2018年12月9日日曜日

働かないってワクワクしない?

働かない生き方の指南書


ブログの読者さんから薦められて、ある本を読んでいるのですが、退職した自分が感じていることと同じことが、この本に書かれていたりして、ちょっと驚いたのと、かなり嬉しかったので少し紹介しておこうと思います。働かない生き方を模索している人にもおすすめの本です。


まだ半分ほどしか読んでいないので読後には全体を通したレビュー的なものも書いて紹介する予定です。


その本は、というと
働かないって、ワクワクしない?」というタイトルのアーニー・J/ゼリンスキー著の本。





僕は退職して現在も暇で暇でしょうがないという知人を知っていますし、絶望に近い感覚を持っている知人も知っています。そして僕自身も退職後の数ヶ月間、東京のアパートでくすぶっていた期間には、非常に強い焦りを感じていたのも事実です。



とにかく自分は働かなくてはいけないという義務感に常に襲われていました。



働くことは美徳


まず、働いていないことへの焦りや不安はどこから来るのかというと、「働くことは美徳」であるという信念を誰もが持っているからだということらしいです。それは強固な固定観念で、ちょっとやそっとでは崩せないというツワモノ。




その通りかと思いました。これは無職になって1,2ヶ月すると誰もが感じることだと思います。経済的に困っていれば焦るのは当然ですが、裕福な人でもほぼこんな感覚に囚われると思われます。



そのために、まずこの美徳という考え方をあらためて、人はもっと自分の自由な時間を大切にするべきだと考えてみることがこの本の第一の観点です。



ただそこには落とし穴もあって、例え考えを改められたとしても、この時間を使いきれなくなってしまう人が多いという点。そのためには準備が必要とのこと。




そこで、定年を迎えたり、早期に退職した人達がその有り余る自由時間をどのように捉え、どのように謳歌していくべきかというところがこの本の第二の観点です。




自由時間や人生全体を楽しむには


では、自由な時間、自由な人生を楽しむには何が必要不可欠かというと、まず結論を言ってしまいますが、それは「プラス思考の生活」ということです。




「暇でしょうがない。なにもやることがない。」と嘆くのではなく、何事も実現できる「プラス思考」を育てていくことが大切だと筆者は言っています。



要は、楽しいことはそこらじゅうに転がっているけれど「なんでも実現できるのだ!というプラス思考」が備わっていなければ、新鮮な方法で人生を経験したり自由時間を味わうことができないというのです。



僕自身の話しになりますが、僕はこの山奥の家を手に入れて半年ちょっとの間、家の改修をしたり、本を読んだり映画を観たり、料理を楽しんでみたりと、退屈などすることなく毎日を楽しく過ごしてこれたように思います。



自分自身がプラス思考かどうかはわかりませんが、ここでやりいたいことやるべきことはまだまだ山のようにあります。でも、そう感じているということを考えると、やはりプラス思考なのだとは思います。



このブログを書いていることもそのひとつかもしれません。そんな風に、自分のやれることをどんどん取り入れて楽しんでやってしまう思考こそが大切なのだということかと思います。僕も著者の考え方に完全に同感です。



もちろんボーっと寝転んでいても良いのです。そういう時間も大切だし、そういう生活をしたいがために、ここに来たともいえます。



自分の興味、能力を利用


この本の中には、自由時間に楽しめる活動の具体例が沢山記載されています。それもやろうと思えば今すぐやれそうなことばかりです。しかしここで重要になってくるのは、やはりそれらを楽しんでいくためのプラスの思考。



ワクワクしながら楽しそうなことをやっていく。折角の自由時間を人生の冒険と捉えて成功させるには、自分の能力興味をきちんと知って、それらをうまく利用していくことが大切なのだとも本の中で著者が言っています。この点も本当にその通りかと思います。



