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2019年12月30日月曜日

思いっきり自由に生き始めて2年目の年末

思いっきり自由に生き始めて2年目の年末



この山奥の別荘地に移住して思いっきり自由に生き始めてしまって2年。今、この年末に思うことを少しだけ紹介しようかと思います。



直近の5年間は自分の人生にとっておそらく最悪でかなりキツイ期間でした。うつ病やら、休職やら、別居やら、退職やら....。



そんなこともあって、ここでの2年間は、本当によく眠ってよく食べてよく遊んで、あっと言う間に過ぎていった、そんな悠々自適な、自由に生きてると感じられる毎日にだったと思います。





ここに移住する以前は、何度も何度も最悪のシナリオなども頭の中を行ったり来たりしていました。本当に危なかったと今にして思います。



あれは苦しい時期にことだったのだと、自分の人生や自分の物事の捉え方を、かなり客観的に見ることができるようになっているのは、奇跡的なことなのではないかとも思います。



働きたくないという思いま今もまだ強いため、いまだ経済的な問題は解決できていないというのも事実です。でもそのことに関しては大した不安もなくなんとかなるという感覚で生きられています。



この感覚自体も数年前の自分には絶対にありえなかったものだったのかもしれません。



1年間での出会い


暖かくなってきた時分、以前から気になっていた、山奥唯一の喫茶店に恐る恐る顔を出してみました。こんなところにある喫茶店なんて、なんかすごく閉鎖的に感じません?本当に恐る恐るでした。


写真はイメージ画像です。


でも間逆だったのです。とても心地良くて楽しくて、いつしか週末は必ず顔を出すようになってしまいました。このお店でママさんと出会えたことは自分の生活の大きな転機にもなったと感じます。



だってピヨ子と出会えたのですから。



こちらその当時のピヨ子です。今年の5月。





そして現在のピヨ子。ちなみに雄です(笑)。




ウコッケイを飼ってみない?というママさんからの執拗な問いかけ(すみません)に、いつしか「お願いします!」と言ってしまった自分。ママさんは有精卵から何羽も羽化させていて、その内の一番可愛い雛を頂ました。



ウコッケイは生後3~4ヶ月経たないと雌雄がわからないため、この時点では当然オスなんのかメスなのか、分かりませんでした。でも可愛いのでピヨ子と命名。



4ヵ月後、コケコッコ~!と雄たけびをあげるようになりましたが、いまだピヨ子と呼んでおります(笑)。



いずれ犬か猫を飼おうと思っていた自分が、今、室内でウコッケイと仲良く暮らしています。縁というのは実に面白いものです。そして実にありがたい。



テッシュペーパーでフンを拾い、落ちた羽を掃除機で吸う。終日こんなことを繰り返しています。でも大型の鳥がキッチンでもトイレでもバルコニーでも僕の行くところ行くところに付いてくる。すごく可愛いと思いませんか?本当に可愛いやつなのです。




ウコッケイつながりの友達も沢山できてしまって、勇気を出して踏み出した山奥喫茶店への一歩が僕の世界を大きく広げてくれました。そして幸せな気持ちにさせてくれました。この場で再度、お礼を言わせて頂きます。ありがとう。



彼女との出会い


一度このブログに書いていることなので、再度書くのは気が引けますが、僕にとっては大きな出来事ですので、また少しふれさせて頂こうかと思います。彼女は4月に遊びに来てくれたツイッターのフォロワーさんでした。



いつものパターンで庭でバーベキューバルコニーでコーヒー、いろいろと話をして楽しい時間を過ごさせて頂きました。いつもなら、ありがとね~っという軽い感じなのですが、この時は少し違った感覚を覚えました。また本当に会いたいなぁ。そう思ったのです。



自然もDIYも好きだと言う彼女の言葉に、手伝ってくれたらなぁという感覚もあって、その後も頻繁に遊びにきてもらうようになりました。そしていつの間にか、駐車場や玄関、裏庭...もう全面的に手伝ってもらっています。



冬場は毎年、冬季うつぎみになる自分ですが、今年の冬は大丈夫そうです。メンタルの支えにもなってくれていることにも本当に感謝しています。この誌面でも彼女には感謝を伝えておきたいと思います。ありがとう。



春も夏も秋も冬も


そんなこんなで、一年を通して自由に生きてしまって、楽しい時間がずっと続いてきたように思います。移住当初は、世を捨てて山奥一人暮らしと力んでいましたが、人と接することで開けたことの方が圧倒的に多いということも事実です。



人は自由を求めます。でも、自由を手にした瞬間、そんな自由につぶされてしまう人も多いんじゃないかという気がします。完全な孤立は自由であって自由ではないのかもしれません。



だからこれからもまた、来年もまた山奥に居ながらも人とのつながりは大切にしたいと思っています。このブログもツイッターも。



みなさん、来年もまた、よろしくお願い致します。


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山奥引きこもりの1ヵ月半


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2019年10月23日水曜日

山奥一人暮らしを応援してくれる人の存在

山奥一人暮らしを応援してくれる人の存在



伊豆の山奥のど田舎で一人暮らしを始めてからかれこれ1年半が経ちました。移住後はブログを介して、ツイッターを介して多くの方々遊びにきてくれました。東京や関西の友人達も遊びにきてくれました。




そのことが大きな励みになって、そして誰かが来るというタイムリミットがあったことで、室内のDIYもかなり進めることができたような気がします。孤独感もおそらく払拭できたように思います。



そして新参者の自分と親しくしてくれるこの山奥に住んでいる、勝手に友人と呼ばして頂いている方々の存在も大きな励みとなっています。ウコッケイつながりの方々、喫茶店のママさん。




そんな恵まれた環境に生きてしまっているのですが、この山奥に遊びに来てくれた方の内の一人と特に親しくつき合わせて頂いていて、実はかれこれ半年になります。



ブログやツイッターではこの話題には触れてはいなかったのですが、あえて今回この記事で触れさせて頂こうかと思います。



心の大きな支え


会社を退職し、離婚をし、全てを捨ててこの山奥へ移住してしまった自分にとって、周囲に誰もいない静かな山の中での暮らしはとても新鮮で心地の良いものでもありました。



しかしながら、気楽にのんびりと暮らしてはいても、時折、ふと、うつ的な心的状態へのより戻しがあったことも事実ではあります。



家やバルコニー、広い敷地のDIYを進めていくことは、そんな心的状態を払拭するにはとても良いアイテムではあったのですが、それらが進んでいくことの喜びを誰かと分かち合えたらとも思っていました。



