2020年4月29日水曜日

破損した給水管を修理、水のない生活から復活

破損した給水管を修理、水のない生活から復活


給水管が破損(自分で壊した...)した翌日、硬化型の強力パテと水漏れ用補修テープで給水管の補修作業を行いました。



こんな感じできりたんぽみたいにパテで破損個所を固めるという。



硬化剤が固まるまでに常温で24時間のようです。前日も風呂に入れず、トイレにも行けずでしたが、更に一日延長となります。(給水管を壊してしまった前回の話はこちら → 地中の水道管を壊してしまった。トホホな話。 )



硬化剤が固まるまでの時間、実はその間、ずっと考えこんでおりました。ブログに書き込んで頂いた沢山のコメントも参考にして...。



非常に不安...。不安。パテでは不安。



破損個所がパテで修復できているとして、それはいったいいつまで、もつのだろうか...。土の中に戻して、1か月後、半年後、1年後、いつかは、ダメになる。間違いなく。



土の中というのが非常に恐ろしい目に見えない場所だけに、少しずつ水が漏れ始め、気が付いたころには土砂が流れ出して階段が崩れる。そんな恐ろしい光景が頭の中を駆け巡ったのでした。



不安ならきちんとやろう


パテやテーピングではダメ!!。どう考えても不安。この先、そんな不安を抱えながら過ごすならば、面倒くさがらずに交換じゃ~、っということになりまして、給水管の交換初挑戦致しました。



こちらが硬化パテが固まった状態。一応破損個所は塞がれています。



しかし、切断!した!





破損個所を切断して新しい配管パイプをつなぎ合わせることにします。しかしどうやってつなぐのだろうか。左右のパイプに接手を付けるとして、一直線のパイプでは、はまる気がしない...。



ところが!素晴らしい方法があったのですよ。ネットで見つけたのですが。



切断した左右のパイプにコの字に配管パイプをつなぐという優れ技。



再びホームセンターへ。L字型のつなぎ部を4個、塩ビの配管2mを1本、塩ビ用接着用材をひとつ。合計で700円ほど。思っていたよりもかなり安かったです。




配管パイプを必要な長さに切断します。




必要な長さに切ったら、仮止めして接続。こんな感じで、直線ではなく、コの字型に接続。コの字なので配管パイプを無理に曲げずに差し込むことが出来ます。




あとは、本止め。配管パイプ側とL字型のつなぎの両方に接着剤を塗布して、おもいっきり押し込む。塩ビが溶けて頑丈に接続されるらしいです。接着用の溶剤はこれ。塩ビ専用。




30秒ほどで全く抜けなくなります。非常に簡単。



ただ配管パイプの長さは現物合わせで切っていったので、何度か失敗しました。短すぎたり長すぎたり。



そんな失敗作業も含めて、作業開始から1時間ほどで全行程を完了~!以外や以外、実に短時間。そして完全な接合という絶大な安心感



30分もすれば完全に接合されるそうですが、2時間ほど待ちました。そしていざ、水道の元栓をオープン!ジュジュ~という水音と共に水が供給されました。



肝心の交換部分はというと....



完璧です!完璧。



ただ、様子見は必要だと思うので2,3日は土をかけず、そのままにします。



久々にお風呂にも入りました。極楽、極楽。



階段のコンクリート化作業の出だしで思わぬトラブルに見舞われましたが、結果、良い勉強になりました。




明日からまた階段の制作に戻ろうと思います。めでたし、めでたし。


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ブロック、コンクリート、鉄芯で階段を自作DIY



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2020年4月27日月曜日

地中の水道管を壊してしまった。トホホな話。

地中の水道管を壊してしまった。トホホな話。


今回は地中の水道管を壊してしまったというトホホなお話です。



何のことかと言うと、まずは、この家の玄関へ続く階段について。上から5段目までがコンクリートの階段。そこから下の十数段は自作の丸太階段になっております。



この丸太の階段は中古別荘を購入した時に、突貫作業で作った階段なのですが、かなり腐食も進行しております。見た目もイマイチ。( 2年前に丸太階段を作った話はこちら→ボロ別荘の崩れ落ちた階段を丸太でDIY )



そこでいよいよ、ブロックとセメント本格的な階段制作にチャレンジしようと、作業を始めてみたところから、今回の悲劇が始まります。昨日のことです。



丸太を抜いて、土を掘り起こして、ブロックを鉄棒で打ち込んで...。





この手の作業は何度もやっていることなので、かなり強引に堀り進めております。地中からは大きな石が出てくることもあるし、棒や空き缶が出てくることもあります。



そんな中、塩ビの管が出てきました。



また、こんなものを土の中に放置して!ぷんぷん!



