の大半を快適な環境で暮らしてきた人が、何もない、そして全て自力でまかなわなければならない環境の中で生きていくには、それなりの苦悩が付きまとっても不思議ではないのかもしれません。



小屋暮らし。二泊三日のキャンプではないのかもしれません。その場所で、その環境でずっと生きていかなければなりません。



この点は小屋暮らしに憧れている多くの方が留意すべき点のように思います。



山奥別荘での暮らし


僕自身も小屋暮らしに憧れていましたが、踏み出す勇気がありませんでした。逃げ道を用意しておきたいと、そう感じていました。辛く感じてしまった時、それを回避する手段がどうしても必要になるような気がしていたのです。



うつ病で何年も苦しんできたこともあって、自分が何に苦しさを感じるだろうかが、良くわからなくもなっていました。冬も本当に恐れていました。有り余るであろう時間も怖い気がしていました。



農作業もDIY的な作業もやるべきことは今でも沢山あります。でも何もやりたくない時もあるのです。そんな時はひたすら映画を観ています。



光回線の存在に助けられたことは何度もあります



人には調子の良いときも悪いときもあって、それらは自分では上手く選ぶことが出来ないようにもなっています。だからただ横になって映画を観続ける時間というのも本当に大切。



自然環境という開放感だけに依存して生きていこうと思っていても、うまくいかない時もあるのです。



日々快適に生きていける生活環境があってこそのBライフなのかもしれません。



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いつもの山奥に帰ってきた



是非、こちらの記事も→

Bライフをブログで再考







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働かないで生きる、お金を使わない生き方



2019年1月9日水曜日

田舎暮らしのシンプルな夜の過ごし方

田舎暮らしの夜の過ごし方


ここで暮らすようになってからシンプルな夜が好きになりました。田舎暮らしのこの山奥は昼間でもとても静かですが、夜になると完全な無音の世界になります。そして外は街頭の下以外は完全な暗闇の世界。



寒い夜もバルコニーに出てコーヒーを飲みます。誰もいない世界でただ一人。星空だけが広がるこの山奥で。働かない生き方を実践している割には少しだけ優雅




田舎暮らしの夜


昨年の冬に泊まった時は、なんて寂しい田舎暮らしなのだろうかと、不安な気持ちになったのを覚えています。でも今は、そんな寂しい夜がとても心地良い



身体が冷えてきたら、暖かくしている部屋の中へ戻ってソファに奥深く腰掛けて、そして静かにピアノの曲を聴いたりして。




曲名はわからなくても、聴く曲聴く曲がとても心地が良い。心の奥底まで入り込んでくる気がします。そんないつもの静かな夜。



ゆったりと流れる時間に本当に身を任せられるようになった今、この感覚を静かに味わっていたい。ずっと。



夜はただ睡眠剤を飲んで眠るためだけのもの。東京のアパートに住んでいたころは、そんな風に感じていたような気がします。今、ここでは夜の深さを味わえるようになりました。



寂しさという感覚。それは一体どういう感覚だったのだろうか。そんな感覚すら忘れてしまったような気がします。



自分で弾く下手くそなピアノ(シンセ)の音もとても心地良い。



読みかけの本をまた開いて。




眠くなったらベッドに入って。こんなシンプルないつもの夜。



そしてまた野鳥達に起される朝を向かえます。



今日もお疲れ様でした。
おやすみなさい。

2019年1月7日月曜日

働かないで生きる、お金を使わない生き方

働かない生き方、なるべく働きたくないのでお金を使わない



働かない生き方が出来ないものだろうか。


出来ることならば、なるべく働かないで暮らしたい。今思えば、ずっと僕は、そんなことを考え続けながら会社員生活を送っていたのかもしれません


そんな自分が今、山奥住居のボロいバルコニーでこの記事を書いております。

働かないで生きる






1 働かない生活を実践している現在


会社員生活の定年までは、あと、30年、25年、20年...。その長さを常に感じながら、ついにはメンタルまで壊してしまって...。



でも、ふと気が付いてみると、いつの間にか今の自分は、あこがれていたそんな生活、働かない生活の中に身を置いていたりするのです。時折、あれれ?とタイムスリップしたかのような感覚を覚えます。



