ラベル 考え方 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 考え方 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年6月4日火曜日

会社員生活を辞めて自由に生きたい

会社員生活を辞めて自由に生きたい


2017年9月末日のことなのですが、会社員生活を辞めて自由に生きたいという思いを、ついに形に変えてしまいました。



会社員生活を辞めることと離婚と移住、普通に考えたらとんでもない事を一度にしでかしてしまったわけなのですが、今現在の自分のメンタルの良さから考えれば会社員生活を辞めたこと、そして自由に生き始めたことは大正解だったと感じています。もちろん貧乏ですが。




移住に踏み切ったのは2018年5月27日。伊豆半島の熱海と三島の中間地点に位置する山奥のとある別荘地に移住し、それ以降現在まで働かない生き方を継続中ではありますが、不思議なことに何の焦りもありません。




会社を辞める=自分で仕事をする?

会社員生活を辞めるということは自分で何か仕事をすると誰もがそう考えるのだとは思います。しかし、このブログに何度も書いていますが、お金を使わないという選択肢も本当にあったりするのです。



自由に生きたいという思いを具現化する方法として僕が取った方法はただ単に消費を少なくして、働かなくてよい期間をなるべく延長してくというだけのものです。



別の言葉でいうと単なるプー太郎



しかしこのプー太郎の月の支出は合計で6万円年間にして70万円ほどなのです。350万円あれば5年間は自由に生きられます。



そんなテキトーな考え方です。もちろん何かしらで収入を得られればその期間はもっと延長できると思っております。



会社員生活を送っていた時には、たまの休日にはお金を沢山使わないと気がすまないような感じでしたが、僕の現在は毎日が休日。



ですので、そんな強迫観念めいたものはもはや存在しません。お金を使わない生き方というのも本当に心地の良いものです。



何時でも自由に寝て、何時でも自由に起きて、夏は天気が良ければ海に泳ぎに行って、普通に考えれば超ナマケモノの生活で全くうらやましくないと思いますが、僕自身は今それが最高っと感じております。



もちろん人との付き合いもいろいろとあるので終始暇というわけでもなく、いろいろな面で調度良い感じ。ここに労働が少しでも入ると、ちょっとなぁと、まだそんなことを思っております。



ブログの更新頻度


東京でもがいていた時期から一年しか経っていないのに今は悠々自適に生きている感じがしていて、そんな感じになってしまったのでブログの更新もまばらになってしまっているような感じだったりします(ちょっと言い訳)。



ブログを読んでくれている方には本当に申し訳ないことなのですが、ブログを書いている自分って、内容の違いはあれ、不安な自分を払拭したいという要素が大きかったような気がしているのです。



しゃにむに何かを作ってみたり、ぶっ壊してみたり。もちろん快適な住処を手に入れるためなのですが、慣れない環境の中で早く自分のアイデンティティを確立しておきたい、というような感覚だったのかもしれません。



そんな感じではあるのですが、まだまだやるべきことも沢山ある中で、現在は、今日一日快適に過ごせればそれでいいかなぁというような感覚になってきているのは確かです。



のんびりと、ゆったりと、それでいて毎日ちょっと楽しい、そんな日々を送れるようになって、波はあるものの以前のようなうつの状態とは完全に決別できた気がしています。



会社員を辞めて自由に生きはじめてしまって一年間。少し振り返って、所感のようなものを紹介しておこうかと思います。



家に関して

ボロい家を買ってしまったために未だに何かしらの作業途中です。家の値段をこのブログに書いたことはないのですが、そろそろよいかなっということで公開しますが、300万円台です。


こちらが間取り。こんな小さなお家。


固定資産税が年間6,500円なので察しはついたかとは思いますが、不動産としては超安物の物件に分類されると思います。ただ、元々土地だけ買って自作の小屋を建ててみたいとも思っていたので、それから比べれば高額な物件なのかもしれません。



この別荘地のお隣に少々高級な別荘地が、そちらの別荘地を通ると、やはり自分の住処のボロさ加減を再認識することになります。



しかしながら僕は、この家がとても気に入っているのです。大好きだったりするのです




大好きなので引きこもりには拍車がかかっております(笑)。




毎日の生活に関して

特に大きなイベントが無くても普通に楽しく暮らせるようになってしまいました。そんな自由きままな生活を可能にしてくれたのはここに来てあらたに出来たお友達の御蔭だと強く感じています。



ここまで遊びに来てくれるツイッターのフォロワーさん、ブログの読者さん。そして山奥別荘のちょっと離れた隣人の方々



烏骨鶏のピヨ子を介して鶏つながりの友人も仲良くしてくれております。山奥喫茶店のママさんもね。




みなさんには心から感謝しています。こんな自分ですが、これからも、どうぞよろしくお願いします。




お金に関して

さて、一番の難題。しかしこの件に関しては全く動こうとしておりません。Bライフと言えども月に6万円前後の支出はありますが、まぁ焦らなくてよいかぁという思考のままでおります。



おそらくは後2,3年、働きに出ることはないだろうし、その後もそのままかもしれません。その時に考えることにしようと思います。会社員生活にだけは戻ることはないと思います。



病気に関して

何の病気もしていないのですが、病院に関しては結構心配していました。山奥から病院に行けるのか?という点。しかし住んでみれば病院もスーパーも何もかも、クルマで15分程なのです。無用な心配でした。



高血圧で長年苦しんでいたため、近くの診療所で高圧剤を出してもらっています。血圧は上が165もあったため、ずっと締め付けられるような頭の痛さを感じていたのですが現在は125。快適快適。



余計なお世話だと思いますが、高血圧の人は早いとこ医者に行った方が良いですよ。物凄くラクになりましたから。ちなみに高圧剤のお値段は2ヶ月分で2,000円程度です。高額なサプリなど飲まないほうが絶対に良いです。




夢とか将来に関して

ここの暮らしがとても心地良いので、このままのスタイルで継続していけるならそれが一番だと思っています。何かを成さなければとか、職に付いていなければ、というような義務感的な思考は今は一切ありません。それだけ、穏やかに過ごせているということなのかもしれません。




最後に

東京のアパートに住んでいた休職時期は、とてつもなく長い日々でした。そう感じていました。毎日が葛藤と自己嫌悪、不安、焦燥の連続だったような気がします。



自分で勝手に作りあげてしまったそんな幻想のような呪縛なのですが、そういうものは、この山奥での一年間ですっかり消え去りました。



そのことだけでも自分にとって良い選択だったと思っています。僕の場合はうつ病での休職期間が4年半にも及んだこと、年齢ももう既に50代に突入していたという背景があるのですが、30代でも40代でも、病気でなくてもあまりかわらないのではないかとも思っています。