時折ブログでDIYを記事にしていたのはそんな思いからでもあります。



そんな僕の心情を知ってか知らないでか、働かない生き方を選択してしまっているこんな自分と一緒にDIYを進めてくれるという人が現れてくれました。



そして実はもう彼女には玄関や風呂場、駐車場、その他いろいろと手伝ってもらっています。



今まで自分ひとりでやってきたことを手伝ってもらい、完成を一緒に喜んでくれる人が存在する今、このことは本当に大きな心の支えになっています。



今だ収入面では何の施策も立てていない自分ですが、今のこの質素な生活でも何の問題もないとも言ってくれるような人でもあります。



この先のことを決めるかどうかはまだ全然わかりませんが、こんな良い関係がずっと続いていってくれたらとは思っております。



良い人にめぐり合えたこと。このことには、この山奥の住処を手に入れたことと同じくらいに感謝しています。



怠惰な生活は依然として続いていくとは思うのですが、大切にしたい人がいるという事実は、どんな薬よりもメンタル的にも効いているのではとも感じています。



ブログの内容は今まで通りになりますが、一応、お伝えしておこうと思い記事にさせて頂きました。



余計な内容であしからず...。



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山奥一軒屋、別荘地生活のすすめ


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2019年9月5日木曜日

50代でセミリタイアしてしまった話

50代でセミリタイアしてしまった話



50代でセミリタイアした話はこのブログのテーマに近いことでもあって、もう既にいろいろと書いてきた事なのではありますが、改めて少しまとめてみようと思います。


50代でセミリタイア


というのもネット上に出てくるこの手の記事、セミリタイアに関する記事があまりにアホらしい...ので。



ちなみにその手のキーワード(セミリイタイア 50代)での検索はしないことをおススメいたします。「50代でセミリタイアするには少なくとも1億円は貯金が必要...」みたいなことが平気で書かれていたりします。



ばっかじゃないのという感じモリモリなのです。



大体、1億円も貯金があるヤツなんて日本に何%存在するのだ?それに1億円って一体何に使うのだ?



こういう金額って、一年間で200万円、100歳まで50年生きるような掛け算で算出していると思うのだけど、そもそも一年間に200万円も使うジイさんなんて気色悪いつ~の。



おそらくは、最後の最後、高級な老人ホームに入居するとか、そんなことを考えてるんでしょうね。確かにかなりの資金が必要になるとは思います。




ただ、それは極一部の方の、お金が余って仕方がない方の話であって、数パーセントの方の話であることだと理解しておきましょうかね。



実にバカげているので、もう少し真っ当な話をしたいと思います。


50代で早期退職セミリタイア

僕は先月53歳になりました。年金がもらえる年齢まではあと12年ほどあります。年金の金額はというと、厚生年金ではあるのですが元妻との離婚の際に分割の手続き(離婚した妻と50:50にする手続き)をしているので半分しかもらえません。



しかも退職後は年金の納付を免除してもらっているので会社員を60歳まで続ける人と比べればかなり低い金額になると思います。勝手に想像している金額なのですが、多分、月額8~9万円くらいではないかと思います。



この想像している金額が妥当で、もし月に9万円支給されるなら余裕のよっちゃんで生活していける自信はあります。だって、50代でセミリタイアした2年後の現在、月に6万円台で生活できているのですから。



年をとればもちろん医療費がかかったりもするとは思います。事故に会うかもしれません。でも活動範囲は狭くなるだろうし購買意欲も更になくなるはずなのです。そんなこんなで相殺すれば今現在と同じなのではないかと思ってます。



それになのですが、何歳まで生きるかなど実のところ誰にもわからないことなのですよ。100歳までと考えておくのも良いとは思いますが、85歳くらいまで生きられれば十分じゃないですか。85歳だとすれば僕の場合、あと30年ちょっと。



1年間なんて本当にあっと言う間に過ぎていってしまうので、本当にあっという間に85歳に到達してしまうと思います。あれれ、って感じじゃないでしょうか。だから自由に好きなように生き始めてしまいました。



50代でのセミリタイア条件


自分自身がセミリタイアというか隠居というか、そんな感じで生き始めてしまっているわけなのですが、この生活に入るには幾つか条件がいるのではないかとも感じています。



というのも、まずひとつめなのですが、似た境遇にいる人達が必ずしも楽しそうに生きていないような気がするから、なのです。



あくまで想像ですがそんな気がしています。ある人は、常に暇で暇でやることがないと嘆いております。ある人はお金がもっと欲しいとお金の話ばかりしています。




セミリタイヤするのは暇になりたいからでもあるし、お金を稼ぐような生活と一線を置きたいから、のはずなのです。少なくとも僕はそうでした。



ですのでセミリタイヤに対するこの目的ともいえる部分を自分なりによく捉えておかないと、かえって辛くなることもあるような気がします。



ふたつめは身軽であること。配偶者がいてもセミリタイアは可能だとは思いますが、奥さんが働いていて自分が好き勝手に生きるというのも中々に難しいことのように思います。



僕自身はセミリタイアと同時に離婚をしてしまったので、もう後は自分のペースでという世界におります。



支出に関しては前述していますが月6万円。多くても10万円。それくらいの範囲で楽しく生きていける道筋を見つけること。そのお金をそれまでに貯めておくか、毎月それくらいを稼ぐくらいの軽い仕事をするか、だと思います。もちろん両方でも。



僕はブログの広告収入だけでBライフを成立させるというような夢のような野望も持ってはいますが、最近はこのブログも書いたり書かなかったりで訪問者数も当然あまり伸びてはいません。それでも毎月2万円程の収益をGoogleから頂けています。



実のところ、こんな感じのダラーっとしたブログでも月2万円程の収益になったりするのです。読んでくれる方が面白いと感じてくれることを書き続けていけば、おそらく誰でも6万円には到達してしまうのではないかとも安易に思っています。



ですので、現在も働かない生き方を実践中ですが、また本腰をあげてブログを書き始め目標金額までは到達させてみようと思います。



話にまとまりがないですが、言いたかったことは、セミリタイアのハードルはそれほど高くないということ。そして突入してみて暇だなんて嘆かないように、人生の自由時間の謳歌の仕方を自分自身で見つけていくこと、です。



お金という視点だけで見ない方がいいかもですよ。なんとかなりますから。



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伊豆の別荘100万円ポッキリを見てきたぞ


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2019年6月16日日曜日

どんな人生であれ結局、人生は自己満足

どんな人生であれ結局、人生は自己満足


どんな人生であれ結局、人生は自己満足なのだという話をよく聞きます。僕自身も強くそう思います。自分が100点だと思えば100点。誰かに採点してもらうものではないはずです。


人生は自己満足


ただ他人を満足させることが自分の満足になるという人も多いはずです。ですので自己満足とは、単に利己的に生きましょうということとも、少し違うのかもしれません。



一般には、湧き出てきた欲求を満たすことが満足と定義されるかもしれません。このことを否定するつもりありませんし、全ての欲求を抑え込んだ仙人のような生き方が良いとも思ってはいません。