丸太で囲んだだけの庭でコーヒーを飲みながら、そんな自分がよく考えることは何年間も続いたあの葛藤は何だったのかということ。



定年まで苦しみ続けなければならないと、かたくなに信じ込んでいたのは何故だったのだろうか。



きっと魔法にかかっていたんだよな、と、働かない暮らしにある今、時々過去の自分のことを、そんな風に感じます。



やはり自由は良いです。生きていてこれ以上のことはないと思うほどに。



2 誰もが働かない生き方に踏み出せない理由


なるべく働かないという生き方の選択肢。その選択肢は誰にでもあるように見えて、実はそうでもないということも事実。



お金とか生き方とか、おそらくそういったことには、かなりの思い込みが働いてしまっているんじゃないかと思います。



今まで生きてきた習慣というか固定観念というか、お金は絶対的なものという、多分そういう感覚。



かく言う自分も会社を辞めるまでは長い長い葛藤がありました。生きていくには毎月30万円は必要なはず。かたくなにそう思っていました。




お金を使わない生き方など出来るわけもないし、第一、そんな生き方はつまらない



この感覚は揺るぎのないものでした。



だから働かない生き方を可能にしてくれるベースは「働かずに稼ぐ」ことだと思い込んでいる人が大多数なのではないでしょうかね。でも、実は違う(と思う)。



お金に依存せず楽しく」という視点。こっちの方が100倍重要。この点についてまず始めに言及しておこうかと思います。



もちろん、働かずに稼げれば最高。でもそんなことばかりに囚われていたら、あっという間に一生は終わってしまうかもしれません。と、僕は今もそう思っています。





3 働かない生き方と住居費の関係


僕は現在、月に6万円ちょっとの支出で毎日楽しく暮らしています。東京にいたころは家賃だけで7万円出ていきました。1年間で84万円。10年間だと1,000万円近くが家賃だけで出て行ってしまいます。




働かないで生きる基本ベースには、この家賃が発生しないという状況が大きく寄与しています。



もちろん、僕が今住んでいる中古別荘はお金を出して購入した家ですが、東京の家賃ベースに換算して考えれば3年半ほどで償却してしまう程度の額です。



つまり3年半経てば、後は一生タダ



住むところがタダであれば、働かなければならない理由は大きく減少します。東京に居座りたい理由があれば仕方のないことですが、地方で自分の好きな環境を見付けて、そこに住んでしまえば、自由度の高い生活が出来るひとつの例ではあります。




2~300万円台の物件、探せば日本全国どこにでもあるのではないでしょうか。さすがにこの値段では、自分でいろいろと直していく必要があるとは思いますが。でもそれも、すごく楽しいことなのですよ。





4 働いている人の娯楽費、交際費


娯楽費、交際費が毎月かなり大きな支出になっている方も多いと思います。「働いて稼いでいるのだから、使って楽しむべきだ」という感覚なのですよね。僕もそうでした。



働いて稼いで、ストレスをため込んで散財。このルーチンが何年も続きました。実に馬鹿げた働き方だったと、今になって思います。




働いているときは、そういう支出が絶対に必要なものであると思い込んでいたのかもしれません。だから月6万円での生活など想像もできませんでした。



でも、今の毎日の生活は働いていたころより何倍も楽しいのです。6万円あれば十分





5 働かない生き方のミニマムな支出と収入

5-① 働かない生き方と支出、収入


僕の場合、毎月支出は6万円です。山奥での生活を始める前に月にいくらあれば生きていけるか試算していますが、その時は3万円という結果でした。



でも3万円はさすがに無理でした。欲張り過ぎ(笑)。



半年以上、生活してみて妥当なラインは6万円というという結論に至っています。月の支出、6万円の内訳はこちらの記事に記載しています。→ 山奥で暮らす田舎への移住、隠居1ヶ月目の感想


働かずに暮らす山奥の住処は斜面に建っております(笑)
月6万円で暮らす


6万円ってどうでしょうか。大学生のアルバイト代。もしくはそれ以下の金額です。



この金額で楽しく生きていける基盤を確立できてしまえば、後はその金額を得るだけの労働をすれば良いということにもなります。もう無理には働かない。そう思っても良い気がしてきませんか?