会社員生活をやめて自由に生き始める選択肢は誰にでもあるはずです。ただ、当然貧乏な生活にはなります(笑)。



でも、それよりも大きなものが得られるのではないかな。僕はこれからも大好きなこの家この山奥で、自由に生きていこうと思っています。



次の記事→
どんな人生であれ結局、人生は自己満足


関連記事
働かないで生きる、お金を使わない生き方



2019年4月15日月曜日

気の向くままに脱力して生きる

気の向くままに生きる、今を生きる


この山奥に移住してきてからもう直ぐ一年になろうとしていますが、働こうという意欲が一向に沸いてきません。相変わらず脱力モード全開、気の向くままに、可能な限り今を生きるようにしております。



移住して元気になったら働こうかなどと少しは考えていた気もしています。しかし労働への意欲はゼロです。お金を使わない生活を選択中。




労働意欲がわかない理由は、たまには考えますが、無職であることに退屈していないからだろうということにしています。



この地で知り合いになった年配の方の話ですが、移住して5年ほどは働いていなかったそうです。でもついに週4日、働きに出はじめたとのこと。



理由は暇だから、ということでした。貧乏生活が嫌ということでもなく。



山奥に住み始めていきなり退屈になって働き口を見つけに行く人もいます。5年ほど経ってからという人もいます。共通しているのは、みなさん、直接の理由はお金でないということ。ただ暇に耐えかねてという話。



う~ん。やっぱりそうなるのか。



でもなぁ、なんだか勿体ないのですよ。暇だから働くという発想が。定年退職の方は選択はなかったのかもしれませんが、早期退職のような形で仕事を離れた方は、よくよくの思いだったのではないかと、勝手に想像してしまうのです。



僕自身も凄く悩みました。そして退職を決め、実際に退職した後でも仕事をしなければならないとか、仕事を通してしか何かを見出せないとか、そんな強迫観念めいたものに襲われていました。



そんなものから解放されて自由気ままに生きている現在。とても快適なのですが、この心境が数年で変わってしまうのかもしれないと思うと少しだけですが、心配にもなってきたりします。




まぁいいか。人は人なのです。各自、自分が楽しいと感じるように生きれば良い。



春の種まき


先週は大粒の雪が舞った伊豆の山奥ですが、さすがに春になりました。ポカポカ陽気なので、バルコニーのプランターへの種まきを追加しました。今回はチンゲン菜ベビーリーフ




もう暖かいのであっと言う間に芽を出してあっという間に大きくなってしまうと思います。楽しみです。後はきゅうりとトマトの苗を数本買って、今年の準備は完了。苗は5月に入ってから買います。



客用の部屋の改造


寒いとDIYも一切やらなかったのですが、暖かくなってきたので少し意欲が出てきました。客用の部屋は何も手を入れていないので、壁は緑色の砂壁。押入れの中の壁もボロボロ。



今日から本格的に作業を始めました。この部屋の壁もリビングと同じコンクリート模様にしようと思ってます。コンクリ柄の壁紙は今までに3種使っているのですが、打ち抜き柄が入っているのが一番カッコ良いのす。




ただ柄が入っているので切り貼りの作業がかなり複雑になります。同じ位置に来るように貼らねばならないので作業時間は2倍くらいになってしまいます。



今日は押入れの中のボロ壁をコンパネで張りなおす作業を並行してやりました。床下からの冷気もあったのでコンパネ周りはシーリングしました。




久々の電ノコ、電ドラで疲労困憊となってしまったので、今日はここまで。



こういう作業を全てやり終えると、暇に耐えられなくなっちゃうんでしょうかね~。なんか悲しいですね、そういうの。



でも実のところ暇、大好き人間なのです。このままずっと脱力モードで生き続けてしまうのではないかと思っております。



部屋は一週間後、カッコ良くできたら、このブログにアップします!



次の記事→
うつはまだ完治していないのかもしれない


関連記事
一人暮らし貧乏生活ブログ
お金を使わない生活、節約生活は辛いのか?

2019年2月6日水曜日

働かない生活は幸せなのか

働かない生活は幸せなのか


何もせずにゴロゴロと、そしてダラダラと、そんな働かない生活に憧れて仕事を辞めてみたものの、時折襲い掛かってくる虚無感、虚しさの感覚。これを本当に幸せな姿と言えるのだろうか...。



そんなものに脳ミソが支配され病的な心理状態になってしまう。こういう人が結構多くいるということ、このことはかなり理解できたりします。




アクセクと働いていれば、例えふと虚無感に襲われたとしても多忙さがそのことを忘れさせてくたりします。



しかし特にやるべきこともなくボーっとした毎日を過ごしていると、脳みそはやがてその使い場所を求めはじめます。そして時折この虚無感と対峙すること選んでみたりもします。



この虚無的な感覚はいったい何なのか。生きていてなんの意味があるというのか。こんな無限ループ的な思考の罠。



おそらく人のとる行動の多くはこの虚無感に由来しているのではないかと、そう思います。


無駄な消費も虚無感を覆い隠すため。アクセク動いているのもおそらくそう。そうしていないと虚しさについて真剣に考えてしまうからのように思います。




この虚無感自体は突然湧き出てくるという類のものではなくて、実は常にそこにあるのではないでしょうか。そのことに意識が向くか否かの違いだけなのかもしれません。



禅寺での修行

禅寺で修行をするお坊さんには作務と称して一日中何かしらの作業が強いられます。


座禅の時以外は常に何かをしている状態が作り出されているわけなのですが、余計なことを考えさせない為というのが理由のひとつではないかと思います。



一心不乱に今ここ。そういう修行です。




欲や思念を振り払うため。そして多分、その中に虚無感も含まれている気がします。こんな修行を続けていてなんの意味があるのか。そんな風に虚しさに倒されないため。



と、いうことで「いったいなんのために」という根源的な疑念が振り払えない限りは、人は一生この虚しさに同居を許すことになるのかもしれません。



働こうが働かない生活をしていようが根本はかわりません。忙しさでそこに意識が向く時間が多いか少ないかの違いだけ。



と、ここまで書いてきて、このブログを読まれている方は、おそらく僕自身もこの虚無感に打ちのめされているのではと思われたかと思います。



しかし、僕はもういろいろと諦めてしまったのです。以前に「諦観」という言葉が好きだということを書いたのですが、いろいろと諦めてみると、「なんのために」という思考もかなり減っていきます。



50代前半にして隠居などという言葉を使っているのもそんな意味からです。自分自身が虚無そのものなので虚無感に襲われて苦しむことも少なくなってきたのではないかと思っています。