まだこれから後半部分を読むところですが、これからの自分の人生の指標にもなりそうだと感じました。



「働かないって、ワクワクしない?」っと誰かにつぶやけるようになるためにも、これから自分自身がワクワクした時間を過ごす工夫をどんどんしていこうと思っています。




続きは後半の読後。


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2018年12月6日木曜日

無職の一日の過ごし方、一日一日を大切に

無職の一日の過ごし方、一日一日を大切に


朝方、よくツイートをしているのですが無意識の内に「今日も良い一日を過ごすためのヒント」的なことをツイートしてしまっています。無職の自分が一日の過ごし方を提案するなんて。



おこがましいとも思いますが、割と多くのいいねを頂けているようなので、ここでいくつか紹介しようと思います。人生は自己満足という感じではあるのですが。



不毛な会話にも意味がある







自分が正しいと思うことを正義感を振りかざして話すのは時に気持ちの良いものです。しかし、多くの場合、後で後悔することになります。



何故ならばそれは話を聞いてくれている人のことを全く考えていないから。



完全なる自己満足の世界。



友達と話をする時には、是非楽しく話しましょう。正しいことなんて面白くないです。そんなの話すのはやめておきましょう。正しいことより楽しいこと。重要な気がします。




みんな違うのだ







人間ですから、あったまに来ることはあるはずです。でもその幾つかは、上に上げたように考えてみると、もしかしたら全然頭にくることではないかもしれません。



自分が考えたり行動したりするのと同様に、誰もがいろいろな考えを持っています。そして一般常識としての許容範囲を超えなければ、誰もが行動する権利を持っています。



少しぐらい自分と違うからといって腹を立てるのは辞めてみませんか。きっとより良い一日になりますよ。




あっと言う間の一日、あっという間の人生






どんな風に人生を捉えていたとしても、最後の最後の瞬間には誰しも、あっと言う間の出来事だったと感じるのだと思います。



後から見れば、誰にとってもあっと言う間の人生です。そのあっと言う間の内のひとつ。今日一日。ちょっと貴重かもしれないって思って過ごしてみませんか。



いつもと違った一日に感じられるかもしれません。




以上、3つのツイートをピックアップしてみましたが、こんなことを少しだけ気に掛けてみると良いことがおこるやもしれませんよ。



是非、是非。



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2018年12月3日月曜日

無駄な浪費をしない思考になって思うこと

無駄な浪費をしない思考になって思うこと


このブログのタイトルを「Bライフ田舎くらし....」としていますが、おそらく本来の意味でのBライフではないかもしれないとは思います。ただ無駄な浪費はしません。そしてその発想は十分に享受しています。お金を掛けずにゴロゴロと過ごすという。



退職後に東京にいた時のことですが、相当焦っていました。働かなくては、働かなくては、という思考が四六時中頭の中を駆け巡っていて、もう働くことが自分の唯一の選択枝のような錯覚(今の時点では錯覚だったと感じています)に陥っていました。




そこでそのころ何故そんな思考に陥っていたかを考えてみましたが、今だからこそではありますが、かなり明確にその理由が見えたりもします。


生きている価値がない

それは、常識というか洗脳というか、働くことが当たり前で、それをしていない自分には生きている価値が、意味がないのではないかというガチガチの固定観念。うつ病で休職し退職までしているのに、思考はまだ働くということに置かれていました。恐ろしいことです。



働くことが好きな人

働くことが好きな人と嫌いな人。この比率はどれくらいでしょうか。面白い説があるのですが、①とにかく真面目に働く人、②時々サボる人、③常にサボる人、この3者の比率は2:6:2らしいのです。



だから多分、本当に働きたくないと思っている人は2割ほどしかいません。6割の人の思考は、働きたくないけれど時々サボる程度で大丈夫というものでしょう。2割の人は心の底から働きたいと思っている人。




僕もこの6割の中に含まれていた極々普通の人だったのだと思います。働くことがまず基本。そして時々サボる。だから全く働かない状態になった時、戸惑ってしまったのです。焦ってしまったのです。