働かないで稼ぐ」なんて視点より「お金に依存せず楽しく」という視点が重要だと冒頭に書いたのは、こんな考え方が背景にあります。


お金に依存せず楽しく


毎月の支出6万円だけ収入を得れば、後は好きなことを自由に。



そして現在、本当にそんな生活を送っています。都会に暮らす人から見れば、物凄い貧乏生活を想像してしまうかもしれません。でもそんなことはないのです。欲しいものは買うし行きたいとこには行きます。



ただ単に「無意味にお金を使う世界」と決別しただけのことなのかもしれません。



山奥の中古別荘に住んでしまったが故に、毎日が趣味の世界、DIY。そして山菜や畑を楽しんで、たまに市街地へ。疲れたらネットの映画を観ながらゴロゴロ。



たまに遊びに来てくれるフォロワーさん達とバーベキュー(材料は持参してもらってます)。





どこにいてもお金を掛けないで楽しめることを見つけてしまえば良いのではないでしょうか。それが働かない生き方につながる第一ステップになるかと思います。



そんな感じで生き方そのものを少し見直してみると、お金って実はそれ程必要ないかもしれない。と、そんなことにおそらく気が付くと思います。



6万円で生活できるなら、一日の収入は2,000円で良い。こんな視点も面白いのではないでしょうか。



一日2,000円。



ちょっとアルバイトをすれば得られてしまう金額です。でもこの金額、ブログをある程度書き続けていれば達成できてしまう金額でもあるのです。←ここ、重要



このブログは書き始めて1年ちょっと。書いたり書かなかったりという、いい加減さが出てしまっていますが、それでも既に毎月3万円の広告収入が入ってきています。



ブログで一日に何万円もの収入を得ることは不可能なのかもしれません。しかし2,000円であれば十分に実現可能です。これは感触的に強くそう感じます。



やりたいことをやりながら、自由に生きながら、ブログだけはコツコツと。目標は大きくもなく小さくもなく6万円。到達時期は2年後。3年後でも良いと思ってます。



重要なのはその範囲で生活していくということ。



人生は全て実験です。試してみる価値はあるのではないでしょうか。ダメなら2年後に何か考えればよいし。無理に働かなくても少ない消費という土台があれば、道はいくらでもある気もします。


5-② 働かない生き方と趣向品への依存

趣向品への依存。働かない生き方を考えている人にとっては非常に大きな課題になるかもしれませんので、ここで少し触れておこうかと思います。



例えばタバコ。世の流れは禁煙に向かっていますが、僕が会社員になった90年代はほとんどの男性社員が喫煙者でした。僕もかれこれ30年間にわたって喫煙しています。



でも辞めました



会社員時代は、大げさでなく100回くらい禁煙にチャレンジしていますが、毎回失敗に終わっています。そんな自分がなんともあっさりと辞められました。



禁煙に成功した理由はとてもシンプル。それは、生涯喫煙代金をリアルに把握したから。金額の大きさにビビってしまったという理由です(笑)。それだけ。



一箱450円。毎日吸って、50歳から85歳まで35年間吸い続けると、値上がりを考慮に入れなくても、450円x365日x35年 = 574万円! なのです。今から570万円もかかるのです。



山奥の別荘なら2つ買えてしまう金額。さすがにアホ臭くなりました。そんな自分のセコさが幸いしてか、働かない生活を選んだ瞬間に、30年来の喫煙習慣と縁を切ることができたのです。