でも、ひとつだけ、この満足に対してよく理解しておいた方がよい点を、僕なりの見解ですが紹介しておこうと思います。



それは依存ということ。欲求と依存との境界線は当人にとっては非常に不鮮明です。例えばお金を使わない生き方を僕は実践していますが、もしギャンブルに依存していたら絶対に無理なことです。



たいして好きでもなかった、でも、ちょっとした切っ掛け、そんなことでのめり込んでしまう依存状態持っていたら、何が自分の真の欲求か、本当にわからなくなると思うのです。



依存に関してはいろいろな解釈があろうかとは思いますが、明確に言えることは、繰り返し行うことが、いつしか日常となってしまうということ。



であれば、続ければ自分のプラスになるであろうことを続けた方が良いと理解できるはずです。だから働かないよりは働いた方が良いとも言えます。プラスになるのであれば。



マイナス方向に寄与するであろう対象に依存しても満足は絶対に得られないと僕はそう思います。。


コツコツと続ける満足

今、かなり古い中古の別荘で暮らしていますが、ダラダラ生活のなかにあっても、DIYをコツコツと続けております。木材やセメントを扱うのは普通に考えたら、とても面倒なことです。




でも2年間続けてきたら、家の外観も内装も、ものすごく良くなってきて、今はDIYにある種の依存を感じてます。



ダラダラ人間の自分が言うのもおこがましいとは思うのですが、満足とは、やりたいことというより、やり続けたこと、に感じやすいのではないでしょうかね。これはひとつの結論。


幼少のころの夏休み

一方で幼少のころの夏休みや学生のころバイクで自由奔放に放浪していた時期のような感覚を最近、たまにではあるのですが、そんな懐かしい感覚も思い出すようになりました。



この山奥で寝て起きて、食べて、畑を作って、自生している植物を採取して、そんなものも食べてみて、そしてたまに海などへドライブに行ってみたりして...。これもまた完全なる自己満足の世界。




そんなテキトー極まりない生活の中にあるわけなのですが、こんな生活の中に何十年も前に感じたことのある、ホワーっとした気持ちの良い感覚がオーバーラップする時があります。



もっともっと」というような感覚がどこかに置き去りにされているような感じなのです。だから実に気持ちがいい。




山奥での生活にもその内に飽がくるのではないかと危惧していたこともあったのですが、何故か日を追うごとに、これ良いなぁ~という思いが強くなってきたりもします。



自分でも不思議な感覚なのですが、今が一番良いという脱出不能な状態になっているような感じです。誰に自慢するわけでもなく、自分が心地良い。そういうのが一番危険かもなのですが(笑)。



前回、うつ病から山奥へ移住して一年、にも書いたのですが、悩み事や不安なことのない時間の中にあると、何か自分を誇示して文字にしてみたり、文字にするために何かをやってみたりということも、かなり減ってきたりもします。



そのことがこのブログの更新頻度の低さに出てしまっているのは申し訳ないことではあるのですが、多分これは真理ではないかとも思います。



心静かに座ってみる

瞑想的なものはあまり得意ではないのですが、目をつぶって自然の音を聴いているだけというのもすごくしっくりとくるようになってしまいました。もうこれは死期が近いのかもしれません(笑)。




でも人生が80年あるとすれば、僕の場合まだあと30年くらいあったりもします。しかし、おそらくは、こんなことをしている内にあっと言う間にそんな時間も過ぎていってしまうのではないでしょうかね。



それに、これは少し声を大にして言いたいことなのですが、老後とか人生100年とか、そういうのあまりい深く考える必要ないんじゃないでしょうか。人生って常に今だと思うのですよ。



これは今を楽しみましょうとか、今を生きましょうとか、そういうポジティブな提言とは少し違うのですが、今、若者である人もいて、今、中年である人もいて、今、老人である人もいるということだけのことです。



それぞれが今を生きているだけ。そういうことじゃないかと思うのです。働かない生き方を続けていくならば、蓄えは必要かもしれません。でも余計な心配はあまり意味がない。どうせ何歳になっても常に今を生きるのですから。




争ったり闘ったり

闘ったり争ったり、無駄に溜め込んでみたり、そういうことを今までは、おそらく面白いことだと思っていた人間です。会社員時代には闘争本能をむき出しにして自分自身をも酷使もしてきました。




そういう時期は人間には必要なのだと今もそう思っています。



闘うこと争うこと、奪い取ること、そういう欲求が経済をまわして社会を進化させる動力源になっていることは疑いのない事実。仕方のないことだとも感じます。



でも、それって社会のためであって、実は自分の為ではないような気もするのです。



人の中に埋め込まれている本能的な部分大半は人類の為のものなんじゃないのかなぁ。自分の為だと思って欲を振りかざして競い合っていることは、実のところ大して自分の為ではなかったりするのですよ。



まぁこんなことを考えるのは自分がジイさんになった証拠でもあるような気がしますが。



でもこのことに気が付くとかなりラクになるのは確かだとも思います。



山奥には今日もそんな事を考えている人間が一人おります。



人生は自己満足。どんな形で満足するのかは人それぞれなのですが、働かないで生きる、こんな生き方もあるんだといことを紹介させて頂きました。





みなさん良い休日を。


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ブログのタイトルをshigeに変更しました



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2019年4月15日月曜日

気の向くままに脱力して生きる

気の向くままに生きる、今を生きる


この山奥に移住してきてからもう直ぐ一年になろうとしていますが、働こうという意欲が一向に沸いてきません。相変わらず脱力モード全開、気の向くままに、可能な限り今を生きるようにしております。



移住して元気になったら働こうかなどと少しは考えていた気もしています。しかし労働への意欲はゼロです。お金を使わない生活を選択中。




労働意欲がわかない理由は、たまには考えますが、無職であることに退屈していないからだろうということにしています。



この地で知り合いになった年配の方の話ですが、移住して5年ほどは働いていなかったそうです。でもついに週4日、働きに出はじめたとのこと。



理由は暇だから、ということでした。貧乏生活が嫌ということでもなく。



山奥に住み始めていきなり退屈になって働き口を見つけに行く人もいます。5年ほど経ってからという人もいます。共通しているのは、みなさん、直接の理由はお金でないということ。ただ暇に耐えかねてという話。



う~ん。やっぱりそうなるのか。



でもなぁ、なんだか勿体ないのですよ。暇だから働くという発想が。定年退職の方は選択はなかったのかもしれませんが、早期退職のような形で仕事を離れた方は、よくよくの思いだったのではないかと、勝手に想像してしまうのです。



僕自身も凄く悩みました。そして退職を決め、実際に退職した後でも仕事をしなければならないとか、仕事を通してしか何かを見出せないとか、そんな強迫観念めいたものに襲われていました。



そんなものから解放されて自由気ままに生きている現在。とても快適なのですが、この心境が数年で変わってしまうのかもしれないと思うと少しだけですが、心配にもなってきたりします。