ものごとにあまり意味を求めない



おそらくこれがひとつの答えのような気がします。



年収90万円で東京ハッピーライフ おすすめです。


関連記事
働かないで生きる、お金を使わない生き方



2019年1月28日月曜日

暇を苦痛に感じる理由と対処法

Bライフ田舎別荘暮らしブログ

暇を苦痛に感じる理由と対処法

今、僕の24時間365日は全て自分の自由時間です。働かない生活を選んだわけなので当たり前のことなのですが、暇をこよなく愛している自分でさえ、本当に暇で暇でしょうがないと感じることも実はあります。




時には、その暇な状態を苦痛に感じてしまったりもします。でも実際にはやることは沢山あったりするわけなのです。


やることが沢山あるのに暇だと感じてしまう、この摩訶不思議な現象。最近になって、なんとなくこの理由が分かってきたような気がするのです。この現象はこんなことを考えている時に生じることが多いようだと。



「人生とは何か特別なことを成し遂げるべきものなのだ」



人生の使命感


実際の暇な状態と、それを暇と感じることの間には、いささかギャップがあるようなのです。


落ち着いていて、ゆったりと、のんびりと、特に何をしていなくても幸せな気分を満喫できることもあります。今はむしろこの状態の方が多いくらいです。





でも一度この「人生の使命感」のような概念が迷い込んで来ると自体は一変します。暇は恥ずかしいことだ、暇であることを許さん暇は悪なのだ....。



非常に興味深い現象です。



やるべきことは沢山あっても、それらは使命感を満たすようなものではないので暇の穴埋めにはならないという感覚。だからやるべきこともやらない。どうせなら全部終わってから、暇だぁ~っという感覚になってもらいたいものですが。



でも僕はこの感覚を少し客観視できるようにもなってきました。東京のアパートに住んでいたころは、ずっぽりとこの感覚にはまっていて、強い焦燥感、そして恐怖にすら感じていたように思います。



そこに落ちるか否かは紙一重なのかもしれません。人生の使命感というものを重視するか否か。



この使命感という感覚をぬぐってあげれば、すごくラクになります。そして今を今として満喫できるようにもなってくるようなのです。


暇を暇として楽しめる力。現代人に欠損している力ではないかと思われます。



定年退職をしたら


60歳、または65歳になれば多くの人はリタイアとなります。「人生が暇になるその時までに多くの趣味を持っておきましょう!」なんてことがしばしば推奨されますが、僕はちょっと違うなぁという感じがしているのです。



前述したように、「暇である状態」と「暇だと感じる状態」とは別ものだからです。



趣味をいくつか持っていても、暇だと感じてしまい焦燥感をぬぐえないこともあります。多くの人が定年後にこのことと対峙することになるはずなのです。


ですので、この記事のタイトルにした「暇を苦痛に感じる理由と対処法」ですが、それは決して趣味を見つけるなどというものではないのです。



人生の使命感のような得体の知れない概念とおさらばしてしまいましょう、ということです。



ここに引っ掛かっていると何年も何十年も自分の時間、自分の人生を楽しめなくなるかもしれません。非常にもったいないことです。


同じ一杯のコーヒーの味も全く別なものになるような気がします。




暇であることに苦痛や焦りを感じたら、何か目新しいこと、刺激のあること、そういう方向に目を向けるのではなくて


人生の使命感のような概念と決別してしまう方向へ向かう努力をすること。何か特別なことを成し遂げなくても良いのだということを真に理解すること。僕はそんな風に思っています。



仏教用語に「諦観」というものがあります。


諦(あきら)めて観るという文字の成り立ちですが、諦めるは「あからしめる」という意味で使われます。物事をあきらかにして観てみる。人生とはこうあるべきだという固定観念から一歩離れて観てみるということのようです。



ですので僕はこの諦観という言葉がとても好きです。




暇を苦痛に感じることがあれば、是非一度、こんなアプローチもしてみてください。きっと何かが変わると思います。


次の記事→
自然の中の田舎暮らし隠居生活


Bライフ田舎暮らしブログ

2019年1月23日水曜日

生きる価値がないとか無駄な存在だとか

生きる価値がない無駄な存在だと思ったら


うつ病などのメンタル疾患を負っていると自分は生きる価値がないとか無駄な存在とかそういったネガティブな思考に囚われてしまうことがよくあります。



僕自身も死にたいと思った事は何度も、何度もあります。だからそういう気持ちを否定はしません。長い人生の中では、あっても普通のことだとも思います。



でも、この世の中には生きていたくても生きられない人が沢山いるということは今一度考えてみる価値はあるのではないかと思えるようになってきました。



生きていたくても生きられない人がいる。そんなことは自分とは全く関係のないことだ。そう思うかもしれません。確かに全く関係ないことのようにも思います。




でも理屈や思考は一旦わきに置いておいて、是非、一度ここに記載する短い詩を読んでみてくれませんか。



人には言葉があります。そしてその言葉からその状況や感情、思い、いろいろなものを受け取れる力を持っています。11歳の幼い女の子が死の淵に立ちながら切実な思いを綴った詩です。何かを感じ取ることが出来るかもしれません。


"
『命のたいせつさ』

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる
命もいつかなくなる

電池はすぐに取り換えられるけど
命はそう簡単には取り換えられない

何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない
でも『命なんかいらない』と言って
命をむだにする人もいる

まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく
働いているのに

だから
私は命がつかれたと言うまで
せいいっぱい生きよう

"


11歳の短い生涯を終えた女の子


この女の子は5歳の時に神経芽細胞腫という小児がんの一種にかかりました。1998年6月28日に5年半に及ぶ病気と戦いの末、11歳の時に短い生涯を終えました。宮越由貴奈さんという女の子です。今はもういません。




自分の命は間違いなく自分のものです。しかしその大切さが、自分ではよくわからなくなってしまう時もあるとも思うのです。僕にも何度もそんな時がありました。



でもそんな時、改めてこの短い詩を読んでみて、自然に流れ落ちる大粒の涙と共に命の大切さに、はっと気付かされました。11歳の小さな女の子から生きることの大切さを教えられた瞬間です。



僕は何度も何度も読み返してみました。是非、何度も何度も読み返してみてください。どんな思いでこの詩を綴ったのかを、どんなに生きたかったかを、是非思い浮かべてみてください。



生きる価値がないとか無駄な存在だとか、そんな感覚になったとしても、そのことと命の大切さとは別なことのように思います。人にはそういう時がある、ということだけで、命の大切さはどんな時も変わるものではないと思うのです。