しかし、この焦りについて考えてみると、何故そんなに焦るのか、という思考にもたどり着くことが出きたりもします。実際には焦る必要などないという結論に至ることも出来ます。事実そういう結論にしましたから。働かない生き方という。



退職後に何度も自問しました。このまま働かない生き方を選ぶという選択肢など本当に有りうるのかと。そしてその状況に自分は耐えられるのかと。



この山奥の家は11月に手に入れていますが、10月、11月....5月まで実に8ヶ月も踏ん切りがつかなかったくらいです。それほどに働くことの固定観念がガチガチに固まっていました。それもアルバイトではダメで正社員として再就職しなくては、と。



別にやりたい仕事があったわけではないのです。義務感、焦燥感、このままではヤバイという感覚。ただただ、そういうものに苦しめられて寸でのところで、面接を受けてしまおうかというところまでいきました。



ほんと、アホ。



東京のアパートに住み続けて、また深夜まで仕事がしたいのか?とその時の自分に問いただしてみたいところです。もし仮にそんな選択をしていたら、多分もうとんでもないことになっていたと容易に想像がつきます。



環境が変わって、何もかもが変わって、もの事の見え方、捉え方まで変わりました。




もっと自由に。もっと柔軟に。



やりたいことが見つかったらやってみればいい。



そのためのBライフ。
東京のアパートにいたころの様な浪費生活のままだったら、こういう思考にはなれなかったと思います。使わずに温存。やりたいことが見つかれば始動。



Bライフ的な発想に出会えたこと、そしてそんな思考に至れたことに、今とても感謝しています。



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2018年12月1日土曜日

お金がない不安はお金を使わないことで解消する

お金がない不安はお金を使わないことで解消する


お金がない不安を抱いている方。そんな方々へお金を使わない生活についての僕の考え方、僕の生活での意識をこのブログを通してお話させて頂こうかと思います。



一週間一円も財布からお金を出さない

僕が山奥の自宅から出かけたのは先週の土曜日。500円の温泉に行きました。その帰りに食料を少し買って、いつの間にかそれから一週間。とうとう記録を更新しました。



お財布から一円も出さずに7日間という記録の達成。パチパチパチ。




何もしていないという証拠でもあるので、喜ぶべきことでもないのではありますが、この7日間という実績は結構良い指標になるのではないかと思っております。



山奥で気ままに自由にテキトーに。そんな生活を送っていると実際にお金のことをふと忘れてしまったりします。もちろん、お金などあまりないのではありますが。



消費そのものが快感

普通の社会生活を送っている人には難しいことだとは思います。仕事に出れば昼ごはんや飲み物、最低でもそれぐらいは必要だし、帰りにちょっと飲んだり、カラオケに行ったり、パチンコで散財したり、使わないようにしているつもりでいても自然とお金は出て行くのかもしれません。



消費することに対する快感を何年も何十年も自分自身に刷り込んでしまったているので、使うことが不安である一方で使わないと気がすまなかったりするという意識が心のどこかに潜んでいるようにも思えます。



そしてまた、何千円も毎日散財しているのに、たまに130円のキャベツが高くて買えないなんていう極端にセコイ感覚になってみたり。不思議ですね。



こういう感覚は、お金がない不安の悪循環のようにも思えたりします。



山奥に一人で暮らしはじめて1年ほどたってみて、ここでの生活は食料がなくならない限りはお金を使わなくても大丈夫じゃんかぁ、という感覚になってきています。苦痛にも感じません



環境の恩恵は大きいとは思うのですが、都会に普通に暮らしている人でも、「お金を使う=快感、または義務」というような感覚を少し落としてみてはどうでしょうか。意識をシフトさせていくということなので多分出来るんじゃないでしょうか。



お金がない不安はお金を使わないことで解消する



最も簡単な方法だし近道。



沢山稼ぎいたいという意識も、何だかわからないけれどお金が毎月どんどん出て行ってしまうからという気がします。実際、僕にはお金があまりありませんが、お金がないことを不安に感じていません。