まぁいいか。人は人なのです。各自、自分が楽しいと感じるように生きれば良い。



春の種まき


先週は大粒の雪が舞った伊豆の山奥ですが、さすがに春になりました。ポカポカ陽気なので、バルコニーのプランターへの種まきを追加しました。今回はチンゲン菜ベビーリーフ




もう暖かいのであっと言う間に芽を出してあっという間に大きくなってしまうと思います。楽しみです。後はきゅうりとトマトの苗を数本買って、今年の準備は完了。苗は5月に入ってから買います。



客用の部屋の改造


寒いとDIYも一切やらなかったのですが、暖かくなってきたので少し意欲が出てきました。客用の部屋は何も手を入れていないので、壁は緑色の砂壁。押入れの中の壁もボロボロ。



今日から本格的に作業を始めました。この部屋の壁もリビングと同じコンクリート模様にしようと思ってます。コンクリ柄の壁紙は今までに3種使っているのですが、打ち抜き柄が入っているのが一番カッコ良いのす。




ただ柄が入っているので切り貼りの作業がかなり複雑になります。同じ位置に来るように貼らねばならないので作業時間は2倍くらいになってしまいます。



今日は押入れの中のボロ壁をコンパネで張りなおす作業を並行してやりました。床下からの冷気もあったのでコンパネ周りはシーリングしました。




久々の電ノコ、電ドラで疲労困憊となってしまったので、今日はここまで。



こういう作業を全てやり終えると、暇に耐えられなくなっちゃうんでしょうかね~。なんか悲しいですね、そういうの。



でも実のところ暇、大好き人間なのです。このままずっと脱力モードで生き続けてしまうのではないかと思っております。



部屋は一週間後、カッコ良くできたら、このブログにアップします!



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うつはまだ完治していないのかもしれない


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2019年4月7日日曜日

ぽつんと一軒屋、山奥のコーヒーショップ

ぽつんと一軒屋、山奥のコーヒーショップ


だだっ広い敷地で形成されている山奥の別荘地。しかしこの東京ドーム57個分とも言われる敷地の定住者はわずかに700軒。その為、この山奥には当然のように店などはひとつもありません



ただぽつんと一軒屋。山の中に一軒だけ喫茶店があります。僕の自宅からはクルマで7分。
店名はコーヒーミシェル。



先月から通い始めたのですが、お店の雰囲気と女将さんの人柄、客層、すっかりこのお店のとりこになってしまいました。女将さんの第一印象は「あたしんちのお母さん」。とても気さくな方でした。






カウンター席4人掛け。テーブル席2卓の計10名ほどで一杯になるこじんまりとしたお店です。カウンターにはいつも先客が1,2名いて、僕はその中に混ぜてもらっています。



始めて行った日のことですが、女将さんからいきなりニワトリを飼うことを強く勧められました。



あまりに唐突だったのでピンと来なかったのですが、女将さんは家の中でチャボを飼っているらしく、その後も自宅で2羽孵化させたとのことでした。



この時の感想は「すごいなぁ」という少し薄いもの。なんとなくニワトリを飼うという実感が沸かなかったのでした。



あれから一ヶ月。この間にもチャボやニワトリの魅力を沢山聞かせてもらっていたのですが、実のところずっとまだピンときていなかったのです。でも昨日、女将さんのチャボ君(名前はマル君)を見せてもらって、一変しました




かわいい~。腕の中にちょこんと座ってじっとしているマル君に、もう完全に一目ぼれ。チャボってこんなにも可愛い生き物だったのすね。



マル君はクルマで買いものに行くときも助手席でしずかに座っているらしいです。マル君を抱きながら、そんな話を聞いてしまうともう可愛さ倍増~。



オカメインコを飼いたくてペットショップを方々観て回っていた時期もあったのですが、入荷がなくて少し諦め気味になっていた矢先のマル君との対面。



オカメインコさんにもまだ未練はあるのだけど、マル君を観てしまって、もう心は完全にニワトリモードになってしまったのでした。



烏骨鶏(ウコッケイ)の雛


今、タマゴを暖めているそうです。うまくいけば今月の19日前後に孵化するとのことで、生まれたら一羽頂くことになりました。チャボは黒と茶色ですが、烏骨鶏は白色らしいです。



こちら参考の写真。烏骨鶏の赤ちゃん。



超カワイイ~。山奥一人暮らしもここで終止符をうつことになりそうです。こんなカワイイ奴が仲間になってくれたら、それはもう毎日癒されちゃいますね~。



こころが動かされる


動物を飼いたいとはずっと思っていました。オカメインコもその内のひとつです。でもニワトリ系はないなぁ~という感覚は心のどこかにあって、おそらくこの喫茶店に行っていなければ、飼いたいと思うこともなかったと思います。



ということは、僕の心はこの喫茶店に来たことで変わってしまったということなのです。すごいことだと感じました。たいして興味のなかったニワトリが、今では早く生まれないかなぁなんてことを考えるようになっているのですから。



人との出会いというのは本当に凄いものだと思います。出会うことで今まで意識を向けていなかったことにも興味がグングンと沸いてしまう。



人との出会いを大切にしていけば、これからも人生はけっこう楽しいものになるのではないかと感じております。



このことは僕の今の生活スタイルである働かない生き方とかお金を使わない生き方とは関係のないことでもあるように思います。働いていようが働いていまいが、出会いはあるし、大切にしたい。




そして、この喫茶店の女将さんとの出会いも実のところツイッターなのです。そんな小さな出会い。これからも大切にしていきたいと思っています。



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山奥なのに人に接する機会が増える不思議


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2019年4月2日火曜日

うつ病の克服とうつ病絶頂期のメモ

うつ病の克服とうつ病絶頂期のメモ


うつ病の克服を目指すことを目的のひとつとして伊豆の山奥の別荘に移住してきて約1年。浮き沈みの波はあるものの、かなり良くなったと実感できている今日このごろです。


そんな時分、iPhoneの中のメモアプリをふと覗いてみました。そこには日々何かを書き残す習慣があるのですが、その中にこんなメモを見つけコピペでツイートしました。





現在は2019年4月。このメモは2017年6月。2年も経っていない、つい最近のことです。自分でもこのメモには少し驚きました。心の状態というのは記憶に明確に残っていそうで、意外にそうでもないのだということを改めて感じたのです。



これはかなり不安定な状態のメモです。その少し前に3回目の休職に突入しているのですが、その時はもっとヤバかったということが分かります。




などと、他人ごとのように書いていますが、他人事のように感じていて、今、とても不思議な感じがしています。こんなメモや過去の記憶をたどってみると、うつ病は克服できたのではないかと言ってしまっても良いのではないかという感じにもなります。



しかしまた冬がきて寒さにやられ寝込むかもしれません。克服とか寛解などという言葉は10年後に使うことにします。どうでも良いことだし。



メンタルが良くなったのは山奥のおかげ

このブログでは「本当に辛かったら逃げ出してみるのも」という趣旨のことを何度かメッセージとしてお伝えしています。実際に今のこの山奥での、のんびりとした生活は逃げ出した結果として得られたものだとは思います。




