2020年4月8日水曜日

山奥の春は、やはり、わらびが美味しい

山奥の春は、やはり、わらびが美味しい



待ちに待った春がやってきました。


やはり山奥での田舎暮らしは春から夏にかけてが一番快適。そして楽しい。先月、ここでの生活の相棒だった、ぴよ子(烏骨鶏)が天に召されてしまい、自分でも、こんなにも動揺するかと思うぐらい、グラグラになりました。



でも今はここに2羽のつがいの烏骨鶏キーちゃん(♂、右側)とクーちゃん(♀、左側)がいてくれて、またいつもの生活を取り戻せております。




この2羽は、とっても仲が良くて、いつもべったり。畑で僕がミミズを見つけると、クーちゃん(♀)が全部食べてしまいます。



心優しいキーちゃん(♂)が、手にした獲物を全てクーちゃん(♀)に献上してしまうのです。決して自分では食べない、ものすごい紳士的なオスです。見習わなくては、ですね(笑)。




さてさて、春になりました。昨年も沢山食べましたが、「わらび」。またこの季節です。通常、わらびが出現し始めるのは3月上旬くらいからですが、ここは標高400メートルあるので1,2週間ズレます。




現在が全盛期。しかしならが僕は2週間も前から標高の低い場所へ散歩に出向いて、かなりの量をすでに食しております。



標高100メートルくらいの場所から、住んでいる400メートルの場所まで、陽が当たる場所には、かなりの確率で、わらびの生息地帯があります。



天ぷら煮物炊き込みなどにしたりもしますが、やはりシンプルな、お浸しが好きです。鰹節と少量の醤油だけをかけて、温かいご飯と一緒に。




わらびはスーパーでも買えますが、水煮になっているものと比べると、やはり風味が違います。とてもうまいです。



あまり食べすぎても良くないので、3日に1回くらい。ビニール袋を持って、たまにブラブラと。春っていいなぁと、初めに感じるのが、このわらびの出現。




そして畑。今年こそは、きちんと畑をやるぞ!っと気合が入っております。ここでの一人暮らしでの春はもう3回目なのですが、過去2回とも、怠惰な日常生活であったがゆえに畑は森と化し、トホホな状態となりました。



昨年は首の骨を痛めてほとんど手入れができずということもあったのですが...。だから今年は健康にも気を付けて、畑もきちんと手入れをしていきますよ。必ず!



今、下から一段目に男爵イモ小松菜、二段目にメイクイーンチンゲン菜が植わってます。三段目には各65円で買ってきたきゅうりミニトマトピーマン。4段目にはアスパラパクチー