タバコは美味しいと思って吸っていることもあるとは思うのですが、ほとんどは惰性か習慣的なものです。ニコチンへの依存という面もありますが「そんなお金の掛かるものはいらん!」と思うことが出来れば、意外と簡単に辞められるんだということを理解しました。




喫煙者は要は金持ちなのです。570万円も煙に払い続けることを考えれば、普通に辞められます。ですので、辞めましょう。もったいないです。



他の趣向品も捉え方は同じ。自分の生活に分不相応なら辞める。あれこれ考えずに、これくらい単純な切り口が良いかと思います。



6 働かない生き方に必要な貯金額


もう既に上述してしまった通り、住む場所を手に入れて、毎月の支出をミニマムにして
、それを補填するだけの最低限の収入があれば、貯金はほとんどいらないのではないかとも思っています。



僕の場合、ブログ収入がまだ3万円程度です。ですので収入が支出を上回ってはいません。毎月3万円程度は出ていってしまいます。



この観点から言えば、働かないで12か月生きるには貯金が36万円必要だし、5年間では150万円ちょっと必要ということになるのかもしれません。



でも大丈夫



全然気にしてません。今のスタイルの消費や支出であれば、たぶんなんとかなります。ただ貯金ゼロでOK!と言っているわけではないです。



俗に言われている「セミリタイアには2,000万円必要」とか、そういう次元は完全に否定、という意味です。



そんなにいりません。全然。



7 収入が足りないなら少しだけ働く

ブログ収入などの少額の不労所得ベース、そんな形での働かない生き方にひとつのストーリを見立てているのですが、それが不可能だった場合、つまりは、いつまで経っても必要な支出に収入が追い付かない場合、どうするか。



その辺を少し紹介しておこうかと思います。



何度も触れている金額ですが、支出は6万円。そこに不足する金額なので必要な労働は最大で6万円分



①介護施設や老人ホームなどの宿直


勤務時間は19時から翌9時まで、拘束時間は14時間と非常に長いですが、22時から6時までは宿直室で眠ることができます。そこに居れば良いというだけの仕事です。伊豆周辺にはこの手の仕事が沢山あります。



日当は6千円3日に1回勤務で月額6万円。かなり安いですが、自宅で眠る代わりに宿直室で眠るだけなので勤務地が遠くなければ、良いかと思っています。


②農作物の収穫時期だけの手伝い

お米やイチゴなどの農家で繁忙期だけ働いて、日当8,000円、年2か月で30万円ちょっと。単発のアルバイトとして良いのではないかと思っています。



まだ真剣さが完全に不足しているので、働くことに関しては、これらくらいしか出てきません。本当に、かなり楽観的に捉えています。しかし6万円ならば、選択肢はいくらでもあるのは事実です。あくまで楽観的。




8 働かずに何を目標に生きるか


僕自身は今、人生に目標などを設ける必要もないとも思っています。けれど毎日毎日会社に通っていた人が急に働くことを辞めれば、この目標の喪失感というような感覚にとらわれるということも多いと聞きます。



しかし少数の人を除いて、いずれは誰もが働くことを辞めるのです。だから働かないで生きたいと考えている人でなくても、この点はきちんと考えておく必要があります。




労働から解放された自由時間を充実させるには積極的に行動することも必要であることは事実。



ダラダラ、ゴロゴロしながらも、やりたいことはやっていく。人とのつながりというのもそのひとつなんだと思います。




毎日が暇で暇でしょうがない。そんな愚痴を得意とする方もおられるんじゃないかと思いますが、人生の自由時間は自分自身の考え方と行動でいかようにも充実したものに変えることが出来るはずなのです。



例えばブログやツイッターを通して、自分自身や自分の生き方に関心を持ってくれる人達とのつながりを増やしていくこと。



そんなつながりの輪を広げていくということも自由時間を充実させる上でのひとつの糧になりえるということを、この山奥に住むようになって強く感じています。



誰でも何でも発信できる時代です。少しだけやる気を出せば、その先の世界は無限であるようにも思えます。山奥に住み始めてから、まだ1年ですが、連絡を取り合ったり遊びに行けたりする仲間がもう2桁以上にもなりました。