というノリでした。大きなスコップゴリゴリっと下から上へ持ち上げたところ、ピシューっと水が噴き出たじゃありませんか!




あれれ?なんじゃこりゃ?なんで水が噴き出てくるの?



しばらくは、何が何だか全くわかりませんでした。だって土の階段の下に水道管が配管されているなんて、全く想像もしていませんでしたから...。



しばらくすると噴き出る水の量がどんどん増してきて、土で出来ている階段が、ドロドロと流れ始めました。もうパニック。



これが何の水道管なのかは、この時点では、まだわかりませんでした。とにかく水が出ている。そこで、とりあえず家の水道の元栓を閉じてみました。それでも止まりません。



実のところ、水道に関しては家の元栓の位置しかしらず、よくわからない状態。



ただ、階段を下りた一番下の道路沿いの草むらに水道メーターがあることは知っていました。頭をよぎったのは、そのメーター横にある栓が本当の大元の栓ではないか、ということ。



そいつを閉めてみると、なんと、シューシュー噴き出ていた水が止まるじゃありませんか。と、いうことは、壊してしまった排水管は、僕の家の中に水を供給している排水管。確定!



どよ~ん...。



でも一応、水の吹き出しを止められたので、とりあえず心臓がバクバクするのは弱くなってきました。



そう、水は止まったのだから、ここから、なんとかすればいいのです。



自力で修理してみる

給水管は完全に割れてしまったわけではないので、エポキシ系の強力なパテ破損個所に塗って、乾いたら水回り用のテープでグルグル巻きにしてやればなんとかなるんじゃないだろうか。たぶん。たぶん大丈夫。



そう思って、急遽、ホームセンターに行き、修理用の材料を手に入れてきました。でも外はもう薄暗くて、昨日は作業が出来ませんでした。




と、いうことで翌日作業をすることにしたのですが、そこで問題がひとつ


直るまで家中の水が出ないということ。元栓を閉めているので当たり前なのですが、去年の10月、台風での10日間の断水、それと同じ状態になるという恐怖が脳裏をかすめたのでした。



風呂にも入れず、トイレにも行けない。結構悲惨な10日間でした。(台風で断水した時の辛かったの話はこちら → 山奥別荘地への台風の直撃 )



今回は、パテが完全に固まってテーピングをして、またパテを塗って...。おそらく48時間は水を止めておく必要があると思われます。



それだけやっても、少しでも漏れるようであれば業者に頼まないといけないかもしれません。



最短48時間、最長5日間くらいかも...。そんなことを考えながら昨夜は眠りにつきました。



日付は変わって翌日

昨日から一夜明けて、今日やれる作業をやり終えて、今、これを書いております。強力なパテを乾燥させて乾くまで24時間。強度的にも問題ないか、水がもれないかは、それは明日にならないとわかりません。



どうなることやら....。



何十年も前に建てられた別荘には、こんな落とし穴ないはずであろうところに配管がある、なんてこともあるので、自分で何か作業する方は注意してくださいね。



そんなことする人は、あまりいないとは思いますが(笑)。



そして、ただいま、トイレのことを思案中。畑でしちゃおうかぁ~。あはははっ。



以上、あまりにもアホな、トホホなお話でした。



ではまた。



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2020年4月17日金曜日

傾斜した庭を整地DIY。バーベキューを快適に。

傾斜した庭を整地DIY。バーベキューを快適に。


50代でセミリタイアしてしまったshigeです。今日は傾斜地の庭の話になります。


この山奥の中古別荘には元々ワイルドな感じの庭が付いていて、そこでバーベキューをやっていたのですが、実のところ、あまり快適ではありませんでした。



前のオーナーが木を倒して整地したのだと思うのですが、傾斜が...傾斜がひどいのです。



僕は三半規管が発達しているかもしれません。斜めになっている地面を見ていたり、その上に立っていると、頭がクラクラしてきます。山の斜面を見る分には大丈夫なのですが、不思議です。