まだ空きがあるので、何かしら、あと5,6個は苗を植えようと思ってます。



と、こんな感じで毎日、春を感じながら適度に身体も動かしのんびりと生きております。



都会ではいよいよ、ふんちゃら宣言がだされ、山奥で一人暮らし、田舎暮らしでのんびりしている自分としても、ちょっと怖い感じがしております。



みなさん、気を付けてくださいね。


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2020年3月14日土曜日

山奥の相棒ぴよ子が天に召されました

山奥の相棒ぴよ子が天に召されました


この山奥に住むようになって一年が経ったころ、ここでの一人暮らしに慣れた時分、烏骨鶏のぴよ子を部屋の中で飼い始めました。



それはもう、可愛くて可愛くて、そしてものすごい甘えん坊で、寝るとき以外はほぼ終日、いつも僕の半径50cm以内にいるような奴でした。



子供のような、相棒のような、そんな存在。いつもいつも癒され励まされ、元気をもらっておりました。



そんなぴよ子が一昨日、急に天に召されました。体調が悪くなったり良くなったりを繰り返すことは何度かあったのですが、あまりにも突然のことでした。



最期は僕の腕の中で息を引き取りました。クウクウと苦しそうな息遣いがスーとなって。涙が、涙か止まりませんでした。何時間も何時間も。



僕はぴよ子にものすごく依存して生きていました。山奥に一人で生きてはいますが、寂しさという感覚を全く覚えることがなかったのも、ひとつはぴよ子という存在のお陰です。



外から帰ってきたとき、「コケコッコー」という大きな雄叫びで出迎えてくれました。



かごから出してあげると、烏骨鶏特有の小刻みなカズダンスのステップで喜びを表してくれました。



ペットというよりは相棒。僕の中では完全に擬人化していました。



そんなぴよ子が突然逝ってしまって、泣いて泣いて泣き続けたあげく、悲しみというものを通り越してしまって、「絶望」という状態に落ちいりました。



もしかしたら、僕はもう山奥のこの家では暮らせないないかもしれない。ぴよ子のいないこの家では。そんな思いが襲ってきました。



ペットロスという言葉はよく耳にしますが、そういう定型的な言葉では言い表せない耐え難い思い。



もうダメだ。涙も止まらず思考は絶望の淵をさまよい続け、見れば見るほどに、どうしようもない気持ちにさせられるぴよ子の亡骸。



ずっと部屋に一緒にいることもできず、当日にお墓を作り埋葬しました。僕が毎日必ず通る、よく見える庭の入口に。



数時間絶望の淵を彷徨いましたが、ぴよ子を譲ってくれた喫茶店のママさんには連絡をいれておくべきだと思い、Lineをしました。



ぴよ子が逝ってしまったことと、自分自身が絶望の淵にあって何も考えられないでいること。そんなことを短文で。



ママさんは案の定、励ましてくれました。



そして更に、ママさんの家で飼っている烏骨鶏を譲ろうかとも提案してくれました。



普通ならここで、お心お気遣いだけを頂くはずです。ですが、僕はもう過去に経験したことのない、この空虚感、絶望感に耐えられなくなってしまっていて、ママさんにすがらして頂くことにしたのでした。



ぴよ子が亡くなってすぐにまた別の烏骨鶏を家に招くなんて、なんて不謹慎なのだと思うかもしれません。



でも自分自身も倒れてしまいそうなくらいボロボロで、夜が来て朝がきて、また夜がきて朝がきて....、どんどんその底の底の方へ引きずりこまれそうで。



今ここに雄雌、つがいの2羽の烏骨鶏がいてくれています。物静かな2羽の烏骨鶏ちゃん達は、自分から僕にすり寄ることは、まだありません。でもぴよ子がいなくなり、ボロボロになっている自分にとって、今、家にいてくれるだけで、とてもありいがたい思いです。



ここで約1年間一緒に過ごしてくれたぴよ子の存在は僕の中から消えることはないと思います。こんな内容の記事を書いていると、また大粒の涙が零れ落ちてきます。



本当にありがとう。ぴよ子。感謝しきれない気持ちだよ。ぴよ子。ぴよ子。ぴよ子。


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2020年2月16日日曜日

山奥引きこもりの1ヵ月半

山奥引きこもりの1ヵ月半


俗世を離れひっそりと働かない生き方を実践中のshigeです。


またブログの更新が滞ってしまいました。年末に更新してから1か月半。しかしまだ、しぶとく生きております。働かないで(笑)。



さて、この1か月半の状況ですが、相も変わらず家や土地のDIYをせっせとやっておりました。ただ寒いと出来ない(やる気が出ない)ことも多々あって、なんとなくやったかなぁ~程度です。



特に今は裏庭の竹狩りをせっせとやっております。竹といっても笹のような細くて1.5メートルほどのものなのですが、面積が広いのでかなりの重労働。



Before Afterの比較がないのでよくわからないと思いますが、横に積んである丸太の後ろ一面が竹藪でした。やっとのことで2/3ほど切り倒して、木々に隙間ができてきた感じです。風通しもよくなりました。



3時間ほどの作業を1ヵ月ほどやってますが、まだ終わってません。電動の草刈り機のようなもので切り込めるものではないので、手作業。永遠、無限にも思える途方もない作業です。



ただ、刈り込みが完了すればかなり陽の入り方が変わるので、結構本気だったりします。



山奥の安全性

さてさて、そんな感じで山奥に引きこもっているわけなのですが、都会ではいよいよコロナの感染が表面化してきたようで、こういう時期は働かずに山奥でのひきこもりも悪いものではないかなぁとも思ったりしています。



そもそも満員電車が大の苦手で、コロナ騒ぎがなくても、もう一生乗るまいとは思っておりました。



僕のような豆腐メンタルな人間は、感染を想像してしまっただけで本当に症状が出てまうかもしれません。ですので、これからも人込みは避け、極力山奥に居続けようと思っております。



都会は利便性も高くて刺激もあって、パワーのある内は良い場所にも思えるのですが、パワーゼロの今、やはりこの山奥がとても心地いい。やりたいことだけやって、やりたいことがなければ無為に時間をつぶしていく。