そしてメンタルがここまで回復してきているのも克服できているような感じがしているのも逃げ出したからだとも言えそうな気もしています。



しかし何の拠り所も持たずに無職のまま、このままずっと生きていかれるかというと、これはまだクエスチョンなのです。



僕にもよくわかりません。ただ、メモに残していた状態と比べれば、今は多くのことにチャレンジできそうな感じではあります。



財政的にもまだ少しの猶予はあります。ですので、始動したくなったら始動すれば良いのだと、このメモを見て改めてそう思いました。



こんな思いまでして抜け出した世界なのだから、同じ様な場所には戻らないという新たな誓いも。



Bライフという概念は今、とても力強い武器になってくれています。



今日ものんびりとバルコニーで日向ぼっこをしながら、こんなことを考えています。


うつ病を本当に克服するには

他の人のことは実際のところよくわかりません。ただストレスを抱えたまま薬でごまかしながら、うつ病を克服していくというのは、いささか無理があるようにも思います。



環境を変えたり、職場を変えてもらっったり、もしかしたら会社も変えてみたり、そういうことが必要になる人も多いと思います。そしてそれは簡単なことではないとも思います。



ただ僕はそういう次元をすっ飛ばして、とりあえず隠居してしまいました。生活が破綻するようであれば、それはまたその時考えれば良い。こんなテキトーな思考がメンタルの病気には一番効くのではないかとも思います。



いろいろと選択肢はあると思います。また元気に楽しく行き始められるように重く考えず自分に合った道を是非選んでみてください。



最期になりますが、にんにく系のサプリは現在も少しだけ飲んでいます。山奥への移住で元気になったとは書いていますが、にんにく卵黄を飲み続けていることがメンタルや体調を保つ支えになってくれていることは確かかと思います。


にんにく卵黄に関しては是非こちらの記事も一読ください。おすすめです。→ にんにく卵黄がうつ病と自律神経に効果あり



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日光を浴びてのんびり暮らすスローライフ



2019年3月18日月曜日

ブログで自分をさらけ出すことについて

ブログで自分をさらけ出すことについて


あまり自分をさらけ出しているつもりもないのですが、このブログには思ったことや感じたことをそのまま書いています。








退職した会社の同僚学生時代の友達、実際に僕を知っている人達にも既にこのブログは知られてしまっているので、ウソを書くつもりもありません。



ただ僕のことを知っている人達には「こんなこと考えていたなんて知らなかったでしょ?」なんていうのは少し面白いかとは思っています。会社員生活を辞めて自由に暮らしたいとずっと思っておりました。あはははっ。知らなかったでしょ。






Facebook

実名で数年間やっていたFacebookにもブログの更新と共に記事が流れる設定になっています。Facebookをやっていたころは順風満帆なサラリーマン生活を書いていたように記憶しています。仕事最高!会社員最高!みたいなウソを。ですので、ちょっとビックリのではないかな。



いや。もう僕に関心などなく誰も見ていないのかもしれません。それはそれで良いのです。ただ、もうFacebook自体を開くことはないし、コメント欄なども見ていないということはお伝えしておこうと思います。



もしそちらにコメントなどくれていたとしたら、返信せずにいてゴメンなさい



自分をさらけだすこと

このブログはうつ病での最後の休職の真っ最中、2017年の7月に書き始めている(こちらが書き出し地点 → ブログを書くことにうつ病を治す効果があるか )のですが、そもそも自分の病状や気持ち、考え方などを文字にして解放してみるというこころみからのことでした。




なかなか表現できないような、もやもやとした感じが長いこと続いていたのですが、それでも何か書いていこうと続けたり続けなかったり。



初めの一ヶ月間はメンタルのリハビリという意識が強かったので、ほぼ毎日何かを書いていました。何かという程度なので恥ずかしくて読み返すこともできませんが。



その後はうつの波が襲ってきたのか、一週間に一回程度になったり1ヶ月間何も書けずにいたり。しかしブツ切れであってもなんとか続けていたら、そして自由に生きたいと思い続けていたら、いつの間にか今のこの山奥でのお金を使わない生活、Bライフ生活に辿り着いていた、そんな感じなのです。



病気(うつは病気なので明確に病気と記しておきます)自体は退職を決めたころから劇的に回復してきたことを記憶しています。症状はお腹が痛いというような白か黒かというようなものではないので、言葉に出来たとしても非常に抽象的なものです。



気分を数値で記録するような手法もあるようですが、もしそんな数字を記録していたとすれば、-90から+10くらいまで復活している様子がわかったかもしれません。



現在は+10です。それくらいの値なので簡単にマイナス領域に落ちることもあると思います。ただ多分プラス圏内にいます。今。




プラス圏の定義

メンタルや気分を数値化するには比較が必要になると思うのですが、一般的なのは、最悪な状態だった過去の記憶を-100、最高の気分だった時を+100とする手法のようです。



ただ実のところ僕はこういうことはあまり考えてはいません。あのころが+100であのころが-100だったとか。落ち込むことなく日々を過ごせているならば、常に+10くらいなのかなぁと思っています。



これくらいが良いのです。良いことも悪いことも人は簡単に虚像を作ってしまうのだろうから、あのころとの比較などあまりしない方が。



ブログに自分の気持ちをさらけ出してきたのですが、結局、過去は過去。今は今のような気がします。そしてこの感覚は強まっていくばかりです。



今を生きましょう



都会であっても田舎であっても山の中であっても、それは同じです。仕事をしていてもしていなくても同じ。今を生きられるようになれば、こころは物凄く軽くなるような気がします。



今はただこの一杯のコーヒーを頂くとします。昨日でもなく明日でもなく、この今を自由に楽しみ自由に生きる。そんなことを想起させてくれる一杯のコーヒー。





話が発散してしまいましたが、今日はこのへんで。良い午後をお過ごしください。



次の記事→
念願の真っ白なキッチン


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2019年3月9日土曜日

引きこもり一人暮らしと社会とのつながり

引きこもり一人暮らしと社会とのつながり


今から17ヶ月前、26年間勤めた会社を早期退職して社会とのつながりを絶ち、引きこもり一人暮らしとなりました。ただ退職前の会社との約束事だったのでリクルートエージェントという転職斡旋会社には半年ほど通っておりました。




ここに通えば転職活動をしている証明になるため、ハローワークにも月に一回しか行かなくて済んだからなのです。元々再就職などする気などは全くなく、さっさと山奥に引きこもろうと思っていました。