ですので、庭へ出る頻度も少しずつ少なくなってしまって、雑草だらけの荒れ果てた状態にもなりました。



ただ、遊びに来てくれる人がいれば、時折その荒れ果てた傾斜のひどい草むらの中でバーベキューをやる。そんな程度には使っていたという感じです。



傾斜地の整地をする


傾斜地の庭の整地にあたって、まず、全面にひかれている人口芝の撤去が必要でした。草の根も張り巡っていて、全くはがせない状態。実は少しだけ剥がす作業をしてみたことがあります。



でもこの作業だけでも大変で、やろうと思い立ってからやり始めるまで中々ふんぎりがつきませんでした。



人工芝の撤収で出たごみは、大袋で10袋以上。ちかれた....。



人口芝を撤去した後は、傾斜の上部から土を掘りだして、下部へ移植する作業なのですが、スコップでひたすらやるだけ。そしてやり続けること半年



上部と下部の高低差にすると80cm!くらい堀さげました。



数値を見てもよくわからないとは思いますが、ひたすら穴を掘り削りひたすら土を移動




やってもやっても平にならない、水平にならない、途方もない作業でしたが、彼女にもちょこちょこ手伝ってもらったことで、なんとかモチベーションが維持出来たのかもしれません。



途中、ぐちゃぐちゃで、まだまだ傾いている庭の状態で焚火やらバーベキューやらをやって遊んだりはしています。



ブロックでのバーベキューコンロ


暫定的に傾斜地面の上に適当に組んだバーベキューコンロだったのですが、周辺がある程度水平になってきたところで、きちんとした形に組みなおしました。



砂をひいて、水平がきちんと出るように土台を調整しながら、こんな風に組んでおります。









このコンロは焚火にも使えて土台に一段ブロックを入れればバーベキューにも使えるという優れものです。ブロック10数個、千円ちょっとで組んだコンロですが、使いやすくて気に入ってます。




傾斜の最下部を一段上げる


上部の土を掘り起こしただけでは水平を出すことが出来なかったため、傾斜の最下部にブロックを打ち、高さを確保してます。ブロックは水平出しをした後、杭を打ってコンクリを流して強固に。




上から見た全体像がこんな感じです。ちなみに左上に見える長椅子も自作です。




砂利20キロを10袋まいた状態です。全体を覆うにはあと20袋ほど必要かもしれません。作業はもうあと少し。あと少し。



放置していた庭


途方もない作業量が頭の中に浮かんでしまったため、結果として放置し続けた庭なのですが、ちょっとずつ作業してみたら、かなり快適なスペースが出来上がってしまった、という感じです。



半年はかなり長いですが、時間を気にせず気楽にマイペース。何もやらないよりはやった方が良いそんな軽い感じが良かったのかもしれません。

Before

After



ここでバーベキューをやりましょう!と、今現在は気軽には言えない混沌とした国内の状況にはありますが、来年はみんなで楽しくワイワイできたらいいなと思っております。



その時が来たら、ワイワイやりましょう。



みなさん、コロナには本当にお気を付けください。



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50代でセミリタイアしてしまった話

2020年4月8日水曜日

山奥の春は、やはり、わらびが美味しい

山奥の春は、やはり、わらびが美味しい



待ちに待った春がやってきました。


やはり山奥での田舎暮らしは春から夏にかけてが一番快適。そして楽しい。先月、ここでの生活の相棒だった、ぴよ子(烏骨鶏)が天に召されてしまい、自分でも、こんなにも動揺するかと思うぐらい、グラグラになりました。



でも今はここに2羽のつがいの烏骨鶏キーちゃん(♂、右側)とクーちゃん(♀、左側)がいてくれて、またいつもの生活を取り戻せております。




この2羽は、とっても仲が良くて、いつもべったり。畑で僕がミミズを見つけると、クーちゃん(♀)が全部食べてしまいます。



心優しいキーちゃん(♂)が、手にした獲物を全てクーちゃん(♀)に献上してしまうのです。決して自分では食べない、ものすごい紳士的なオスです。見習わなくては、ですね(笑)。




さてさて、春になりました。昨年も沢山食べましたが、「わらび」。またこの季節です。通常、わらびが出現し始めるのは3月上旬くらいからですが、ここは標高400メートルあるので1,2週間ズレます。