この1ヵ月半、体調を崩していた期間もあったのですが、何の焦りもなく、ただあるがまま、動けないときは動かなければいいとも思っておりました。



しかし来週からはいよいよ畑にじゃがいもの植え付けをしようと思ってます。去年よりも少しだけ畑も広くしました。毎年ちょっとずつ。そんな感じで、相変わらずかなり適当。




この後、この日本がどうなっていくのかは、わかりません。しかし元の安全な日本に戻ることを切に願っております。



働いている方も働いていない方も、みなさんも十分にお気をつけくださいね。



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山奥の相棒ぴよ子が天に召されました


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2019年12月30日月曜日

思いっきり自由に生き始めて2年目の年末

思いっきり自由に生き始めて2年目の年末



この山奥の別荘地に移住して思いっきり自由に生き始めてしまって2年。今、この年末に思うことを少しだけ紹介しようかと思います。



直近の5年間は自分の人生にとっておそらく最悪でかなりキツイ期間でした。うつ病やら、休職やら、別居やら、退職やら....。



そんなこともあって、ここでの2年間は、本当によく眠ってよく食べてよく遊んで、あっと言う間に過ぎていった、そんな悠々自適な、自由に生きてると感じられる毎日にだったと思います。





ここに移住する以前は、何度も何度も最悪のシナリオなども頭の中を行ったり来たりしていました。本当に危なかったと今にして思います。



あれは苦しい時期にことだったのだと、自分の人生や自分の物事の捉え方を、かなり客観的に見ることができるようになっているのは、奇跡的なことなのではないかとも思います。



働きたくないという思いま今もまだ強いため、いまだ経済的な問題は解決できていないというのも事実です。でもそのことに関しては大した不安もなくなんとかなるという感覚で生きられています。



この感覚自体も数年前の自分には絶対にありえなかったものだったのかもしれません。



1年間での出会い


暖かくなってきた時分、以前から気になっていた、山奥唯一の喫茶店に恐る恐る顔を出してみました。こんなところにある喫茶店なんて、なんかすごく閉鎖的に感じません?本当に恐る恐るでした。


写真はイメージ画像です。


でも間逆だったのです。とても心地良くて楽しくて、いつしか週末は必ず顔を出すようになってしまいました。このお店でママさんと出会えたことは自分の生活の大きな転機にもなったと感じます。



だってピヨ子と出会えたのですから。



こちらその当時のピヨ子です。今年の5月。





そして現在のピヨ子。ちなみに雄です(笑)。




ウコッケイを飼ってみない?というママさんからの執拗な問いかけ(すみません)に、いつしか「お願いします!」と言ってしまった自分。ママさんは有精卵から何羽も羽化させていて、その内の一番可愛い雛を頂ました。



ウコッケイは生後3~4ヶ月経たないと雌雄がわからないため、この時点では当然オスなんのかメスなのか、分かりませんでした。でも可愛いのでピヨ子と命名。



4ヵ月後、コケコッコ~!と雄たけびをあげるようになりましたが、いまだピヨ子と呼んでおります(笑)。



いずれ犬か猫を飼おうと思っていた自分が、今、室内でウコッケイと仲良く暮らしています。縁というのは実に面白いものです。そして実にありがたい。



テッシュペーパーでフンを拾い、落ちた羽を掃除機で吸う。終日こんなことを繰り返しています。でも大型の鳥がキッチンでもトイレでもバルコニーでも僕の行くところ行くところに付いてくる。すごく可愛いと思いませんか?本当に可愛いやつなのです。




ウコッケイつながりの友達も沢山できてしまって、勇気を出して踏み出した山奥喫茶店への一歩が僕の世界を大きく広げてくれました。そして幸せな気持ちにさせてくれました。この場で再度、お礼を言わせて頂きます。ありがとう。



彼女との出会い


一度このブログに書いていることなので、再度書くのは気が引けますが、僕にとっては大きな出来事ですので、また少しふれさせて頂こうかと思います。彼女は4月に遊びに来てくれたツイッターのフォロワーさんでした。



いつものパターンで庭でバーベキューバルコニーでコーヒー、いろいろと話をして楽しい時間を過ごさせて頂きました。いつもなら、ありがとね~っという軽い感じなのですが、この時は少し違った感覚を覚えました。また本当に会いたいなぁ。そう思ったのです。