この女の子の言うとおり、命はいつかなくなるものです。



だから是非、その時が来るまで、せいいっぱい生きてみませんか。



生きる価値や無駄な存在というような思いへの答えは、理屈を捏ね回して得られるものではないのだと気付くことも大切かと思います。



何がが価値があって何かには価値が無い。何かは無駄ではなく何かは無駄である。



これってモノなのですよ。人のことではないのです。



だから価値ある人間というのも存在しないし、価値のない人間というのも存在しないのですよ。



悩んでいる時、辛い時、どんなことを言ってもしっくりこないということもわかります。僕もそんな時間を何年も過ごしてきました。



でも時間が和らげてくれることも確かです。紹介した詩から何かを感じ取れたら、それを小さな切っ掛けに、少しだけ前向きに、そして今という時間を生きてみませんか。



山奥の小さなボロい家に住み始めて、そんなことを少し考えられるようになりました。



自分には生きる価値がないとか無駄な存在だみたいな見方は捨ててしまいませんか。そんなもの、捨てしまいましょう。



次の記事→
使い古したフライパンが好きなのだ


関連記事
もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら



2019年1月22日火曜日

カプセルホテルで生活できるのだろうか

カプセルホテルで生活できるのだろうか


母親が入院したということで急遽また東京の実家に行ってきましたが、元気そうでした。安心、安心。大丈夫、大丈夫。


もうかなりの高齢ですが、まだまだ元気で、今回もまた長~い話を聴かせてくれました。超話好きな人なので僕は完全な聞き役に回ります。



東京には一日滞在したのですが、今回は実家には泊まらず、せっかくなのでカプセルホテルに宿泊してみました。Bライファーの方が好きそうな激安ホテル。



まず東京までの電車、今回とても良い方法を見つけました。田舎暮らしの最寄の駅は函南駅。ここから東京の新橋駅まで東海道線で2時間弱なのですが、座った瞬間にデパスを2錠ほど飲むのです。すると直ぐに眠気が訪れて爆睡へ。




ふっと気が付くと新橋駅。すごいですね。これは。



どこでもドア」ってもしかしてコレのことじゃないですか!体感10分くらいで着いてしまうのですよ。すごくラク~。



母親は豊洲の昭和大学病院に入院しているのですが、出来て5年くらいらしく非常にきれいな病院でした。窓から見える景色は運河と緑とビル郡。とても良い場所です。




豊洲は僕の地元なのですが、子供のころは石川播磨重工業という大きな造船会社がひとつあるだけで、他に何も無いド田舎でした。それが今ではららぽーとまで出来て、お台場と築地の中間点ということもあって超一等地になっています。



世の中わからないものです。



お台場も子供のころは本当に何もない場所で、完全な草むらでした。アサリが大量に取れる場所だったので、一年中潮干狩りをしていただけの場所です。



今は、フジテレビを中心に企業用のビルとマンション郡で埋め尽くされています。地元が栄えるのは嬉しいことですが、こんな風に変貌してしまったことで、とても困っていることがあります。



それは駐車場が異常に高いということ。両親はクルマに乗らず、実家には駐車場がありません。この地に、たまにクルマで行くと30分400円などという、とんでもないボッタクリ料金の駐車場にとめざるをえないことになるのです。



10時間も停めたら8,000円ですよ!ホテルか!っていう金額です。



ということで恐ろしいのでクルマでは絶対に行かないのです。ちなみに、僕が今住んでいるこの山奥の最寄の駅、函南駅の駐車場は24時間で800円。う~ん、リーズナブル。こうでなくては。



カプセルホテルに宿泊


今回は少しカプセルホテルについても書いてみようと思います。僕自身生涯を通して数回しか泊まったことはないのですが、実に便利ではあります。予約もせず飛び込みで即泊まれますので。




この一泊3,200円の宿泊施設。日曜日の夜にもかかわらず宿泊客が沢山いるのです。ちょっと驚きました。客の大半は大きめの荷物を持っている中高年。みな常連のように見えました。多分、多分ですが、こういう所で冬場をしのいでいる方達かもしれません。



3,200円という宿泊費。安いと言えば安いし、高いと言えば高い気もします。毎日だとしたら絶対に高い。スパに泊まってもだいたい3,500円くらい。ネットカフェだと2,000円くらい(泊まったことないですが)。



いずれにしろ、数千円でも連泊すれば相当な金額になってしまいます。1ヶ月だと10万円弱。



なんだかとても考えさせられるのです。ネットカフェ難民という言葉も一時期はやりましたが、本当に負のループに思えます。一日数千円の日払いの仕事をして数千円を寝泊りで消費してしまう。



何がそうさせるのだろか...。東京の魅力?う~ん、わからない。



所持金があまりないなら、ド田舎で月5,000円の家でも借りて、お金をちょこちょこと貯めながら体制を立て直しても良いのではないかと、普通にそう思ってしまいます。




僕にはわからないのですが、きっと都会に執着したい理由があるのでしょうね。起死回生の一発とか。そういうのかな?



と、こんなことを考えながらカプセルホテルでの夜を明かしたのでした。



そしてまた、この山奥に帰ってきて、そんなことも多分、すっかり忘れてしまいます



今日は都会での疲れを癒しに、プールに行ってのんびりと泳ぐとします。



次の記事→
生きる価値がない無駄な存在だと思ったら



2019年1月16日水曜日

あって良し、無くてまた良しという話


あって良し、無くてまた良し



最近、物事を「あって良し、無くてまた良し」と思えるようになってきました。雪に関して考えたときに思ったそんな話をしたいと思います。


10日ほど前、この山奥に雪が降りました。パラパラと30分ほど降っただけのことですが、積雪が怖くなってスタッドレスに履き替えるべきだと焦りました。


昨年はいていたスタッドレスは玄関に積み上げてあります。お金を使わないBライフを始めようと思っていたのについつい雪が怖くなって買ってしまったスタッドレス。




でも結局ノーマルのまま放置しました。自分で交換するつもりもありません。大変だし危険だから。



雪が積もって山奥に篭城するのもいいかなぁ。そんな感じです。ノーマルタイヤのまま。



積もったらクルマには乗りません。そう、どこにも出かけなければ良い。


ビクビクする必要などない


雪を恐れてビクビクする必要などないことに今更ながら気付きました。食料は缶詰とか米とかで、なんだかんだ1ヶ月分以上のストックはあります。




灯油も18リットルが5缶分あります。そしてネット上には10年くらいでは観切れないほどの映画とドラマがあります。そして本も音楽も。



と言うことで、雪なんか積もったって全然平気じゃないかという結論。住んでみないとわからなかったり、不安になる要素って沢山あると思うのです。寒さも雪も湿度も、住むまでは実はいろいろなことを恐れていました。



しかしなんだか雪が楽しみだ。そんな気持ちになりました。



降らないかもしれないし、降るかもしれない。降っても降らなくてもオッケー



物事の究極の捕らえ方


最近思うのですが実はこれが、物事の究極の捕らえ方なのではないかと。究極のものの見方というか。



あってよし、無くてまたよし。



頭や心を占有してしまう不安な出来事に対しても、もしこんな風に捉えることが出来きたなら、そこにはもう不安や悩みがなくなるのではないかと、この雪に対する自分の考え方の変化から、そう感じています。