現在が全盛期。しかしならが僕は2週間も前から標高の低い場所へ散歩に出向いて、かなりの量をすでに食しております。



標高100メートルくらいの場所から、住んでいる400メートルの場所まで、陽が当たる場所には、かなりの確率で、わらびの生息地帯があります。



天ぷら煮物炊き込みなどにしたりもしますが、やはりシンプルな、お浸しが好きです。鰹節と少量の醤油だけをかけて、温かいご飯と一緒に。




わらびはスーパーでも買えますが、水煮になっているものと比べると、やはり風味が違います。とてもうまいです。



あまり食べすぎても良くないので、3日に1回くらい。ビニール袋を持って、たまにブラブラと。春っていいなぁと、初めに感じるのが、このわらびの出現。




そして畑。今年こそは、きちんと畑をやるぞ!っと気合が入っております。ここでの一人暮らしでの春はもう3回目なのですが、過去2回とも、怠惰な日常生活であったがゆえに畑は森と化し、トホホな状態となりました。



昨年は首の骨を痛めてほとんど手入れができずということもあったのですが...。だから今年は健康にも気を付けて、畑もきちんと手入れをしていきますよ。必ず!



今、下から一段目に男爵イモ小松菜、二段目にメイクイーンチンゲン菜が植わってます。三段目には各65円で買ってきたきゅうりミニトマトピーマン。4段目にはアスパラパクチー




まだ空きがあるので、何かしら、あと5,6個は苗を植えようと思ってます。



と、こんな感じで毎日、春を感じながら適度に身体も動かしのんびりと生きております。



都会ではいよいよ、ふんちゃら宣言がだされ、山奥で一人暮らし、田舎暮らしでのんびりしている自分としても、ちょっと怖い感じがしております。



みなさん、気を付けてくださいね。


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2020年3月14日土曜日

山奥の相棒ぴよ子が天に召されました

山奥の相棒ぴよ子が天に召されました


この山奥に住むようになって一年が経ったころ、ここでの一人暮らしに慣れた時分、烏骨鶏のぴよ子を部屋の中で飼い始めました。



それはもう、可愛くて可愛くて、そしてものすごい甘えん坊で、寝るとき以外はほぼ終日、いつも僕の半径50cm以内にいるような奴でした。



子供のような、相棒のような、そんな存在。いつもいつも癒され励まされ、元気をもらっておりました。



そんなぴよ子が一昨日、急に天に召されました。体調が悪くなったり良くなったりを繰り返すことは何度かあったのですが、あまりにも突然のことでした。



最期は僕の腕の中で息を引き取りました。クウクウと苦しそうな息遣いがスーとなって。涙が、涙か止まりませんでした。何時間も何時間も。



僕はぴよ子にものすごく依存して生きていました。山奥に一人で生きてはいますが、寂しさという感覚を全く覚えることがなかったのも、ひとつはぴよ子という存在のお陰です。



外から帰ってきたとき、「コケコッコー」という大きな雄叫びで出迎えてくれました。



かごから出してあげると、烏骨鶏特有の小刻みなカズダンスのステップで喜びを表してくれました。



ペットというよりは相棒。僕の中では完全に擬人化していました。



そんなぴよ子が突然逝ってしまって、泣いて泣いて泣き続けたあげく、悲しみというものを通り越してしまって、「絶望」という状態に落ちいりました。



もしかしたら、僕はもう山奥のこの家では暮らせないないかもしれない。ぴよ子のいないこの家では。そんな思いが襲ってきました。



ペットロスという言葉はよく耳にしますが、そういう定型的な言葉では言い表せない耐え難い思い。



もうダメだ。涙も止まらず思考は絶望の淵をさまよい続け、見れば見るほどに、どうしようもない気持ちにさせられるぴよ子の亡骸。



ずっと部屋に一緒にいることもできず、当日にお墓を作り埋葬しました。僕が毎日必ず通る、よく見える庭の入口に。



数時間絶望の淵を彷徨いましたが、ぴよ子を譲ってくれた喫茶店のママさんには連絡をいれておくべきだと思い、Lineをしました。



ぴよ子が逝ってしまったことと、自分自身が絶望の淵にあって何も考えられないでいること。そんなことを短文で。



ママさんは案の定、励ましてくれました。



そして更に、ママさんの家で飼っている烏骨鶏を譲ろうかとも提案してくれました。



普通ならここで、お心お気遣いだけを頂くはずです。ですが、僕はもう過去に経験したことのない、この空虚感、絶望感に耐えられなくなってしまっていて、ママさんにすがらして頂くことにしたのでした。