家計簿をつけたりセコク生きましょうということでもないような気がします。
消費、浪費、散財、どのレベルで本当に自分に必要か。こんな感じの自身への問いかけ。



もし仮に月に5,6万円で生活できるのなら、そしてそれが全く自然なことで苦痛もなくて毎日楽しかったらどうでしょうか。それでもまだお金がない不安が残るでしょうか



隠居生活

僕はまた50代前半ですが隠居を決め込んでおります。そして家でAmazon Primeを見たり音楽を聴いたり、時々壁やバルコニーにペンキを塗ったりしながら暮らしております。



お金が掛ることには興味がありません。実際、今の時代は無料でいろいろんなことが出来ます。ブログもツイツターもその代表的なものです。



こんな山奥で田舎暮らをしている自分にも社会に参加しているような気分にさせてくれるのでとても助かります。メンタル維持には必須です。





久しぶりに使ったお金

一週間ぶりに使ったお金ですが、それは市営のプール。360円。この金額で2時間ほど運動もして、これぞBライファー的なお金の使い方だと思ったりします。そしてその帰りに食料を2,500円ほど買い込んで。




多分また今週もあまり外出しないと思います。ですのでお金を使わない生活になります。ゴロゴロしていることは全く苦痛ではなくむしろラクチンで楽しかったりする人間です。



会社員時代にうつ病で苦しんでいた時期のことを度々夢に見ます。なんとも言えない苦しさが夢の中で再現されます。



そんな夢を見ると、今のこの怠惰な生活がなんて自由で、なんてラクちんで、なんて自分に合っているのか、ということを実感します。



うつが酷いときは本が全く読めませんでした。活字を一切受け付けないというのも辛いものです。今は本が読めて、読みたい本もまだ沢山あって、時間がとてもありがたいと思っています。




寒いのだけは恐ろしいのでヌクヌクと暖めた部屋でホットココアを飲みながら



多分今日もそんな感じで一日は過ぎていくようです。



お金を使わない生活もなかなか良いものです。冬は特に寒いので無理にどこかへ行かずに、部屋で楽しめることを。ゆっくりとゆったりとした時間を積極的に満喫するのがベストなように思います。



少し働きに出て無駄な浪費クセを付けてしまうくらいなら、こんなダラけた生活の方が心地良いとも思ってます。



本当に必要なことにお金を使う

過去の自分を振り返ってみると、どうもこの考え方が欠損していたように感じます。



若いときから貯金ばかりすることが良いことかどうかはわかりませんが、折角働いたのだから使うという固定観念は今更ながらですが、間違っていたのではないかと思います。



お金は本当に必要なことに使う。



僕にとって本当に必要なことって気分良く生きること。これに尽きると思っています。だから無駄なことにお金を使って気分が悪くなるのは是が非でも避けたい。



そして気分良く生きる為に家の中を快適にして、一日ゴロゴロしていられるようにしていくこと。



当分はこのままのスタイルで生きていこうと思います。


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2018年11月28日水曜日

バルコニーの下に部屋を作るという計画

バルコニーの下に部屋を作るという計画



ツイッターやブログでいろいろと話している内に、この山奥田舎暮らしの住処に誰でも自由に寝泊りができるスペースをひとつ作りたいと思い始めてきました。



現在の部屋の間取りは4.5畳が2つ、10畳のリビングがひとつのこじんまりとした2LDKです。




友達がもう既に7人ほど泊まってますが、やはり少し狭いと感じます。寝泊りは出来ますが、距離が近過ぎるというか、宿泊となると24時間接しているというような感じになってしまうのです。