それ故に完全に失業保険をもらうためだけの行為。かなりの罪悪感。



そんな位置づけのリクルートだったのですが、行く度に担当者からこんな言葉を投げかけられ、毎回凹んだことを記憶しています。



「引きこもりでは社会とのつながりがなくなりますよ。一人暮らしならなおさら。働かない生き方などという選択はないですよ。働きましょう。」



抽象的な言葉ではあるのですが、会社を辞めたばかりの人間にとっては、とても強い魔力を秘めた言葉なのでした。



無職の状態というのはとてもヤバイ状態。この状態は孤立無援。引きこもり。その先に待つものは孤独死...。そんなことまでも想起させるような悪魔の言葉



しかし無職を17ヶ月間続けてみて、そのことを今一度考えてみると、なんてバカげた脅しだったのか、という感じなのです。



転職を成功させることで成功報酬を受け取るリクルートの戯言だったのだと、今は理解できます。







社会とのつながりを今一度考えてみる


本でもネット上でも、僕はこの表現を目にする度に、頭の中に大きなクエスチョンが浮かびます。何かのひとつ覚えのように、繰り返し使われているこの言葉に、すごい違和感を感じるのです。



リクルートに脅しをかけられた「社会とのつながり」という言葉。これって一体何を指していると思いますか?多くの人は60歳で定年退職となると思いますが、その後はこの脅し文句からすれば絶望的な状態になるわけなのです。




でもですね、安心してください。全くそんなことはないのです。退職後17ヶ月経ってみて、なんだかバカげた考え方だなぁという感覚は強まるばかりなのです。



社会とのつながり。そんな形だけのものは現代社会ではそれほど重要ではないのです。いや正確には元々そんなものは無いのですよ。



おそらく、みなさんが普通に考えている社会とのつながりとは、自分が社会に必要とされているか否かということを指すのだと思います。



そういうものがあれば、なんだか安心できそうだし、自分が存在していることが許されるような、そんな感覚なのかもしれません。



しかし、ここはバッサリと言い切ってしまいたいと思います。そんなものは単なる思い込みに過ぎない。



今のこの時代。どこに住んでいようが、何をしていようが、SNSやブログ、メールやLine、Skype、誰とでも、いつでも話すことが出来ます。そしてそこでは、誰もが相手にとって必要とされる存在なわけなのです。





極端な例で言えば、宇宙空間にただ一人で生きているなどどいう状況であれば、それは完全なる社会との隔絶だと言えるかもしれません。でもそんなことは在り得ないのです。




会話ができるのだから自己承認の欲求を満たすことも出来ると思います。社会とのつかながりは、自分にその意思さえあれば、つなげておくことは出来ます。



だからあまり、そんな言葉に惑わされて自由度を下げるような生き方はしない方が良いと、僕の私見ではありますが、そう思うのです。



今、ここではお金や収入の話はしていません。仕事を辞めること社会とのつながりとの話をしています。



企業に属していない。仕事をしていない。アルバイトをしていない...。重複しますが、今の世の中では、そういうことと、社会とのつながりということにはあまり深い関係性はないということです。



凝り固まった考えに従属し続けても良いことはないと心の底から感じています。再就職などしなくて本当に良かった。貧乏でもきままなBライフ、お金を使わない生活、働かない生き方って、やはり最高なのです。



もちろん、贅沢をしたかったり欲しいものがあるのなら、それ相応の収入を得る努力をしてください。社会とのつながりなどということを不安視しているのなら、それで解消もされるでしょう。



でも僕は今のこの怠惰な貧乏生活の中にいた方がSNSやこのブログなどを通して、よっぽど社会とのつながりを感じられるし、なによりも自由を得ている感覚がそんな概念めいたものよりもよっぽど大切です。



退職後17ヶ月経ってみて、こんなことを感じております。ああ、本当に良かった。



関係ないですが、この本面白いです。




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Bライフ自給自足用の種まき



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2019年3月6日水曜日

将来の夢は隠居と言っていた小学生

将来の夢は隠居と言っていた小学生


小学校の時の卒業文集に「将来の夢は隠居」というタイトルの陰気臭い内容を淡々と綴っていた子がいたことを思い出しました。確か高木くんという頭が良くてスポーツも出来る人気者でした。




「社会に出てお決まりの仕事をこなして少しお金を貯めて草々に隠居。庭の盆栽でもいじりながら、毎日平々凡々と暮らして生きたい」という内容だったと記憶しています。



この時はもちろん僕も小学生で、その内容には全く理解も共感も出来ませんでした。アホな事を書いているっと思ったくらいだったと思います。



ただ他のクラスメイトとは異質だったということと、彼のポジティブなキャラクタとのギャップが大きかったのでよく覚えています。


今朝のツィート



隠居とはそもそも何?


隠居ってそもそも何なのでしょうかね。隠居という言葉を多くの人がマイナーなイメージとして捉えているかと思います。まずは表舞台というものがあって、そこから退くというようなイメージ。



と、いうことはきっと、人はこの世界に対して「社会での活動や労働、努力、根性、成功、お金儲け、出世」というようなものを自分のメインストーリーだと観ているということなのかと思います。




高木くんは小学生ながらにして、このメインストーリーを見切っていたのかもしれませんね。そんなの別にどうでもいいやぁ的に。



今僕自身、Bライフと称した働かない生き方、お金を使わない生活という隠居の身にあるわけなのですが、小学生高木くんの語った夢は実は、これはこれでありなんじゃないかとも思っています。



ただ、学校の先生がこの作文を読んだら、きっとこんなことを言うのではないかとも思います。



「これからもっとやりたいことが見つかるはずだよ。チャレンジすることこそが人生なんだし、誰かを目標にして頑張ってみようよ」



良く出来た回答なのではないでしょうか。まだ小学生くらいなら、これくらいでイケるとも思います。特にチャレンジすることが人生なのだというフレーズ。これは絶大です。これさえ信じていれば、大抵のことはやれてしまいます。



チャレンジこそが人生


思考はポジティブであるべきだと思います。チャレンジもどんどんした方がよい。出来なくて元々。失敗してもいい。これは今でもそう思っています。でも人にはそういう言葉のイメージを全く受け付けつけられくなる時もあるとも思うのです。




チャレンジ、チャレンジと言われても苦しいだけで何の力も沸いてこないかもしれません。それならばむしろ、隠居みたいな世界もあるよぉ~、別にみんながみんなチャレンジしなくてもいいんだよぉ~っと言ってあげた方が、元気になるような気もするのです。



無理なチャレンジなどしなくても良い。これからは小さなチャレンジにしていく。そしてこの状態を一旦、小さな隠居と考えてみたらどうでしょうか。物理的に隠居の構えをするのではなく、隠居的なものの見方に切り替えてみる。



大きな目標や人生の意義。そういう小難しい考えを一旦捨ててしまって、こころに過負荷のかからないような人生の捉え方をし始めてみる。すると何かが変わるかもしれません。



自分のこころを軽く出来れば、生きていることへの楽しさも増すようにも思います。そんな風に生きていたら、その内、自発的に大きなことにチャレンジしてみたくなることがあるかもしれません。もしそんな時が来れば是非チャレンジしてみてください。