ぴよ子が亡くなってすぐにまた別の烏骨鶏を家に招くなんて、なんて不謹慎なのだと思うかもしれません。



でも自分自身も倒れてしまいそうなくらいボロボロで、夜が来て朝がきて、また夜がきて朝がきて....、どんどんその底の底の方へ引きずりこまれそうで。



今ここに雄雌、つがいの2羽の烏骨鶏がいてくれています。物静かな2羽の烏骨鶏ちゃん達は、自分から僕にすり寄ることは、まだありません。でもぴよ子がいなくなり、ボロボロになっている自分にとって、今、家にいてくれるだけで、とてもありいがたい思いです。



ここで約1年間一緒に過ごしてくれたぴよ子の存在は僕の中から消えることはないと思います。こんな内容の記事を書いていると、また大粒の涙が零れ落ちてきます。



本当にありがとう。ぴよ子。感謝しきれない気持ちだよ。ぴよ子。ぴよ子。ぴよ子。


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2020年2月16日日曜日

山奥引きこもりの1ヵ月半

山奥引きこもりの1ヵ月半


俗世を離れひっそりと働かない生き方を実践中のshigeです。


またブログの更新が滞ってしまいました。年末に更新してから1か月半。しかしまだ、しぶとく生きております。働かないで(笑)。



さて、この1か月半の状況ですが、相も変わらず家や土地のDIYをせっせとやっておりました。ただ寒いと出来ない(やる気が出ない)ことも多々あって、なんとなくやったかなぁ~程度です。



特に今は裏庭の竹狩りをせっせとやっております。竹といっても笹のような細くて1.5メートルほどのものなのですが、面積が広いのでかなりの重労働。



Before Afterの比較がないのでよくわからないと思いますが、横に積んである丸太の後ろ一面が竹藪でした。やっとのことで2/3ほど切り倒して、木々に隙間ができてきた感じです。風通しもよくなりました。



3時間ほどの作業を1ヵ月ほどやってますが、まだ終わってません。電動の草刈り機のようなもので切り込めるものではないので、手作業。永遠、無限にも思える途方もない作業です。



ただ、刈り込みが完了すればかなり陽の入り方が変わるので、結構本気だったりします。



山奥の安全性

さてさて、そんな感じで山奥に引きこもっているわけなのですが、都会ではいよいよコロナの感染が表面化してきたようで、こういう時期は働かずに山奥でのひきこもりも悪いものではないかなぁとも思ったりしています。



そもそも満員電車が大の苦手で、コロナ騒ぎがなくても、もう一生乗るまいとは思っておりました。



僕のような豆腐メンタルな人間は、感染を想像してしまっただけで本当に症状が出てまうかもしれません。ですので、これからも人込みは避け、極力山奥に居続けようと思っております。



都会は利便性も高くて刺激もあって、パワーのある内は良い場所にも思えるのですが、パワーゼロの今、やはりこの山奥がとても心地いい。やりたいことだけやって、やりたいことがなければ無為に時間をつぶしていく。



この1ヵ月半、体調を崩していた期間もあったのですが、何の焦りもなく、ただあるがまま、動けないときは動かなければいいとも思っておりました。



しかし来週からはいよいよ畑にじゃがいもの植え付けをしようと思ってます。去年よりも少しだけ畑も広くしました。毎年ちょっとずつ。そんな感じで、相変わらずかなり適当。




この後、この日本がどうなっていくのかは、わかりません。しかし元の安全な日本に戻ることを切に願っております。



働いている方も働いていない方も、みなさんも十分にお気をつけくださいね。



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働かない生き方、働きたくないのでお金を使わない



2019年12月30日月曜日

思いっきり自由に生き始めて2年目の年末

思いっきり自由に生き始めて2年目の年末



この山奥の別荘地に移住して思いっきり自由に生き始めてしまって2年。今、この年末に思うことを少しだけ紹介しようかと思います。



直近の5年間は自分の人生にとっておそらく最悪でかなりキツイ期間でした。うつ病やら、休職やら、別居やら、退職やら....。



そんなこともあって、ここでの2年間は、本当によく眠ってよく食べてよく遊んで、あっと言う間に過ぎていった、そんな悠々自適な、自由に生きてると感じられる毎日にだったと思います。