死んでよし、死ななくてまたよし。


なんだか今、ものすごく良い心境にあります。文章でお伝えできているのはその表面的なことだけだとは思いますが、全てはどちらでもよいのだという、そんな平安な気持ちです。



決して投げやりな気持ちではありません。それで良いんじゃないかという諦観。こんな気持ちです。諦めるという一文字。




こんなBライフ的なブログを書いていると、極稀にですが、こんな良い心境になることがあります。自分で書いている内容に自分で学ばされているような感じ。お恥ずかしい話ですが。



でも、この感覚が長く続いてくれるととても嬉しい。


しかしそれもまた
続いてもよし、続かなくてもよし、ということなのかもしれません。



次の記事→
カプセルホテルで生活できるのだろうか


関連記事
働かないで生きる、お金を使わない生き方
Bライフ田舎暮らしブログ

2019年1月15日火曜日

もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。すっとこう感じているなら、逃げるが勝ちという言葉について少し考えてみてはどうでしょうか。



うつ病で逃げクセの付いている自分には座右の銘的な言葉です。凄く勇気付けられます。だって逃げても良いといっているのですから。



「もう嫌だ。疲れた。そんなに辛かったら、人生、逃げちゃっても良いのですよ



こんなことは学校でも家庭でも会社でも、どこでも教えてくれません。メンタルが壊れて、うつ病で通院し始めて初めて聞かされる言葉のように思います。


もう嫌だ。疲れた。


競争という人生のあり方


この世界は競争で成り立っていると言っても過言ではないですよね。技術も医療も、そして福祉でさえも競争のたまもののような気がします。一般企業だけが競争社会ではないですから。公務員でも同じことです。




競争、そしてその競争に勝ちたいという人の根源的な欲求が人の住む世界をより良いものにしてきている。これは疑いようのない事実のようです。



でもこれは人類とか地球とか、かなり大きな枠組みとしての機能です。その競争に参加するかどうかは実は自由なのです。誰かが参加しなければ成り立たないというものでもないのですから。



本当のところ、テキトウにやっても良いのですよ。



しかしながら、そんなことは分かっていても、テキトウにはできない。あたりまえのように植えつけられてしまった競争、そんな人生のあり方。



そんなものが僕らの潜在意識の中には強固に存在していて、少々の疑問を感じつつも、自らはそのレールからは降りられないように出来ている。



レールから落ちそうになれば、歯を食いしばって落ちないように努力し続けたりもする。



そしてその競争を富や名誉、お金、幸せ...いろいろな形で正当化する理由もきちんと持ち合わせています。だから、頑張る。





当たり前のことですが、頑張るのが良いか悪いかと問われれば、良いことなのでしょう。僕もそう思います。ですので是非、頑張りましょう、とも言ってはおきます。



もう嫌だ人生に疲れたと思ったら逃げても良い


頑張っている人の足を引っ張るようなことを言うつもりはありません。ただ、辛かったら頑張らなくても良いのではないでしょうか。そうとだけは付け加えておきたいと思います。



文字にするとたったの三文字。「疲れた」。しかし思いは大小様々です。



そしてこの「疲れた」という思いの延長線上で、究極の選択をしてしまう人も存在します。これは実に悲しいことだと感じます。



その選択が間違っているのかどうかは、僕が言い切ることは出来ないのかもしれませんが、生きていることが良いことだと捉えられる正常の意識からすれば間違いのように思います。



どうせ人は死ぬのですから
まずは今を生きましょう。



そしてその為に必要があれば
さっさと逃げましょう。貧乏なBライフでもいいじゃないですか。



逃げるが勝ち


「勝ち」という言葉がついているので、「一旦逃げて後で勝ちにいきましょう」的な意味に捉える人が多いかと思います。でも、そんな場面での勝ちなんて実はどうでも良いのです。



あえて意識するならばもっと大きいもの。そういうものに勝つという意味に僕は捉えています。





しょせん全てはちいさなことです。長い人生でちょっとやそっと逃げたって大したことはない。働かない生き方もありだと思うのです。



逃げまくり。いいじゃないですか。田舎でもどこでも逃げた先で時間を掛けて考えてみればいい。考えなくても、もちろんいいですけど。



もしかすると今まで信じてきた自分の価値観が何の根拠もないことだったのだと思い始めるかもしれません。



歯を食いしばって頑張ることが自分の中の正義だと思っていたかもしれません。しかし、もしかしたら違うかも、と感じ始めるかもしれません。



万人に共通する正しい道などひとつもないのです。誰かに、何かに無理やり合わせてきただけのことかもしれません。



そんなことを自分の中の、う~んと深い領域で考えてみる時間も、ちょっとだけ逃げてみると手にすることも出来ます。



逃げたから敗北。こういう考えを辞めてみるだけでも何かが変わるような気がします。



だから、もう嫌だ、人生に疲れたと感じているならば、逃げるが勝ちの意味を
今一度、少しだけ考えてみても良いのではないでしょうか。



次の記事
あって良し、無くてまた良しという話



関連記事
働かない生活、お金を使わない生活



Bライフ田舎暮らしブログ

2019年1月3日木曜日

自由度を下げることはやらない

自由度を下げることはやらない


今日は2019年1月3日。新年のご挨拶としては少し遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。


もう3日になってしまいましたが、この数日間、年末に立てた目標の通りに穏やかに生きております。正月だからといって何か変わることもなく、平常心。自分の自由度を下げるようなことは一切やりません。



朝起きたらまずココアを飲んで、野鳥のエサ箱にエサを入れて、読書をして、そしてしばらくしてからトーストの朝食を取るというパターン。




その後はたまに散歩などをして、もどってからは大きな画面と迫力のスピーカーで映画かドラマを観続けるという生活です。



Bライファーとしてはネット配信の無料視聴を期限ギリギリ観るつもりなのですが、Netflexの無料視聴期間がもうすぐ切れてしまいます。故にかなりのスピードで観てます。


退会後はHuleとU-NEXTも無料視聴しようと思ってますが、最終的にはNetflexに加入しようかなと思ってます。やはりいいです。




月額1,200円ですが、一日に10時間もドラマか映画を観ているのでほとんど無料に近い金額のような気がしてます。Amazon Primeで観るものがなくなったらNetflexがおすすめ。とにかくドラマも映画も質が良いものが多いいのです。