自然もDIYも好きだと言う彼女の言葉に、手伝ってくれたらなぁという感覚もあって、その後も頻繁に遊びにきてもらうようになりました。そしていつの間にか、駐車場や玄関、裏庭...もう全面的に手伝ってもらっています。



冬場は毎年、冬季うつぎみになる自分ですが、今年の冬は大丈夫そうです。メンタルの支えにもなってくれていることにも本当に感謝しています。この誌面でも彼女には感謝を伝えておきたいと思います。ありがとう。



春も夏も秋も冬も


そんなこんなで、一年を通して自由に生きてしまって、楽しい時間がずっと続いてきたように思います。移住当初は、世を捨てて山奥一人暮らしと力んでいましたが、人と接することで開けたことの方が圧倒的に多いということも事実です。



人は自由を求めます。でも、自由を手にした瞬間、そんな自由につぶされてしまう人も多いんじゃないかという気がします。完全な孤立は自由であって自由ではないのかもしれません。



だからこれからもまた、来年もまた山奥に居ながらも人とのつながりは大切にしたいと思っています。このブログもツイッターも。



みなさん、来年もまた、よろしくお願い致します。


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2019年11月26日火曜日

駐車場を整備してコンクリ作業をしたよ

駐車場を整備してコンクリ作業をしたよ


山奥でのんびり暮らすスローライフ実践中のshigeです。今回は駐車場のDIYの話。


駐車スペースの整備は現在もまだ進行中なのですが、寒い時期への突入もあって完成は来年になりそうな、そんな気がしていて、ここでその過程をブログにあげておこうかと思います。


まず元の状態ですが、こんな感じでした。


軽自動車2台はちょっと厳しいスペース。そしてうっそうとした樹木に覆われてていて樹木側にはなんとなく駐車したくない感じ。


まず、こいつらをバッサリといきました。






うっそう感もなくなり、なんとなく駐車スペースも広くなった感じです。



階段の入り口にあった樹木もぶった切りました。


いろいろと伐採して小綺麗にして、少し整地して砂利を敷き詰め始めたのがこちら。



砂利は一袋20キロ入りで188円。これを10袋、クルマで買ってきては引き詰めて、全部で5回買いに行ったと思うので、計1トン


最終的にこんな感じの地面になりました。一応スッキリ。


2メートルほど領域が拡張されたので、軽自動車ならゆうゆう2台、3台ギリギリくらいの駐車スペースになってます。働かない生き方を実践中の自分ですが、こんな風にきちんと働いております(笑)。


土の流れを止める土留め(ドドメ)

駐車スペースは傾斜地にある家の下に位置するため、そのスペースを囲むように倒木された木材で土留めがされています。しかしもうボロボロ


土留めとしての機能も危うそうだし外観も汚いのでブロックを鉄心で打ち込んでコンクリを流すことにしました。


まず、雑に一段だけ並べてみたのがこんな感じです。


地ならしをして水平になるように整備してから鉄心を打ってコンクリを流し込んだのがこちらの図。背後に見えるボロボロの木材が元の土留めです。



コンクリは専用の桶でこんな感じで練っていきます。水を入れながら調度良い粘度になるまで攪拌します。けっこう腰にくるハードな作業。



雑ではあるのですが、このコンクリを扱えるようになったことで自分でやれる領域が急激に拡大した感じがします。木材で何か作るよりも何十倍も頑強にできて凄く楽しい。



まだ未完ではあるのですが、このコンクリ作業は延べ10日ほどやってます。形にはなってきていて作業はあと1/4くらいが残っている感じです。



バルコニー下の土留め

駐車場側と並行して、バルコニーの下(ここには部屋を増設予定)の前側も土留めを強化しました。前のオーナーからもらった少し大きめな化粧ブロックがあったのでこちらの下段に使ってます。








ほぼ完成した図。





この作業の途中で台風19号の直撃を受けたのですが、土留めの隙間からかなりの土が道路側に流れ出していました。土留めって重要。今回はそんな重要なものを作ったのだという満足感もあります。