ここに移住する以前は、何度も何度も最悪のシナリオなども頭の中を行ったり来たりしていました。本当に危なかったと今にして思います。



あれは苦しい時期にことだったのだと、自分の人生や自分の物事の捉え方を、かなり客観的に見ることができるようになっているのは、奇跡的なことなのではないかとも思います。



働きたくないという思いま今もまだ強いため、いまだ経済的な問題は解決できていないというのも事実です。でもそのことに関しては大した不安もなくなんとかなるという感覚で生きられています。



この感覚自体も数年前の自分には絶対にありえなかったものだったのかもしれません。



1年間での出会い


暖かくなってきた時分、以前から気になっていた、山奥唯一の喫茶店に恐る恐る顔を出してみました。こんなところにある喫茶店なんて、なんかすごく閉鎖的に感じません?本当に恐る恐るでした。


写真はイメージ画像です。


でも間逆だったのです。とても心地良くて楽しくて、いつしか週末は必ず顔を出すようになってしまいました。このお店でママさんと出会えたことは自分の生活の大きな転機にもなったと感じます。



だってピヨ子と出会えたのですから。



こちらその当時のピヨ子です。今年の5月。





そして現在のピヨ子。ちなみに雄です(笑)。




ウコッケイを飼ってみない?というママさんからの執拗な問いかけ(すみません)に、いつしか「お願いします!」と言ってしまった自分。ママさんは有精卵から何羽も羽化させていて、その内の一番可愛い雛を頂ました。



ウコッケイは生後3~4ヶ月経たないと雌雄がわからないため、この時点では当然オスなんのかメスなのか、分かりませんでした。でも可愛いのでピヨ子と命名。



4ヵ月後、コケコッコ~!と雄たけびをあげるようになりましたが、いまだピヨ子と呼んでおります(笑)。



いずれ犬か猫を飼おうと思っていた自分が、今、室内でウコッケイと仲良く暮らしています。縁というのは実に面白いものです。そして実にありがたい。



テッシュペーパーでフンを拾い、落ちた羽を掃除機で吸う。終日こんなことを繰り返しています。でも大型の鳥がキッチンでもトイレでもバルコニーでも僕の行くところ行くところに付いてくる。すごく可愛いと思いませんか?本当に可愛いやつなのです。




ウコッケイつながりの友達も沢山できてしまって、勇気を出して踏み出した山奥喫茶店への一歩が僕の世界を大きく広げてくれました。そして幸せな気持ちにさせてくれました。この場で再度、お礼を言わせて頂きます。ありがとう。



彼女との出会い


一度このブログに書いていることなので、再度書くのは気が引けますが、僕にとっては大きな出来事ですので、また少しふれさせて頂こうかと思います。彼女は4月に遊びに来てくれたツイッターのフォロワーさんでした。



いつものパターンで庭でバーベキューバルコニーでコーヒー、いろいろと話をして楽しい時間を過ごさせて頂きました。いつもなら、ありがとね~っという軽い感じなのですが、この時は少し違った感覚を覚えました。また本当に会いたいなぁ。そう思ったのです。



自然もDIYも好きだと言う彼女の言葉に、手伝ってくれたらなぁという感覚もあって、その後も頻繁に遊びにきてもらうようになりました。そしていつの間にか、駐車場や玄関、裏庭...もう全面的に手伝ってもらっています。



冬場は毎年、冬季うつぎみになる自分ですが、今年の冬は大丈夫そうです。メンタルの支えにもなってくれていることにも本当に感謝しています。この誌面でも彼女には感謝を伝えておきたいと思います。ありがとう。



春も夏も秋も冬も


そんなこんなで、一年を通して自由に生きてしまって、楽しい時間がずっと続いてきたように思います。移住当初は、世を捨てて山奥一人暮らしと力んでいましたが、人と接することで開けたことの方が圧倒的に多いということも事実です。



人は自由を求めます。でも、自由を手にした瞬間、そんな自由につぶされてしまう人も多いんじゃないかという気がします。完全な孤立は自由であって自由ではないのかもしれません。



だからこれからもまた、来年もまた山奥に居ながらも人とのつながりは大切にしたいと思っています。このブログもツイッターも。



みなさん、来年もまた、よろしくお願い致します。


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