2019年3月9日土曜日

引きこもり一人暮らしと社会とのつながり

引きこもり一人暮らしと社会とのつながり


今から17ヶ月前、26年間勤めた会社を早期退職して社会とのつながりを絶ち、引きこもり一人暮らしとなりました。ただ退職前の会社との約束事だったのでリクルートエージェントという転職斡旋会社には半年ほど通っておりました。




ここに通えば転職活動をしている証明になるため、ハローワークにも月に一回しか行かなくて済んだからなのです。元々再就職などする気などは全くなく、さっさと山奥に引きこもろうと思っていました。



それ故に完全に失業保険をもらうためだけの行為。かなりの罪悪感。



そんな位置づけのリクルートだったのですが、行く度に担当者からこんな言葉を投げかけられ、毎回凹んだことを記憶しています。



「引きこもりでは社会とのつながりがなくなりますよ。一人暮らしならなおさら。働かない生き方などという選択はないですよ。働きましょう。」



抽象的な言葉ではあるのですが、会社を辞めたばかりの人間にとっては、とても強い魔力を秘めた言葉なのでした。



無職の状態というのはとてもヤバイ状態。この状態は孤立無援。引きこもり。その先に待つものは孤独死...。そんなことまでも想起させるような悪魔の言葉



しかし無職を17ヶ月間続けてみて、そのことを今一度考えてみると、なんてバカげた脅しだったのか、という感じなのです。



転職を成功させることで成功報酬を受け取るリクルートの戯言だったのだと、今は理解できます。







社会とのつながりを今一度考えてみる


本でもネット上でも、僕はこの表現を目にする度に、頭の中に大きなクエスチョンが浮かびます。何かのひとつ覚えのように、繰り返し使われているこの言葉に、すごい違和感を感じるのです。



リクルートに脅しをかけられた「社会とのつながり」という言葉。これって一体何を指していると思いますか?多くの人は60歳で定年退職となると思いますが、その後はこの脅し文句からすれば絶望的な状態になるわけなのです。




でもですね、安心してください。全くそんなことはないのです。退職後17ヶ月経ってみて、なんだかバカげた考え方だなぁという感覚は強まるばかりなのです。



社会とのつながり。そんな形だけのものは現代社会ではそれほど重要ではないのです。いや正確には元々そんなものは無いのですよ。



おそらく、みなさんが普通に考えている社会とのつながりとは、自分が社会に必要とされているか否かということを指すのだと思います。



そういうものがあれば、なんだか安心できそうだし、自分が存在していることが許されるような、そんな感覚なのかもしれません。



しかし、ここはバッサリと言い切ってしまいたいと思います。そんなものは単なる思い込みに過ぎない。



今のこの時代。どこに住んでいようが、何をしていようが、SNSやブログ、メールやLine、Skype、誰とでも、いつでも話すことが出来ます。そしてそこでは、誰もが相手にとって必要とされる存在なわけなのです。





極端な例で言えば、宇宙空間にただ一人で生きているなどどいう状況であれば、それは完全なる社会との隔絶だと言えるかもしれません。でもそんなことは在り得ないのです。




会話ができるのだから自己承認の欲求を満たすことも出来ると思います。社会とのつかながりは、自分にその意思さえあれば、つなげておくことは出来ます。



だからあまり、そんな言葉に惑わされて自由度を下げるような生き方はしない方が良いと、僕の私見ではありますが、そう思うのです。



今、ここではお金や収入の話はしていません。仕事を辞めること社会とのつながりとの話をしています。



企業に属していない。仕事をしていない。アルバイトをしていない...。重複しますが、今の世の中では、そういうことと、社会とのつながりということにはあまり深い関係性はないということです。



凝り固まった考えに従属し続けても良いことはないと心の底から感じています。再就職などしなくて本当に良かった。貧乏でもきままなBライフ、お金を使わない生活、働かない生き方って、やはり最高なのです。



もちろん、贅沢をしたかったり欲しいものがあるのなら、それ相応の収入を得る努力をしてください。社会とのつながりなどということを不安視しているのなら、それで解消もされるでしょう。



でも僕は今のこの怠惰な貧乏生活の中にいた方がSNSやこのブログなどを通して、よっぽど社会とのつながりを感じられるし、なによりも自由を得ている感覚がそんな概念めいたものよりもよっぽど大切です。



退職後17ヶ月経ってみて、こんなことを感じております。ああ、本当に良かった。



関係ないですが、この本面白いです。




次の記事→
Bライフ自給自足用の種まき



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働かない生き方、お金を使わない生き方




4 件のコメント:

  1. 50近くになり、人生の残りの時間も少し考えながら暮らすようになり、
    自分のやりたいこと、心地よく感じる時間を大切にしようと思ってます。
    私は一人キャンプが好きで、自分の時間を大事にしたいタイプです。

    仕事を続けるもよし、やめて自然に囲まれ隠居するもよし、
    まさに、あれもよし、これもよし、との心境にいたり、少し気が楽になってきました。

    いずれにせよ、この年齢になると、仕事は、死ぬほど悩んだり、苦しんだりしてしがみつくものでもない。

    春ですね。花粉が少しきついですがいい季節になってきました。
    伊豆は、綺麗なんでしょうね。

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    1. ホソカワさん、おはようございます。
      「この年齢になると、死ぬほど悩んだり苦しんだりしがみついたりするものではない」

      素晴らしいコメントありがとうございいます。心が軽くなりました。

      自由に暮らしているつもりが、あれやこれ、まだ義務感にかられてやっていることが多々あるような気がします。もっと軽やかに、こころの命じるままに生きていきたいと改めてそう思いました。

      春は素晴らしい季節です。これから新緑の芽が吹き出しはじめ、やがて花が咲き、心地良い風に身を任せられるのかと思うとさわやかな気持ちになります。


      今日も穏やかな一日をお過ごし下さい。

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  2. 逆に今のSNS時代は社会とのつながりを切る事のほうが難しい気がしますね。
    1日携帯電話が鳴らない事で実はホッとしているサラリーマンも世の中多いんじゃないですかね。
    収入さえ確保できれば社会とのつながりを切りたいと思っている方は案外多いと思いますね。

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    1. トピアさん、おはようございます。
      なるほど、なるほど、なるほど~!感銘を受けたので3回言ってしまいました(笑)。

      いやいや、その通りかと思います。つながりまくっていますからね。
      今、その選択が出来る環境にあります。知らず知らずに、心地良い程度で接しているのかもしれません。

      このブログに頂くコメントのようなつながりには、とても感謝しています。
      いつもありがとうございます。

      良い一日を。

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