そしてそれでもなお、物理的にも隠居が良いのだっという感覚が強まっていくようであれば、その時はそれも選択肢のひとつだと考えてみてもよいと思います。実際隠居Bライフは結構楽しいですから。



ただ、まずは大きなチャレンジなどしなくったって良いのだということ。ここを押さえてみてはどうでしょうか。



隠居の身ながら少し提言してみたくなりました。



そんな隠居者の本日の小さなチャレンジは畑作業。作りかけの段々畑にジャガイモとアスパラガスを植えただけ。たった20分の作業でしたが、これで十分。十分疲れました。


ボールみたいのがジャガイモ

薄気味悪いモジャモジャがアスパラの根

隠居と家族

隠居したことで得られたものは端的に「自由」です。何をしても良いししなくても良い。この世界は本当に甘味な世界で、まぁ別の言葉で言えば自堕落な世界。


しかしこの心地良い世界に身を置くには前提条件があるような気もしています。それは独り身であること。


僕は結婚をしていたし成人している子供も二人います。もしその家族の形を保持したまま隠居という形を選択していたとしたら、アウトだったのではとも思っています。




これからもあまり根詰めずに出来ることだけ。軽く軽く生きていこうと思います。




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働いていなくても社会とのつながりは持てる




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2019年2月6日水曜日

働かない生活は幸せなのか

働かない生活は幸せなのか


何もせずにゴロゴロと、そしてダラダラと、そんな働かない生活に憧れて仕事を辞めてみたものの、時折襲い掛かってくる虚無感、虚しさの感覚。これを本当に幸せな姿と言えるのだろうか...。



そんなものに脳ミソが支配され病的な心理状態になってしまう。こういう人が結構多くいるということ、このことはかなり理解できたりします。




アクセクと働いていれば、例えふと虚無感に襲われたとしても多忙さがそのことを忘れさせてくたりします。



しかし特にやるべきこともなくボーっとした毎日を過ごしていると、脳みそはやがてその使い場所を求めはじめます。そして時折この虚無感と対峙すること選んでみたりもします。



この虚無的な感覚はいったい何なのか。生きていてなんの意味があるというのか。こんな無限ループ的な思考の罠。



おそらく人のとる行動の多くはこの虚無感に由来しているのではないかと、そう思います。


無駄な消費も虚無感を覆い隠すため。アクセク動いているのもおそらくそう。そうしていないと虚しさについて真剣に考えてしまうからのように思います。




この虚無感自体は突然湧き出てくるという類のものではなくて、実は常にそこにあるのではないでしょうか。そのことに意識が向くか否かの違いだけなのかもしれません。



禅寺での修行

禅寺で修行をするお坊さんには作務と称して一日中何かしらの作業が強いられます。


座禅の時以外は常に何かをしている状態が作り出されているわけなのですが、余計なことを考えさせない為というのが理由のひとつではないかと思います。



一心不乱に今ここ。そういう修行です。




欲や思念を振り払うため。そして多分、その中に虚無感も含まれている気がします。こんな修行を続けていてなんの意味があるのか。そんな風に虚しさに倒されないため。



と、いうことで「いったいなんのために」という根源的な疑念が振り払えない限りは、人は一生この虚しさに同居を許すことになるのかもしれません。



働こうが働かない生活をしていようが根本はかわりません。忙しさでそこに意識が向く時間が多いか少ないかの違いだけ。



と、ここまで書いてきて、このブログを読まれている方は、おそらく僕自身もこの虚無感に打ちのめされているのではと思われたかと思います。



しかし、僕はもういろいろと諦めてしまったのです。以前に「諦観」という言葉が好きだということを書いたのですが、いろいろと諦めてみると、「なんのために」という思考もかなり減っていきます。



50代前半にして隠居などという言葉を使っているのもそんな意味からです。自分自身が虚無そのものなので虚無感に襲われて苦しむことも少なくなってきたのではないかと思っています。



ものごとにあまり意味を求めない



おそらくこれがひとつの答えのような気がします。



年収90万円で東京ハッピーライフ おすすめです。


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2019年2月1日金曜日

「ねばならない思考」をやめてみる

「ねばならない思考」をやめてみる


今更ではありますが、僕は今、ねばならない思考をかなり手放してしまった生活をしております。ただそれでも100%全てを手放せたわけではなく、予定表には若干のスケジュールは存在しています。医者に行かねばならない、なんていうゆるい予約のようなものですが(笑)。




実は週に数日は働いてみようかと思ったこともあったのですが、「行かねばならない」というものを生活に取り込みたくなくて無職のまま現在に至っています。



50代でセミリタイアしてしまったわけなのですが、こういうのを単なるナマケモノとも言います。あはははっ。



ただ、まじめな話、うつ病で長いこと休職していた時のことを思い返してみると、この「ねばならない」感が非常に強固なもだったような気がしていて、それが回復の足を引っ張っていたのかと、今にして思っております。



早く復職しなければならないという焦り。切実な思い。いつしか脅迫観念へ。




でもこの時、苦しみに苦しみ抜いて、長いこと考え続けて、そしてそして、結果としてこんな答えを出しています。



別に復職しなくても良いんじゃないか。



なんという解を出してしまったことか...。ですよね。普通。



でもですね、そう決めた瞬間からこころがパーっと解放されていくことが分かったのですよ。物凄い重しを載せられていたのが、急にどけてもらえたような感じです。


「ねばならない思考」をやめてみる


身体がふぁ~っとなって、やはりこの思いが自分を苦しめていたのだとリアルに感じました。



その先の人生に何の計画もありませんでしたが、絶対に復職しなければならないのか?という問いに関してだけは明確な答えを自分の中で導き出せたのです。、



うつ病の治療中には大きな決断はしてはいけないということをよく聞きます。退職だとか離婚だとか、大きな買い物だとか、そういう決断は正常なメンタルを取り戻してからするべきだという考え方です。



でも、本当にそうなのかなぁと無責任ではありますが、今はこの考えに少し疑問を持っています。



そして、うつ病で苦しみ抜いている人は会社なんか一旦辞めちゃった方が良いのではないかと密かに思っていたりします。



人生においては「ねばならない」ことなんてひとつも無いと思うのです。お金が必要なのはもちろんなのですが、長い期間病状が回復しなければ障害年金を受給する手だって有効かもしれません。



僕自身は受給したことはないですが、月に数万円もらえれば、再起のための時間はなんとかなるような気がします。



そして体調が回復してきた暁には「働かねばならない」ではなくて「働こう」という方向に意識が変わってくるかもしれません。ただ自分自身には、まだそんな超前向きな意識の変革は訪れておりません。でもそれはそれで良いのです。