すこし「離れ的」なスペースがあったらなぁと思います。



そこで、作ることにしました。部屋をもうひとつ。離れ的な部屋を自己満足の為に。



この家にはルーフバルコニーがあるのですが、これは前のオーナーによる増築(業者の手も入っています)です。



H鋼の柱で強健な作りになっています。またルーフリングもしっかりしていて、雨水が下に落ちないように防水もされています。





ですので、床と壁を作りさえすれば部屋が出来てしまいます。使わない手はない、のです(と、ずっと思い続けて一年...)。



ただ土止めに使われている丸太が相当古いので、そういった家周りをブロックとコンクリで固めていく作業が必要で、これだけで1ヶ月くらいはかかってしまいいそうです。



でもこういった作業はコツコツひとりでやれば良いので、ちょっとずつ。



問題は、3メートルクラスの長い板を貼り付けるときの作業。一人でもなんとか出来るとは思いますが、片側を誰かに支えてもらった方が安全だし効率も良いと思っております。




そんなことを考えていたら、いっそのこと、DIY好きなフォロワーさんに集まってもらって自由に組んでもらった方が楽しいかなぁなどと思い始めました。



自分ひとりでコツコツやるのも良いのですが、みんなで、その日の気分でどか~っとテキトウに作るのが楽しそう。



材料を手配する手前、一応設計図的なことは考えますが、作り方は自由に。工具ももう1セット用意して、訪問してくれた人にガーガー、ギコギコとやってもらう。



超楽しそう。



指示なんかしませんよ~。目標は「雨風の入る隙間がなくて頑丈な床と壁ができること」これだけぇ。



窓はポリカボードを使っての自由設計。失敗したらまた作る。



こんな構想が今、頭の中をうごめいております。






そして完成したあかつきには、ツイッターのフォロワーさんとこのブログの読者さんでやり取りのある方は誰でも自由にお泊りできるように解放しようと思っております。もちろん無料~。



食い物だけは持ってきてね(笑)。



ただ、ここには手伝って欲しいことが結構ある(畑の整備、土面のコンクリ貼り、庭の水平化など)ので、来た時には労働もちょっとお願いするかもです。



考えるだけでも楽しくなってきました。



ツイートへのコメントも沢山頂いたので、来年の春、やりますよぉ~。





みなさん、遊びましょう(笑)。人生は常に自己満足であります。



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2018年11月26日月曜日

冬季うつへのシンプルな対策。暖かい環境を作ってしまう。

冬季うつへのシンプルな対策。暖かい環境を作ってしまう。


僕は自分が重度の冬季うつだということを自覚しております。そんな自分が冬季うつに対してとっているシンプルな対策。それは暖かい環境を構築し続けるというもの。


寒いと手足が氷のように冷たくなって、顔色も真っ青になってそんな自分に気が付いたりして気分まで底の底まで落ちてしまいます。今年の2月には特にこの症状が酷くなり、丸々1ヶ月、全く動けませんでした。





この山奥の別荘を手に入れたのは昨年の11月。調度1年前のことですが、そのころ数泊してみた時には正直なところ、あまりの寒さに恐怖に近いものを感じました。。




そんなこともあってここへの移住時期が3月、4月、5月、とどんどん先延ばしになっていってしまい、やっと移住できたのが5月末のこと。



それから快適な夏がやってきて、毎日バルコニーで日を浴びたり、海に行って泳いだりと充実した時間を過ごしていたのですが、とうとう、恐れていた冬がやってきてしまいました。



しかし、まだ暑い夏ごろからちょこちょこと断熱のためのDIYを続けてきたおかげで、11月末の現時点でも部屋の中はぬくぬくです。朝起きると外気温は6度ほどですが、リビングは10度あります。



前夜の余熱が朝まで残っていて4度ほど外よりも暖かい状態が保たれるようになりました。小さなことからコツコツとぉ~。こういうのって大切だなあとしみじみ感じております。



そこで多分今年の冬はおそらく、冬季うつにはなりません!