素人作業なので仕上がりの美しさはイマイチですが、なんか、ぼーっと眺めてしまいます。いい。



バルコニーの下にも早く部屋を作りたいなぁとワクワクする感じがあります。そのためにもこの作業はやってよかった。


ビフォー and アフター

ビフォー

アフター


重い腰を持ち上げるのに時間がかかりましたが、この図を見て自分でグッジョブ!なんて呟いてみたりして。あはははっ。



まだまだやることは沢山ありますが、今後もボチボチ。こういうことに手を付け始めると、働かない生活もかなり忙しくなってしまいまうようです。それもまた楽し、ですが。



ではでは。



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2019年11月16日土曜日

山奥一軒屋、別荘地生活のすすめ

山奥一軒屋、別荘地生活のすすめ



今から約2年前、この山奥一軒屋の中古別荘を手に入れ貧乏一人くらしを始めてしまったわけなのですが、そこに至った背景には大きく3つ理由がありました。


①うつ病を数年間患っていて都会からはもう離れたかったこと。

②どうせなら、できることなら、仕事もせずにのんびり暮らしたかったこと。

③別荘の視察の途中、偶然、心惹かれる物件に出会ってしまったこと。


山奥一軒屋

元々は逃げ出したかったということなのですが、そんな心的状態の自分の背中を思いっきり押してくれる物件に出会ったということが最大の要因だったと今になってそう感じています。



この住処に出会うまでに5件ほど中古別荘を見てはいるのですが、実のところどこもピンとはこなかったのでした。



「こうでなければだめだ」なんていうよう強い要望はなかったのですが、潜在意識的には何か違うなぁという感覚はあったのかもしれません。



そのことを後から考えてみると、無意識にはいろいろな観点で山奥一軒屋の物件を見ていたのだと感じます。2年前の自分にとっても、現在の自分にとっても、ここは今、パーフェクトです。


山奥一軒家の烏骨鶏


もちろん欲を言えばきりがないのですが、そういう欲にも解決手段は必ずあるもので、クリアしていくことの方がむしろ味わいがあったりするのかもしれません。


山奥一軒家のボロいバルコニー


この周辺の別荘地には何百件という空き物件があります。ですのでどんな要件でも満たしてくれる物件は必ずあると思います。



でも、もし伊豆周辺の山奥別荘で暮らしてみたいと考えている方がいたらキレイとか立派というような観点よりも「ピンとくる」という感覚の方が大事かなぁと思いますので、この点は是非少しだけ参考に。



まぁ住めば都だとは思うので、どうにでもなるかとは思いますが(笑)。



山奥一軒屋、別荘地生活のすすめ


タイトルの話をしたいと思います。僕のここでのダラダラ生活は不定期のこのブログに何度も書いております。



ですので今更でもあるし、魅力的でもなんでもないと思う方の方が多いのではないかとも思ったりしますが、実際ここで生活している人間からすると、今一度、最高であると断言しておこうかと思います。




孤独が好きとか、人付き合いがしたくないとか、そんなちゃっちいことはどうでも良かったりするのです。一言でいうと「自由に何でも出来る」ということ。



家も土地もすべて自由。そして周辺の土地も全て自由。自分のものではないですが、自由、自由。あははははっ。



そしてその逆もまた自由。何もしないでい続けるという自由も手に入れてしまっております。



無職の自分はもちろんお金が尽きれば働かざるを得なくなります。けれど今現在、少ない消費でなるべくその期限を延ばしながら毎日を生きております。かなり楽しい毎日です。



胃が痛いような思いはここへ来てからは皆無だったし、台風で断水10日間というような強制的な修行を受けたばかりではありますが、過ぎてしまえば、あれはあれで良い体験だったと思えます。



台風の豪雨直撃を受けて、家周辺にある土留めがいかに重要かということも認識できたし(土留めが十分でないと土砂が流れ出します)、その認識のもと、腐食した丸太で作られていた部分の大半をブロックと鉄心、コンクリで強固な土留めに作り直したりもしています。この作業には1ヶ月くらいかかったかもしれません。






そんな作業も、業者にやってもらえばとも思いますが、多分、自分自身は面倒くさい気持ち半分、楽しい気持ち半分でやっているようです(お金が無いというのが本当のところですが...えへへへ)。



