2019年2月1日金曜日

「ねばならない思考」をやめてみる

「ねばならない思考」をやめてみる


今更ではありますが、僕は今、ねばならない思考をかなり手放してしまった生活をしております。ただそれでも100%全てを手放せたわけではなく、予定表には若干のスケジュールは存在しています。医者に行かねばならない、なんていうゆるい予約のようなものですが(笑)。




実は週に数日は働いてみようかと思ったこともあったのですが、「行かねばならない」というものを生活に取り込みたくなくて無職のまま現在に至っています。



50代でセミリタイアしてしまったわけなのですが、こういうのを単なるナマケモノとも言います。あはははっ。



ただ、まじめな話、うつ病で長いこと休職していた時のことを思い返してみると、この「ねばならない」感が非常に強固なもだったような気がしていて、それが回復の足を引っ張っていたのかと、今にして思っております。



早く復職しなければならないという焦り。切実な思い。いつしか脅迫観念へ。




でもこの時、苦しみに苦しみ抜いて、長いこと考え続けて、そしてそして、結果としてこんな答えを出しています。



別に復職しなくても良いんじゃないか。



なんという解を出してしまったことか...。ですよね。普通。



でもですね、そう決めた瞬間からこころがパーっと解放されていくことが分かったのですよ。物凄い重しを載せられていたのが、急にどけてもらえたような感じです。


「ねばならない思考」をやめてみる


身体がふぁ~っとなって、やはりこの思いが自分を苦しめていたのだとリアルに感じました。



その先の人生に何の計画もありませんでしたが、絶対に復職しなければならないのか?という問いに関してだけは明確な答えを自分の中で導き出せたのです。、



うつ病の治療中には大きな決断はしてはいけないということをよく聞きます。退職だとか離婚だとか、大きな買い物だとか、そういう決断は正常なメンタルを取り戻してからするべきだという考え方です。



でも、本当にそうなのかなぁと無責任ではありますが、今はこの考えに少し疑問を持っています。



そして、うつ病で苦しみ抜いている人は会社なんか一旦辞めちゃった方が良いのではないかと密かに思っていたりします。



人生においては「ねばならない」ことなんてひとつも無いと思うのです。お金が必要なのはもちろんなのですが、長い期間病状が回復しなければ障害年金を受給する手だって有効かもしれません。



僕自身は受給したことはないですが、月に数万円もらえれば、再起のための時間はなんとかなるような気がします。



そして体調が回復してきた暁には「働かねばならない」ではなくて「働こう」という方向に意識が変わってくるかもしれません。ただ自分自身には、まだそんな超前向きな意識の変革は訪れておりません。でもそれはそれで良いのです。




心や意識を苦しめている「ねばならない」という固定観念には大小様々なものがあると思います。その究極が働かなければならない、という視点。



大き過ぎるテーマですので、判断は各人にお任せします。



でも身近にある小さな「ねばならない」を排除していくことは、人生を楽しむために有効な手段であることは間違いないと思います。ガチガチに縛られている必要はないという気付きも時に必要だと思うのです。



そして小さな「ねばならない」を排除し続けていった先で、最後には何が残るのだろうか。そんなことを考えてみるのも楽しいかもしれません。



本当にやらねばならないことって何でしょうか



もっと自由に。今日もまた、軽やかに生きてみましょうかね。



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8 件のコメント:

  1. こんにちは。はるまきです。結婚していた頃に、「ねばならない」に強く囚われていました。そもそもは自分に自信がなかったせいかもしれませんが。
    いい奥さんでなければ。いい嫁でなければ。いい母でなければ。そのうえ仕事でも認められたくて。
    無理がたたったのでしょうね。結局鬱になり、何年も何年も抗うつ剤のお世話になりました。
    どうにもならない状況までなって、このままじゃ死んでしまうな、と危機感をもって、初めて自分の気持ちと向き合いました。
    カウンセラーにも、重大な決断はしないほうがいいと言われましたが、その時期に離婚、転職、引っ越しをして、環境を変えたことで
    今の普通に生活できる自分があります。
    鬱になった原因が今の環境にあるのだとしたら、決断するのも一考かな、と思います。
    環境を変えるとなると、結構エネルギー使うので、鬱の底にいるときはお勧めできませんが。
    しげさんが別荘を探し始めた頃は現実逃避の匂いがプンプンしていて、正直心配でたまらなかったのですが。(すみません。。
    きっとそれは、自分もまだまだねばならない、にしがみついていたからなんでしょう。
    最近の投稿記事を読ませて頂くと、幸せそうでうらやましいです。
    自分は心配性でまだまだ実行には移せませんが、一個一個、自分を縛り付けているものを手放していこうと思えます。
    最近は仕事の手を抜くことを覚えて(気持ち的に)ちょっと楽になっています。
    もし今の職場でダメだったとしても、ほかに道はあるはず、とおもえるし。
    いつかくるそんな日の為に、節約と貯金にはげみます。

