2019年1月23日水曜日

生きる価値がないとか無駄な存在だとか

生きる価値がない無駄な存在だと思ったら


うつ病などのメンタル疾患を負っていると自分は生きる価値がないとか無駄な存在とかそういったネガティブな思考に囚われてしまうことがよくあります。



僕自身も死にたいと思った事は何度も、何度もあります。だからそういう気持ちを否定はしません。長い人生の中では、あっても普通のことだとも思います。



でも、この世の中には生きていたくても生きられない人が沢山いるということは今一度考えてみる価値はあるのではないかと思えるようになってきました。



生きていたくても生きられない人がいる。そんなことは自分とは全く関係のないことだ。そう思うかもしれません。確かに全く関係ないことのようにも思います。




でも理屈や思考は一旦わきに置いておいて、是非、一度ここに記載する短い詩を読んでみてくれませんか。



人には言葉があります。そしてその言葉からその状況や感情、思い、いろいろなものを受け取れる力を持っています。11歳の幼い女の子が死の淵に立ちながら切実な思いを綴った詩です。何かを感じ取ることが出来るかもしれません。


"
『命のたいせつさ』

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる
命もいつかなくなる

電池はすぐに取り換えられるけど
命はそう簡単には取り換えられない

何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない
でも『命なんかいらない』と言って
命をむだにする人もいる

まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく
働いているのに

だから
私は命がつかれたと言うまで
せいいっぱい生きよう

"


11歳の短い生涯を終えた女の子


この女の子は5歳の時に神経芽細胞腫という小児がんの一種にかかりました。1998年6月28日に5年半に及ぶ病気と戦いの末、11歳の時に短い生涯を終えました。宮越由貴奈さんという女の子です。今はもういません。




自分の命は間違いなく自分のものです。しかしその大切さが、自分ではよくわからなくなってしまう時もあるとも思うのです。僕にも何度もそんな時がありました。



でもそんな時、改めてこの短い詩を読んでみて、自然に流れ落ちる大粒の涙と共に命の大切さに、はっと気付かされました。11歳の小さな女の子から生きることの大切さを教えられた瞬間です。



僕は何度も何度も読み返してみました。是非、何度も何度も読み返してみてください。どんな思いでこの詩を綴ったのかを、どんなに生きたかったかを、是非思い浮かべてみてください。



生きる価値がないとか無駄な存在だとか、そんな感覚になったとしても、そのことと命の大切さとは別なことのように思います。人にはそういう時がある、ということだけで、命の大切さはどんな時も変わるものではないと思うのです。



この女の子の言うとおり、命はいつかなくなるものです。



だから是非、その時が来るまで、せいいっぱい生きてみませんか。



生きる価値や無駄な存在というような思いへの答えは、理屈を捏ね回して得られるものではないのだと気付くことも大切かと思います。



何がが価値があって何かには価値が無い。何かは無駄ではなく何かは無駄である。



これってモノなのですよ。人のことではないのです。



だから価値ある人間というのも存在しないし、価値のない人間というのも存在しないのですよ。



悩んでいる時、辛い時、どんなことを言ってもしっくりこないということもわかります。僕もそんな時間を何年も過ごしてきました。



でも時間が和らげてくれることも確かです。紹介した詩から何かを感じ取れたら、それを小さな切っ掛けに、少しだけ前向きに、そして今という時間を生きてみませんか。



山奥の小さなボロい家に住み始めて、そんなことを少し考えられるようになりました。



自分には生きる価値がないとか無駄な存在だみたいな見方は捨ててしまいませんか。そんなもの、捨てしまいましょう。



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