ちなみにNetflexのドラマでおすすめは「LUCIFERルシファー」。



悪魔が地上で生活していてその力を少し使いながら刑事事件を解決していくというだけの話ですが、面白いです。シーズン3まであるので全部は観切れませんでした。



さて、こんなダラダラな毎日ですが、恐れていた冬季うつも今のところ顔を出しておらず、メンタルはいたって健康です。うつうつと部屋の中で過ごしているわけではなく、むしろ、Tシャツ姿でぬくぬくと冬を楽しんでいるような感じです。それだけ暖房費を使っているということではありますが(笑)。



部屋の中にいる時間が多くなると、焦燥感のようなものが出てくる時もありますが、そういう時は温水プールに行って泳いでます。それと最近始めたのですが、水中ウォーキング。長いときは2時間くらいやってます。



そんなに元気なら働けばよいではないか


そんな気もします。ただ働きません。今年も。暇や焦燥感から働く選択をする人もいると思いますが、実にもったいないと思うようになりました。Bライフでもお金は必要ですが、時間や自由の方がもっと重要だと思ってます。



そして僕の人生についてですが、実はこれからもっと面白くなってくる、そんな気がしているのです。この「これから面白くなるところだ」という言葉は自分をポジティブにもしてくれます。おすすめの呪文でもあります。



つまらないルーチンからやっと抜け出したばかり。2年や3年、自分で創意工夫して楽しい時間に、そして人生を面白くしていかないでどうするのか。これは心の底から強くそう思ってます。



自分を縛りつけるようなことはやらない。


自由度を下げるようなこともやらない。


淡々と過ごしながらも楽しいことは計画しております。
そして今年も自由に生き続けようと思います。


次の記事
一人暮らし貧乏生活


関連記事→
働かない生活、お金を使わない生活のブログ



Bライフ田舎暮らしブログ
にんにく卵黄がうつ病と自律神経に効果あり

2018年12月30日日曜日

時間に拘束されずに生きる

時間に拘束されずに生きる


今日は12月30日、年末です。世間は年末で忙しいかもしれませんが、僕の生活にはまったく変化がありません。あいかわらず時間に拘束されずに生きております。平常平常。


テレビを観る機会が少ないからかもしれませんが、今日が30日であるということも、このブログを書こうと思って確認したくらいです。




働いていない人にありがちなことですが、曜日とか日付とか、よくわからなくなります。たぶん、わからなくても全く困らないからでしょう。アフリカのどこかの地域にカレンダー、日付の概念を持たない原住民がいるという話を聞いたことがあります。




以前はウソだろっと感じていましたが、今は信じられます。そういう世界があっても不思議ではない。



ただ、僕が時間や日付の概念を忘れてしまっても、時が止まることはありません。すっかり寒くなってしまったし、寒くなったおかげでDIY的な作業も全くやる気がおこりません。日付は分からなくなることがありますが、一応、季節感だけはしっかり分かっております。



ということで、あまり時間や日時に拘束されずに生きてはいるのですが、一応、来年という大きな括りでは目標のようなものを立ててみることにしました。ただ淡々と生きてはいますが、何かしら指針があった方が上手く生きられそうだからです。



さて目標ですが、かなりシンプルです。

①心穏やかに日々を過ごすこと。
②自分自身でやれることはやってしまうこと。
③発信し続けること。

以上。


非常に低い目標のようにも思えますが、来年はこの3つが達成できれば良いと思っています。抽象的な内容ですが、ここでの生活を始めてから気付いたことを元にして立てた目標です。


①心穏やかに日々を過ごすこと。


ここで暮らすようになってとても穏やかな気持ちになりました。そしてその素晴らしさも実感しています。心穏やかに過ごせた日は気持ちよく眠りにつくことも出来ます。




ただ、そう過ごせない日もありました。うつ病という病気のせいにはしたくないですが、落ち気味の気分、そわそわとした感じ、なんともいえない焦燥感、そういったものに翻弄されてしまう時もしばしば。



そういう時によく考えたことは自分は本当はどうありたいのか、ということです。気分などという得たいのしれないものに対峙するには、ここはかなり重要な点だと感じました。どうありたいのかがわからなくなることが最も恐ろしいことのように思えます。



俗世間から離れて仙人になろうと思っているわけではありません。ただ、心穏やかでいることの素晴らしさを少しでも体感できたのだから、そこを明確な目標にしておきたいと思っています。



②自分自身でやれることはやってしまうこと。


家の改修やDIY的なことはかなりやってきたような気はしますが、そこにはいつも葛藤がありました。いわゆる面倒くさいというやつです。動き出すまでには、いつもかなりの時間を要していて、壁紙の貼り付けなどは購入してから2ヶ月間も放置してしっまった程です。



実は今現在も、未完成で放置してある箇所が沢山あります。



やれるときにやれば良い。それもひとつの考え方なのですが、やるべきことでやっていないことというのはいつまでも頭のどこかにい続けることになります。最悪な時はそれを不安要素として捉えてしまったりもします。



ですので、やれることはやってしまう。これは①の心穏やかに過ごす、ことにもつながってくるような気がしています。


③発信し続けること。


このブログを書き始めたことは自分にとってものすごくプラスになりました。読んでくれる人がいること。そしてツイッターやブログのコメント欄、メールなどでレスポンスをもらえるということは大きな励みになりました。


こんな生き方は多分おすすめ出来るものではないとは思っていますが、あくせく働いていたときには感じられなかったことや、見ることの出来なかったものをなるべく正直に発信していきたいと思っています。


それらは文字にすることで自分自身の確認にもつながります。そして結果的に①の心穏やかに、というところに帰結するようにも思えます。


ですので、淡々と生きてはいますが、感じていること、思っていることはなるべく文字にして、そして発信していけるように心がけていけたらと思います。



みなさんの目標と比べれば一段も二段も低い目標ですが、来年は今年の経験を踏まえ自分なりの満足感をえられるように過ごしていきたいと思います。



来年もまたよろしくお願い致します。
そして良いお年を。


次の記事
自由度を下げることはやらない


Bライフ田舎暮らしブログ
にんにく卵黄がうつ病と自律神経に効果あり

2018年12月20日木曜日

離婚後1年経ってみて思うこと

離婚後1年経ってみて思うこと


昨年の12月11日に離婚届を八王子の市役所に提出しているのですが、1年経ったことをすっかり忘れていました。11月にはもう直ぐ1年になるなぁ~なんて思ってこんなツイートもしていたのですが





このツイートをした時にはかなり共感を頂きまして、率直に嬉しかったです。もしかすると、変なヤツぅ~みたいに敬遠されるのではないかと思ってました。




1年はあっと言う間でした。途中、2月に冬季うつでぶっ倒れておりましたが、その後は移住に向けて動きだせて現在に至っています。元気元気。なぁんて冬季うつは今も危うい状態ではありますが(笑)。→ ただ、にんにく卵黄は効いてます



