暇を苦痛に感じる理由と対処法
今、僕の24時間365日は全て自分の自由時間です。働かない生活を選んだわけなので当たり前のことなのですが、暇をこよなく愛している自分でさえ、本当に暇で暇でしょうがないと感じることも実はあります。時には、その暇な状態を苦痛に感じてしまったりもします。でも実際にはやることは沢山あったりするわけなのです。
やることが沢山あるのに暇だと感じてしまう、この摩訶不思議な現象。最近になって、なんとなくこの理由が分かってきたような気がするのです。この現象はこんなことを考えている時に生じることが多いようだと。
「人生とは何か特別なことを成し遂げるべきものなのだ」
人生の使命感
実際の暇な状態と、それを暇と感じることの間には、いささかギャップがあるようなのです。
落ち着いていて、ゆったりと、のんびりと、特に何をしていなくても幸せな気分を満喫できることもあります。今はむしろこの状態の方が多いくらいです。
ただなんとなく時が過ぎていくのだけれど— shige@うつ病で隠居Bライフ (@TommyLeeJonesA) 2019年1月23日
それで良いのだと思えるようになったことが
実はそんなことがとても嬉しいのです😊。
時の流れをゆったりと感じて。
みなさん良い一日を。 pic.twitter.com/tf4zULVunX
でも一度この「人生の使命感」のような概念が迷い込んで来ると自体は一変します。暇は恥ずかしいことだ、暇であることを許さん、暇は悪なのだ....。
非常に興味深い現象です。
やるべきことは沢山あっても、それらは使命感を満たすようなものではないので暇の穴埋めにはならないという感覚。だからやるべきこともやらない。どうせなら全部終わってから、暇だぁ~っという感覚になってもらいたいものですが。
でも僕はこの感覚を少し客観視できるようにもなってきました。東京のアパートに住んでいたころは、ずっぽりとこの感覚にはまっていて、強い焦燥感、そして恐怖にすら感じていたように思います。
そこに落ちるか否かは紙一重なのかもしれません。人生の使命感というものを重視するか否か。
この使命感という感覚をぬぐってあげれば、すごくラクになります。そして今を今として満喫できるようにもなってくるようなのです。
暇を暇として楽しめる力。現代人に欠損している力ではないかと思われます。
定年退職をしたら
60歳、または65歳になれば多くの人はリタイアとなります。「人生が暇になるその時までに多くの趣味を持っておきましょう!」なんてことがしばしば推奨されますが、僕はちょっと違うなぁという感じがしているのです。
前述したように、「暇である状態」と「暇だと感じる状態」とは別ものだからです。
趣味をいくつか持っていても、暇だと感じてしまい焦燥感をぬぐえないこともあります。多くの人が定年後にこのことと対峙することになるはずなのです。
ですので、この記事のタイトルにした「暇を苦痛に感じる理由と対処法」ですが、それは決して趣味を見つけるなどというものではないのです。
人生の使命感のような得体の知れない概念とおさらばしてしまいましょう、ということです。
ここに引っ掛かっていると何年も何十年も自分の時間、自分の人生を楽しめなくなるかもしれません。非常にもったいないことです。
同じ一杯のコーヒーの味も全く別なものになるような気がします。
暇であることに苦痛や焦りを感じたら、何か目新しいこと、刺激のあること、そういう方向に目を向けるのではなくて
人生の使命感のような概念と決別してしまう方向へ向かう努力をすること。何か特別なことを成し遂げなくても良いのだということを真に理解すること。僕はそんな風に思っています。
仏教用語に「諦観」というものがあります。
諦(あきら)めて観るという文字の成り立ちですが、諦めるは「あからしめる」という意味で使われます。物事をあきらかにして観てみる。人生とはこうあるべきだという固定観念から一歩離れて観てみるということのようです。
ですので僕はこの諦観という言葉がとても好きです。
暇を苦痛に感じることがあれば、是非一度、こんなアプローチもしてみてください。きっと何かが変わると思います。
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