無駄な浪費をしない思考になって思うこと
このブログのタイトルを「Bライフ田舎くらし....」としていますが、おそらく本来の意味でのBライフではないかもしれないとは思います。ただ無駄な浪費はしません。そしてその発想は十分に享受しています。お金を掛けずにゴロゴロと過ごすという。
退職後に東京にいた時のことですが、相当焦っていました。働かなくては、働かなくては、という思考が四六時中頭の中を駆け巡っていて、もう働くことが自分の唯一の選択枝のような錯覚(今の時点では錯覚だったと感じています)に陥っていました。
そこでそのころ何故そんな思考に陥っていたかを考えてみましたが、今だからこそではありますが、かなり明確にその理由が見えたりもします。
生きている価値がない
それは、常識というか洗脳というか、働くことが当たり前で、それをしていない自分には生きている価値が、意味がないのではないかというガチガチの固定観念。うつ病で休職し退職までしているのに、思考はまだ働くということに置かれていました。恐ろしいことです。働くことが好きな人
働くことが好きな人と嫌いな人。この比率はどれくらいでしょうか。面白い説があるのですが、①とにかく真面目に働く人、②時々サボる人、③常にサボる人、この3者の比率は2:6:2らしいのです。だから多分、本当に働きたくないと思っている人は2割ほどしかいません。6割の人の思考は、働きたくないけれど時々サボる程度で大丈夫というものでしょう。2割の人は心の底から働きたいと思っている人。
僕もこの6割の中に含まれていた極々普通の人だったのだと思います。働くことがまず基本。そして時々サボる。だから全く働かない状態になった時、戸惑ってしまったのです。焦ってしまったのです。
しかし、この焦りについて考えてみると、何故そんなに焦るのか、という思考にもたどり着くことが出きたりもします。実際には焦る必要などないという結論に至ることも出来ます。事実そういう結論にしましたから。働かない生き方という。
退職後に何度も自問しました。このまま働かない生き方を選ぶという選択肢など本当に有りうるのかと。そしてその状況に自分は耐えられるのかと。
この山奥の家は11月に手に入れていますが、10月、11月....5月まで実に8ヶ月も踏ん切りがつかなかったくらいです。それほどに働くことの固定観念がガチガチに固まっていました。それもアルバイトではダメで正社員として再就職しなくては、と。
別にやりたい仕事があったわけではないのです。義務感、焦燥感、このままではヤバイという感覚。ただただ、そういうものに苦しめられて寸でのところで、面接を受けてしまおうかというところまでいきました。
ほんと、アホ。
東京のアパートに住み続けて、また深夜まで仕事がしたいのか?とその時の自分に問いただしてみたいところです。もし仮にそんな選択をしていたら、多分もうとんでもないことになっていたと容易に想像がつきます。
環境が変わって、何もかもが変わって、もの事の見え方、捉え方まで変わりました。
もっと自由に。もっと柔軟に。
やりたいことが見つかったらやってみればいい。
そのためのBライフ。
東京のアパートにいたころの様な浪費生活のままだったら、こういう思考にはなれなかったと思います。使わずに温存。やりたいことが見つかれば始動。
Bライフ的な発想に出会えたこと、そしてそんな思考に至れたことに、今とても感謝しています。
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