この1年で特に何かをしたという訳ではないですが、法的にも完全にスッキリできたことで本当の自由な時間を満喫できた気がします。離婚を勧めるわけではないですが、本当に良いものです。一人になるというのは。




この先は再婚するなんてことは万が一にもないでしょう。そんな裁量もないわけですし。でももし、気楽なBライフが好きっなんていう奇特な方が現れたらわかりません。心が揺らぐかもぉ(笑)。



冗談はさておき、離婚について真面目に語ってみますが、離婚ってものすごく精神をすり減らす作業であるのは事実です。紙一枚の提出ですが、出すまでにはいろいろと話し合いが必要になります。僕はうつも酷かったのでとても辛かった...。



でも終わってしまえば、ああ、こんなものか、という感じではあります。離婚後も連絡を取り合ったり、会ったりするのかなぁ、嫌だなぁなどと勝手に心配したりもしていましたが、そんな心配も無用。離婚後は他人です。この辺はきっぱりと。



今、人生の長ぁ~い夏休み(本当は冬です)を頂いているわけですが、これはずるずると婚姻関係を持ったままでは実現できなかったことです。僕がメンタルを痛めた原因は会社だけではなかったこともあり、今、何もしない今、本当に心が穏やかになったなぁと感じています。



一人で生きてみることは結構おすすめです。孤独という感覚も実際にはほとんどありません。自分には自分自身がいる。いつもそう思ってます。これは独善的に生きるという意味ではなく、普段無視しがちな自分自身の本当の思いを知ることができるかも、ということです。



何年も何十年も無視してきた自分のこころを、この一年で少しつかめた気もしています。



再始動まではまだ時間がかかりいそうですが、折角の独身。しっかりと山奥で堪能していきたいと思います。



でも出来ればみなさんは夫婦仲良くしてくださいね。



次の記事
風呂に入りながら風呂場を適当に改装する




山奥での貧乏暮らしを開始した話はこちら→
Bライフ山奥一人暮らし貧乏生活を開始。




Bライフ田舎暮らしブログ
にんにく卵黄がうつ病と自律神経に効果あり

2018年12月6日木曜日

無職の一日の過ごし方、一日一日を大切に

無職の一日の過ごし方、一日一日を大切に


朝方、よくツイートをしているのですが無意識の内に「今日も良い一日を過ごすためのヒント」的なことをツイートしてしまっています。無職の自分が一日の過ごし方を提案するなんて。



おこがましいとも思いますが、割と多くのいいねを頂けているようなので、ここでいくつか紹介しようと思います。人生は自己満足という感じではあるのですが。



不毛な会話にも意味がある







自分が正しいと思うことを正義感を振りかざして話すのは時に気持ちの良いものです。しかし、多くの場合、後で後悔することになります。



何故ならばそれは話を聞いてくれている人のことを全く考えていないから。



完全なる自己満足の世界。



友達と話をする時には、是非楽しく話しましょう。正しいことなんて面白くないです。そんなの話すのはやめておきましょう。正しいことより楽しいこと。重要な気がします。




みんな違うのだ







人間ですから、あったまに来ることはあるはずです。でもその幾つかは、上に上げたように考えてみると、もしかしたら全然頭にくることではないかもしれません。



自分が考えたり行動したりするのと同様に、誰もがいろいろな考えを持っています。そして一般常識としての許容範囲を超えなければ、誰もが行動する権利を持っています。



少しぐらい自分と違うからといって腹を立てるのは辞めてみませんか。きっとより良い一日になりますよ。




あっと言う間の一日、あっという間の人生






どんな風に人生を捉えていたとしても、最後の最後の瞬間には誰しも、あっと言う間の出来事だったと感じるのだと思います。



後から見れば、誰にとってもあっと言う間の人生です。そのあっと言う間の内のひとつ。今日一日。ちょっと貴重かもしれないって思って過ごしてみませんか。



いつもと違った一日に感じられるかもしれません。




以上、3つのツイートをピックアップしてみましたが、こんなことを少しだけ気に掛けてみると良いことがおこるやもしれませんよ。



是非、是非。



次の記事
働かないってワクワクしない?



関連記事
人生は自己満足
田舎暮らし一人暮らしブログ

2018年12月3日月曜日

無駄な浪費をしない思考になって思うこと

無駄な浪費をしない思考になって思うこと


このブログのタイトルを「Bライフ田舎くらし....」としていますが、おそらく本来の意味でのBライフではないかもしれないとは思います。ただ無駄な浪費はしません。そしてその発想は十分に享受しています。お金を掛けずにゴロゴロと過ごすという。



退職後に東京にいた時のことですが、相当焦っていました。働かなくては、働かなくては、という思考が四六時中頭の中を駆け巡っていて、もう働くことが自分の唯一の選択枝のような錯覚(今の時点では錯覚だったと感じています)に陥っていました。




そこでそのころ何故そんな思考に陥っていたかを考えてみましたが、今だからこそではありますが、かなり明確にその理由が見えたりもします。


生きている価値がない

それは、常識というか洗脳というか、働くことが当たり前で、それをしていない自分には生きている価値が、意味がないのではないかというガチガチの固定観念。うつ病で休職し退職までしているのに、思考はまだ働くということに置かれていました。恐ろしいことです。



働くことが好きな人

働くことが好きな人と嫌いな人。この比率はどれくらいでしょうか。面白い説があるのですが、①とにかく真面目に働く人、②時々サボる人、③常にサボる人、この3者の比率は2:6:2らしいのです。



だから多分、本当に働きたくないと思っている人は2割ほどしかいません。6割の人の思考は、働きたくないけれど時々サボる程度で大丈夫というものでしょう。2割の人は心の底から働きたいと思っている人。




僕もこの6割の中に含まれていた極々普通の人だったのだと思います。働くことがまず基本。そして時々サボる。だから全く働かない状態になった時、戸惑ってしまったのです。焦ってしまったのです。



しかし、この焦りについて考えてみると、何故そんなに焦るのか、という思考にもたどり着くことが出きたりもします。実際には焦る必要などないという結論に至ることも出来ます。事実そういう結論にしましたから。働かない生き方という。



退職後に何度も自問しました。このまま働かない生き方を選ぶという選択肢など本当に有りうるのかと。そしてその状況に自分は耐えられるのかと。



この山奥の家は11月に手に入れていますが、10月、11月....5月まで実に8ヶ月も踏ん切りがつかなかったくらいです。それほどに働くことの固定観念がガチガチに固まっていました。それもアルバイトではダメで正社員として再就職しなくては、と。



別にやりたい仕事があったわけではないのです。義務感、焦燥感、このままではヤバイという感覚。ただただ、そういうものに苦しめられて寸でのところで、面接を受けてしまおうかというところまでいきました。