実に不思議な現象ですが、少しの行動を心がければ、いろいろな側面で充実感を得やすくなるという、ひとつの例かもしれません。



自由に、気楽に、そして楽しい輪が広がっていく世界。働かない生活を選んだが故に得られた世界とも言えるような気がします。



正しい生き方正しい考え方などは、多分存在しないのではとも思っています。しかし、長いか短いかはよく分かりませんが、人生が一度きりであることは確かなはずです。



ですので、物凄く窮屈だと感じているのであれば、好きなように生きてみるというのも良いのではないでしょうか。



ただ、その先は各自の判断



僕自身は働かない生活の中に心地良いリズムを見つけられたのだと思います。



要は肩の力なんか抜いてしまって気楽に生きちゃいましょうということ。思い込みや強固な習慣の中にも、自分で崩した方が良いものもあったりします。



働いている今の自分の生活が最高と感じているのであれば、それはそのまま継続した方が良いと思います。



それに何が心地よいか人それぞれです。



ただ浪費するために苦痛な労働に身を置いているのであれば、一考も良いのではないかと思い、この記事を書かせて頂きました。



自分の心に耳を澄まして。そして是非、軽やかに。







9 働かない生き方とは、こんな日常


ここからは働かずに生きていくヒントになるかもしれない(なったらいいな的な)、僕自身の現在の生活について紹介していこうと思います。



山奥の生活という特殊な環境ではありますが、お役にたてれば。


9-①働かない生き方--自然を食す--

繰り返しになりますが、お金を稼ぐことよりも楽しく生きる、このことに視点を持っていった方が、全てにおいて上手くいくという確信があります。



例えば自然の中に存在する食材。それらを見付けて美味しく頂いてしまうなんて行為は、節約という観点は超えてしまっていて、かなり強めの幸福感を得ることもできたりします。



山の中だから、そんな自然の食材が沢山あるとも言えるのですが、人には見ようとしないものは見えないという特性があるのも事実です。



周囲に素敵なものが転がっていても、実は見ようとしなければ、見えません。山奥に住んでいても、そういうことには一切興味なし、という方々も実に多く、このことはとても不思議。



しかし、逆に言えば、都会に暮らしていても自然の恵みに目を向ける意識があれば、かなりいろいろと得られるのではないかということでもあるのです。是非。





春夏秋、冬以外は何かしら自然の恵みにありつけます。そんな視点を持って生き始めてみると、浪費の為にあくせく働いていたことが、やはりあまり意味がなかったという結論に導かれたりもします。



9-②働かない生き方--持ちよるという形--


ここに遊びに来てくれる人の多くは、何かしら食材を持参してくれます。とてもありがたいことです。誰かが来るから大量に食材を用意する、そんなことはしないで良いシステム。いつの間にかそんな感じに(笑)。



だからバーベキューも気軽に出来るし、無理せず楽しい時間を過ごすことができます。お互いに無理をせず気を使いすぎず、適度に。ナスや玉ねぎを焼くだけでも十分楽しいのです。



ちなみにこちらは焚火兼用のバーベキューコンロ。100円の重量ブロック18個を積み重ねただけの代物ですが、これで十分です。冬場は焼き芋も楽しめます。



天気が良くなければバルコニーでもんじゃ焼きなんていうのも定番。メイン材料は小麦粉なので材料費も激安です。




働かない生き方を通して見えてきたことのひとつは、あまり特別なイベントなど設けなくても十分楽しいし、無理にお金を使う必要もないということ。



皆が消費をして社会の経済が回ることは大切だと理解していますが、僕が回す必要もないという結論です。





他にもお伝えしたいことは沢山あります。後日、追記として書き足していこうと思います。





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