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    1. はるまきさん、こんにち。あははははっ。別荘探しの頃、多分2017年の夏くらいですね。現実逃避に見えましたかぁ!ついこの間のことですが、とても懐かしい感じがします。そうですね~、あの頃はうつも酷い時が多くて、電車に乗って伊豆へ行くだけでも一大決心が必要だったのですが、会社を辞めるということへの大義名分を探していたような気もします。縛られずにのんびり暮らすということへの憧れもとても強いものでした。結果として今があるわけですが、多分、大正解だったと思ってます。はるまきさんが環境を変えて普通に生活できる自信が付いてきたということも僕の経験と重なる部分も多い気がします。

      仕事の手を抜くのはGoodですね。考え方も柔軟な感じで安心感があります。
      これからもお付き合いください。ありがとです。

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  2. はじめまして。
    ウチも中古別荘買ってリタイア生活にはいって5年経とうとしています。
    シゲさんの書くことはウチで考えていることをいつも代弁してくれているようでいつも楽しく読ませていただいてます。

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    1. こんばんは。コメントありがとうございます。中古別荘の先輩ですね。心強いです。僕はまだ1年経っていませんが、なかなか良いものだと感じています。いつも読んで頂いてるとのこと、嬉しいかぎりです。これからもよろしく願いします。

      文中にニックネームを書いて頂けるとありがたいです。なんとお呼びしたらよいのか。
      良い夜をお過ごしください。

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  3. こんにちは。昨晩のコメントしたはるをダンナです。
    ウチも何となくの日々を日記的に書いてますので良かったら暇な時にでも覗いてみて下さい。
    http://mugigin4841.blog.fc2.com/

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    1. はるをダンナさん、こんにちは。「嵐からの隠れ家」まだ一部ですが読ませて頂きました。すごいですね。2013年から。わぁ大先輩じゃないですか。雪の様子からするとかなり北のようですが、たくましいなぁと感心してしまいました。それに大きな別荘。大先輩を見習って僕も楽しく生きていこうと思います。これからもよろしくお願いします。

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  4. はじめまして。

    私も社会に適応できず長いこと苦しみました

    ねばならないと生きているのは人間だけですよね

    本当につらい時、空を飛ぶ鳥や、海を泳ぐ魚を見てそう思いました

    人間も他の生き物のようにただ元から備わった能力を開花させることで自由に生きることができるのではないか

    なぜ知性のあるはずの人間が自らを縛り生きにくくしているのか?

    全くおかしな話なのです

    ちょっとはしょりますが、その問題の根源について考えたのです

    そもそも生きるとは何か、命とは何か、それらを育む宇宙とは何か…

    生命が淘汰の結果、進化したのならこの社会のおける競争も肯定されるのだろうか

    本当に生命は進化したのだろうか…

    ここから先は意見が分かれるかもしれません

    さいごに私がたどり着いた哲学の一部をお伝えします

    楽園主義どうが

    https://www.youtube.com/watch?v=nPiBd0Z1c0g&fs=1&hd=1&hl=ja&showinfo=1




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    1. こんにちは。ねばならないと生きているのは人間だけ。確かにそうですね。鳥も魚も自由に生きているのでしょうからね。でも人はこの「ねばならない」という概念を持っているが故に、いろいろな仕組みを構築出来てきたのかもしれません。そしてもし、その概念を持ち得なかったら、未だに原始社会だったかもしれません。

      それ故に、この概念に縛られて生きていくことの恩恵も僕らは蒙ってはいるとも思います。

      ただ、全員がそう動かなくても良いのではないか、というのが僕自身の考えでもあります。
      人には得て不得手があります。そういう思いにもがき苦しんでしまう人も多くいます。だから、もっとゆるく考えてもよいのではないかと思っています。

      リンク頂いた動画も拝見しました。とても良い話だと思います。テクノロジーの恩恵を受けて、より生きやすい方向へ社会が進んでいってくれたらと思います。

      PS:是非、お名前、ニックネームをお教えください。
      今後もよろしくお願いします。

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