ほんと、アホ。



東京のアパートに住み続けて、また深夜まで仕事がしたいのか?とその時の自分に問いただしてみたいところです。もし仮にそんな選択をしていたら、多分もうとんでもないことになっていたと容易に想像がつきます。



環境が変わって、何もかもが変わって、もの事の見え方、捉え方まで変わりました。




もっと自由に。もっと柔軟に。



やりたいことが見つかったらやってみればいい。



そのためのBライフ。
東京のアパートにいたころの様な浪費生活のままだったら、こういう思考にはなれなかったと思います。使わずに温存。やりたいことが見つかれば始動。



Bライフ的な発想に出会えたこと、そしてそんな思考に至れたことに、今とても感謝しています。



次の記事
無職の一日の過ごし方、一日一日を大切に



関連記事
Bライフ小屋暮らしブログ--まとめ--


2018年11月28日水曜日

バルコニーの下に部屋を作るという計画

バルコニーの下に部屋を作るという計画



ツイッターやブログでいろいろと話している内に、この山奥田舎暮らしの住処に誰でも自由に寝泊りができるスペースをひとつ作りたいと思い始めてきました。



現在の部屋の間取りは4.5畳が2つ、10畳のリビングがひとつのこじんまりとした2LDKです。




友達がもう既に7人ほど泊まってますが、やはり少し狭いと感じます。寝泊りは出来ますが、距離が近過ぎるというか、宿泊となると24時間接しているというような感じになってしまうのです。



すこし「離れ的」なスペースがあったらなぁと思います。



そこで、作ることにしました。部屋をもうひとつ。離れ的な部屋を自己満足の為に。



この家にはルーフバルコニーがあるのですが、これは前のオーナーによる増築(業者の手も入っています)です。



H鋼の柱で強健な作りになっています。またルーフリングもしっかりしていて、雨水が下に落ちないように防水もされています。





ですので、床と壁を作りさえすれば部屋が出来てしまいます。使わない手はない、のです(と、ずっと思い続けて一年...)。



ただ土止めに使われている丸太が相当古いので、そういった家周りをブロックとコンクリで固めていく作業が必要で、これだけで1ヶ月くらいはかかってしまいいそうです。



でもこういった作業はコツコツひとりでやれば良いので、ちょっとずつ。



問題は、3メートルクラスの長い板を貼り付けるときの作業。一人でもなんとか出来るとは思いますが、片側を誰かに支えてもらった方が安全だし効率も良いと思っております。




そんなことを考えていたら、いっそのこと、DIY好きなフォロワーさんに集まってもらって自由に組んでもらった方が楽しいかなぁなどと思い始めました。



自分ひとりでコツコツやるのも良いのですが、みんなで、その日の気分でどか~っとテキトウに作るのが楽しそう。



材料を手配する手前、一応設計図的なことは考えますが、作り方は自由に。工具ももう1セット用意して、訪問してくれた人にガーガー、ギコギコとやってもらう。



超楽しそう。



指示なんかしませんよ~。目標は「雨風の入る隙間がなくて頑丈な床と壁ができること」これだけぇ。



窓はポリカボードを使っての自由設計。失敗したらまた作る。



こんな構想が今、頭の中をうごめいております。






そして完成したあかつきには、ツイッターのフォロワーさんとこのブログの読者さんでやり取りのある方は誰でも自由にお泊りできるように解放しようと思っております。もちろん無料~。



食い物だけは持ってきてね(笑)。



ただ、ここには手伝って欲しいことが結構ある(畑の整備、土面のコンクリ貼り、庭の水平化など)ので、来た時には労働もちょっとお願いするかもです。



考えるだけでも楽しくなってきました。



ツイートへのコメントも沢山頂いたので、来年の春、やりますよぉ~。





みなさん、遊びましょう(笑)。人生は常に自己満足であります。



次の記事
お金がない不安はお金を使わないことで解消する


関連記事
人生は自己満足
Bライフ田舎暮らしブログ


2018年11月24日土曜日

無意味なこと無駄なことが心を穏やかにしてくれる

無意味なこと無駄なことが心を穏やかにしてくれる


ツイッターのフォロワーさんに触発されて砂団子を作ってみました。砂団子を作るなんて無意味なこと、無駄なことだと思うかもしれません。でも心を穏やかにしてくれる。



子供の頃、誰でも経験していると思いますが、砂場で作っていたあの砂団子。何のために作っているのかと子供達に聞いてみれば、たぶん楽しいから、それしかないと思います。



目的などなくて、ただなんか楽しい。丸くしたり硬くしたり。



終わったら取っておくこともあるかもしれませんが、ほとんどの場合、壊してお終い。



そんなよくわからない遊びを誰もが子供の時にやってきています。そしてそれは結構楽しかった記憶としてうっすらと残っているかもしれません。



どうでしょう。今、砂団子を作ってみては。




大人になった今、砂団子を作ってみても面白くはないと思います。丸めて固めて壊してお終い。そう、それで良いと思うのです。でもこういう無意味なことをやってみると、何かを感じるかもしれないのです。



僕の場合は壊さずにとっておきたくなりました。でも目的は無意味なことをやってみることにあったので、壊しました。



もう答えを言ってしまいましたが、砂団子を作るという意味のないこと、無意味なこと、無駄なこと、そういうことをやってみるということ、です。



僕らの日常には全てにおいて何らかの目的があります。


バスに乗るのも会社に行くため。会社に行くのも働くため。働くのもお金を得るため。お金を得るのも生活するため。食事をするのも食欲を満たすため。お風呂にはいるのも.....。



一日の全てが何らかの目的のためになされています。僕は今働いてはいませんが、本を読むのも、映画を観るのも、DIYをやるのも、やはり全てに目的があります。



ですので、目的のないこと。無意味なこと。そういうことを何かひとつやってみるというのは新たな意識を芽生えさせてくれるかもしれないのです。



僕は砂団子を作ってみて感じたことがありました。それは、無意味なことをやっていてもいいのだ、という感覚です。



人は常に意味ある何かを求めます。そして何もしていないと不安になったりもします。でも多分それは、今まで生きてきた生き方のクセなんじゃないかと思うのです。



特にうつ病で長期の休職をしている人などは、この焦燥感を強く感じると思います。何もしていない自分。何もできない自分。意味のない自分。



でもですね、良いのですよ。特に意味のあることをしなくても。



砂団子作りは、そんなことを教えてくれます。無意味な無価値な行為。そこに意味を求めなくても良いということ。ですので是非、やってみてください。


こころも落ち着くし、良い心境になるかと思います。



意味だけを追求することが人生でもなさそう
僕は今そんなふうに感じています。


次の記事
冬季うつへのシンプルな対策。暖かい環境を作ってしまう。



Bライフ田舎暮らしブログ