何を根拠にこんなことを言っているかというと、室温のキープももちろん大切なのですが、暖房のために最後に入手した一畳用の電気カーペット



どこでも電気カーペットぉ~。こいつがやはり優れものなのです。




今まで室温は23度にキープしていないとちょっと寒いと感じることがあったのですが、この電気カーペットをソファの上にひくようになってからは、室温20度が固定値になりました。



寝転がってAmazon Primeの映画を観ている時間が長い自分には、この電気カーペットが本当に心強い味方です。眠くなってしまうこともありますが、そういう時は眠てしまいます(笑)。



以前にも一度このブログで紹介していますが、電気代は1.5円/時間。8時間つけっ放しでも12円。恐ろしいくらい電気代がかかりません。それでいて眠たくなってしまうほどの快適さ。



移住してからいろいろなものをAmazonで手に入れましたが、これがダントツの当り。本当にもう手放せなくなっています。


このぬくぬく状態は是非多くの人に味わってもらいたいと思い、再度紹介させてもらいました。


こちらで手に入ります↓
どこでも電気カーペット

売れているので前回より700円ほど値上げになったようです。
すみません...。


冬こそ快適にそして良い気分で毎日すごしましょう。


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→アニマ油配合のにんにく卵黄もおススメです 

2018年11月24日土曜日

無意味なこと無駄なことが心を穏やかにしてくれる

無意味なこと無駄なことが心を穏やかにしてくれる


ツイッターのフォロワーさんに触発されて砂団子を作ってみました。砂団子を作るなんて無意味なこと、無駄なことだと思うかもしれません。でも心を穏やかにしてくれる。



子供の頃、誰でも経験していると思いますが、砂場で作っていたあの砂団子。何のために作っているのかと子供達に聞いてみれば、たぶん楽しいから、それしかないと思います。



目的などなくて、ただなんか楽しい。丸くしたり硬くしたり。



終わったら取っておくこともあるかもしれませんが、ほとんどの場合、壊してお終い。



そんなよくわからない遊びを誰もが子供の時にやってきています。そしてそれは結構楽しかった記憶としてうっすらと残っているかもしれません。



どうでしょう。今、砂団子を作ってみては。




大人になった今、砂団子を作ってみても面白くはないと思います。丸めて固めて壊してお終い。そう、それで良いと思うのです。でもこういう無意味なことをやってみると、何かを感じるかもしれないのです。



僕の場合は壊さずにとっておきたくなりました。でも目的は無意味なことをやってみることにあったので、壊しました。



もう答えを言ってしまいましたが、砂団子を作るという意味のないこと、無意味なこと、無駄なこと、そういうことをやってみるということ、です。



僕らの日常には全てにおいて何らかの目的があります。


バスに乗るのも会社に行くため。会社に行くのも働くため。働くのもお金を得るため。お金を得るのも生活するため。食事をするのも食欲を満たすため。お風呂にはいるのも.....。



一日の全てが何らかの目的のためになされています。僕は今働いてはいませんが、本を読むのも、映画を観るのも、DIYをやるのも、やはり全てに目的があります。



ですので、目的のないこと。無意味なこと。そういうことを何かひとつやってみるというのは新たな意識を芽生えさせてくれるかもしれないのです。



僕は砂団子を作ってみて感じたことがありました。それは、無意味なことをやっていてもいいのだ、という感覚です。



人は常に意味ある何かを求めます。そして何もしていないと不安になったりもします。でも多分それは、今まで生きてきた生き方のクセなんじゃないかと思うのです。



特にうつ病で長期の休職をしている人などは、この焦燥感を強く感じると思います。何もしていない自分。何もできない自分。意味のない自分。



でもですね、良いのですよ。特に意味のあることをしなくても。



砂団子作りは、そんなことを教えてくれます。無意味な無価値な行為。そこに意味を求めなくても良いということ。ですので是非、やってみてください。


こころも落ち着くし、良い心境になるかと思います。



意味だけを追求することが人生でもなさそう
僕は今そんなふうに感じています。


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