冒頭、この山奥別荘地へ移住した理由に「逃げる」という表現を用いましたが、今はその感覚は非常に薄く「好んで」やって来たという表現がしっくりくるように感じています。



逃げ出すことをこのブログで推奨していた時期もありましたが、今は「好ましい方向へどうぞ」とお伝えしておきたいと思います。



そしてもし、僕と同じような方向性での選択を取られる方がいるならば、ふたつほどアドバイスしておきたいと思います。



一つ目は縁を大切にということ。これは山奥に限ったことではありませんが、小さな縁を大事にしていくことが本当に良い結果につながるなぁとシミジミと思っていたりします。



もうひとつは、発信。僕自身は大した内容のことは発信できていませんが、存在は少なからず誰かの目に止まってくれているとは感じています。



ブログの更新が続かなければツイートで。僕は今、ゆるくそんな感じです。



周囲に誰もいないような環境に生きているからこそ、真に欲する人間関係が出来てくるのかもしれません。ですので縁と発信は是非心がけてみることをおススメします。



たまには山奥暮らしでのデメリットも書いてみたいと思うのですが、期待を裏切ってすみません。今のところ、ありません。



あ、ひとつだけあります。冬はやっぱり寒いです。でも今年はもう大丈夫。自律神経の不調もここで暮らすようになって劇的に改善しました。



最後になりますが、山奥には意外にも若い方が多く暮らしています。この家から一番近いご近所さんは40代前半。先週初めて山奥喫茶で直接お会いしたツイッターのフォロワーさんは50代前半。ウコッケイつながりのご夫婦も40代前半。



山奥の別荘地は決して姥捨て山ではないのですよ。念のため、念のため。



みんなまだ一般的には十分な余生がある年齢。それでものんびりと。そんな雰囲気もとても良い感じなのです。



今日の午後もまたのんびり過ごそうかと思います。



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2019年10月23日水曜日

山奥一人暮らしを応援してくれる人の存在

山奥一人暮らしを応援してくれる人の存在



伊豆の山奥のど田舎で一人暮らしを始めてからかれこれ1年半が経ちました。移住後はブログを介して、ツイッターを介して多くの方々遊びにきてくれました。東京や関西の友人達も遊びにきてくれました。




そのことが大きな励みになって、そして誰かが来るというタイムリミットがあったことで、室内のDIYもかなり進めることができたような気がします。孤独感もおそらく払拭できたように思います。



そして新参者の自分と親しくしてくれるこの山奥に住んでいる、勝手に友人と呼ばして頂いている方々の存在も大きな励みとなっています。ウコッケイつながりの方々、喫茶店のママさん。




そんな恵まれた環境に生きてしまっているのですが、この山奥に遊びに来てくれた方の内の一人と特に親しくつき合わせて頂いていて、実はかれこれ半年になります。



ブログやツイッターではこの話題には触れてはいなかったのですが、あえて今回この記事で触れさせて頂こうかと思います。



心の大きな支え


会社を退職し、離婚をし、全てを捨ててこの山奥へ移住してしまった自分にとって、周囲に誰もいない静かな山の中での暮らしはとても新鮮で心地の良いものでもありました。



しかしながら、気楽にのんびりと暮らしてはいても、時折、ふと、うつ的な心的状態へのより戻しがあったことも事実ではあります。



家やバルコニー、広い敷地のDIYを進めていくことは、そんな心的状態を払拭するにはとても良いアイテムではあったのですが、それらが進んでいくことの喜びを誰かと分かち合えたらとも思っていました。



時折ブログでDIYを記事にしていたのはそんな思いからでもあります。



そんな僕の心情を知ってか知らないでか、働かない生き方を選択してしまっているこんな自分と一緒にDIYを進めてくれるという人が現れてくれました。



そして実はもう彼女には玄関や風呂場、駐車場、その他いろいろと手伝ってもらっています。



今まで自分ひとりでやってきたことを手伝ってもらい、完成を一緒に喜んでくれる人が存在する今、このことは本当に大きな心の支えになっています。



今だ収入面では何の施策も立てていない自分ですが、今のこの質素な生活でも何の問題もないとも言ってくれるような人でもあります。



この先のことを決めるかどうかはまだ全然わかりませんが、こんな良い関係がずっと続いていってくれたらとは思っております。



良い人にめぐり合えたこと。このことには、この山奥の住処を手に入れたことと同じくらいに感謝しています。



怠惰な生活は依然として続いていくとは思うのですが、大切にしたい人がいるという事実は、どんな薬よりもメンタル的にも効いているのではとも感じています。



ブログの内容は今まで通りになりますが、一応、お伝えしておこうと思い記事にさせて頂きました。



余計な内容であしからず...。



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