心や意識を苦しめている「ねばならない」という固定観念には大小様々なものがあると思います。その究極が働かなければならない、という視点。



大き過ぎるテーマですので、判断は各人にお任せします。



でも身近にある小さな「ねばならない」を排除していくことは、人生を楽しむために有効な手段であることは間違いないと思います。ガチガチに縛られている必要はないという気付きも時に必要だと思うのです。



そして小さな「ねばならない」を排除し続けていった先で、最後には何が残るのだろうか。そんなことを考えてみるのも楽しいかもしれません。



本当にやらねばならないことって何でしょうか



もっと自由に。今日もまた、軽やかに生きてみましょうかね。



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伊豆の別荘地の評判


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2019年1月23日水曜日

生きる価値がないとか無駄な存在だとか

生きる価値がない無駄な存在だと思ったら


うつ病などのメンタル疾患を負っていると自分は生きる価値がないとか無駄な存在とかそういったネガティブな思考に囚われてしまうことがよくあります。



僕自身も死にたいと思った事は何度も、何度もあります。だからそういう気持ちを否定はしません。長い人生の中では、あっても普通のことだとも思います。



でも、この世の中には生きていたくても生きられない人が沢山いるということは今一度考えてみる価値はあるのではないかと思えるようになってきました。



生きていたくても生きられない人がいる。そんなことは自分とは全く関係のないことだ。そう思うかもしれません。確かに全く関係ないことのようにも思います。




でも理屈や思考は一旦わきに置いておいて、是非、一度ここに記載する短い詩を読んでみてくれませんか。



人には言葉があります。そしてその言葉からその状況や感情、思い、いろいろなものを受け取れる力を持っています。11歳の幼い女の子が死の淵に立ちながら切実な思いを綴った詩です。何かを感じ取ることが出来るかもしれません。


"
『命のたいせつさ』

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる
命もいつかなくなる

電池はすぐに取り換えられるけど
命はそう簡単には取り換えられない

何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない
でも『命なんかいらない』と言って
命をむだにする人もいる

まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく
働いているのに

だから
私は命がつかれたと言うまで
せいいっぱい生きよう

"


11歳の短い生涯を終えた女の子


この女の子は5歳の時に神経芽細胞腫という小児がんの一種にかかりました。1998年6月28日に5年半に及ぶ病気と戦いの末、11歳の時に短い生涯を終えました。宮越由貴奈さんという女の子です。今はもういません。




自分の命は間違いなく自分のものです。しかしその大切さが、自分ではよくわからなくなってしまう時もあるとも思うのです。僕にも何度もそんな時がありました。



でもそんな時、改めてこの短い詩を読んでみて、自然に流れ落ちる大粒の涙と共に命の大切さに、はっと気付かされました。11歳の小さな女の子から生きることの大切さを教えられた瞬間です。



僕は何度も何度も読み返してみました。是非、何度も何度も読み返してみてください。どんな思いでこの詩を綴ったのかを、どんなに生きたかったかを、是非思い浮かべてみてください。



生きる価値がないとか無駄な存在だとか、そんな感覚になったとしても、そのことと命の大切さとは別なことのように思います。人にはそういう時がある、ということだけで、命の大切さはどんな時も変わるものではないと思うのです。



この女の子の言うとおり、命はいつかなくなるものです。



だから是非、その時が来るまで、せいいっぱい生きてみませんか。



生きる価値や無駄な存在というような思いへの答えは、理屈を捏ね回して得られるものではないのだと気付くことも大切かと思います。



何がが価値があって何かには価値が無い。何かは無駄ではなく何かは無駄である。



これってモノなのですよ。人のことではないのです。



だから価値ある人間というのも存在しないし、価値のない人間というのも存在しないのですよ。



悩んでいる時、辛い時、どんなことを言ってもしっくりこないということもわかります。僕もそんな時間を何年も過ごしてきました。



でも時間が和らげてくれることも確かです。紹介した詩から何かを感じ取れたら、それを小さな切っ掛けに、少しだけ前向きに、そして今という時間を生きてみませんか。



山奥の小さなボロい家に住み始めて、そんなことを少し考えられるようになりました。



自分には生きる価値がないとか無駄な存在だみたいな見方は捨ててしまいませんか。そんなもの、捨てしまいましょう。



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使い古したフライパンが好きなのだ


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2019年1月16日水曜日

あって良し、無くてまた良しという話


あって良し、無くてまた良し



最近、物事を「あって良し、無くてまた良し」と思えるようになってきました。雪に関して考えたときに思ったそんな話をしたいと思います。


10日ほど前、この山奥に雪が降りました。パラパラと30分ほど降っただけのことですが、積雪が怖くなってスタッドレスに履き替えるべきだと焦りました。


昨年はいていたスタッドレスは玄関に積み上げてあります。お金を使わないBライフを始めようと思っていたのについつい雪が怖くなって買ってしまったスタッドレス。




でも結局ノーマルのまま放置しました。自分で交換するつもりもありません。大変だし危険だから。



雪が積もって山奥に篭城するのもいいかなぁ。そんな感じです。ノーマルタイヤのまま。



積もったらクルマには乗りません。そう、どこにも出かけなければ良い。


ビクビクする必要などない


雪を恐れてビクビクする必要などないことに今更ながら気付きました。食料は缶詰とか米とかで、なんだかんだ1ヶ月分以上のストックはあります。




灯油も18リットルが5缶分あります。そしてネット上には10年くらいでは観切れないほどの映画とドラマがあります。そして本も音楽も。



と言うことで、雪なんか積もったって全然平気じゃないかという結論。住んでみないとわからなかったり、不安になる要素って沢山あると思うのです。寒さも雪も湿度も、住むまでは実はいろいろなことを恐れていました。



しかしなんだか雪が楽しみだ。そんな気持ちになりました。



降らないかもしれないし、降るかもしれない。降っても降らなくてもオッケー



物事の究極の捕らえ方


最近思うのですが実はこれが、物事の究極の捕らえ方なのではないかと。究極のものの見方というか。



あってよし、無くてまたよし。



頭や心を占有してしまう不安な出来事に対しても、もしこんな風に捉えることが出来きたなら、そこにはもう不安や悩みがなくなるのではないかと、この雪に対する自分の考え方の変化から、そう感じています。



死んでよし、死ななくてまたよし。


なんだか今、ものすごく良い心境にあります。文章でお伝えできているのはその表面的なことだけだとは思いますが、全てはどちらでもよいのだという、そんな平安な気持ちです。



決して投げやりな気持ちではありません。それで良いんじゃないかという諦観。こんな気持ちです。諦めるという一文字。




こんなBライフ的なブログを書いていると、極稀にですが、こんな良い心境になることがあります。自分で書いている内容に自分で学ばされているような感じ。お恥ずかしい話ですが。



でも、この感覚が長く続いてくれるととても嬉しい。


しかしそれもまた
続いてもよし、続かなくてもよし、ということなのかもしれません。



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カプセルホテルで生活できるのだろうか


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