2019年1月16日水曜日

あって良し、無くてまた良しという話


あって良し、無くてまた良し



最近、物事を「あって良し、無くてまた良し」と思えるようになってきました。雪に関して考えたときに思ったそんな話をしたいと思います。


10日ほど前、この山奥に雪が降りました。パラパラと30分ほど降っただけのことですが、積雪が怖くなってスタッドレスに履き替えるべきだと焦りました。


昨年はいていたスタッドレスは玄関に積み上げてあります。お金を使わないBライフを始めようと思っていたのについつい雪が怖くなって買ってしまったスタッドレス。




でも結局ノーマルのまま放置しました。自分で交換するつもりもありません。大変だし危険だから。



雪が積もって山奥に篭城するのもいいかなぁ。そんな感じです。ノーマルタイヤのまま。



積もったらクルマには乗りません。そう、どこにも出かけなければ良い。


ビクビクする必要などない


雪を恐れてビクビクする必要などないことに今更ながら気付きました。食料は缶詰とか米とかで、なんだかんだ1ヶ月分以上のストックはあります。




灯油も18リットルが5缶分あります。そしてネット上には10年くらいでは観切れないほどの映画とドラマがあります。そして本も音楽も。



と言うことで、雪なんか積もったって全然平気じゃないかという結論。住んでみないとわからなかったり、不安になる要素って沢山あると思うのです。寒さも雪も湿度も、住むまでは実はいろいろなことを恐れていました。



しかしなんだか雪が楽しみだ。そんな気持ちになりました。



降らないかもしれないし、降るかもしれない。降っても降らなくてもオッケー



物事の究極の捕らえ方


最近思うのですが実はこれが、物事の究極の捕らえ方なのではないかと。究極のものの見方というか。



あってよし、無くてまたよし。



頭や心を占有してしまう不安な出来事に対しても、もしこんな風に捉えることが出来きたなら、そこにはもう不安や悩みがなくなるのではないかと、この雪に対する自分の考え方の変化から、そう感じています。



死んでよし、死ななくてまたよし。


なんだか今、ものすごく良い心境にあります。文章でお伝えできているのはその表面的なことだけだとは思いますが、全てはどちらでもよいのだという、そんな平安な気持ちです。



決して投げやりな気持ちではありません。それで良いんじゃないかという諦観。こんな気持ちです。諦めるという一文字。




こんなBライフ的なブログを書いていると、極稀にですが、こんな良い心境になることがあります。自分で書いている内容に自分で学ばされているような感じ。お恥ずかしい話ですが。



でも、この感覚が長く続いてくれるととても嬉しい。


しかしそれもまた
続いてもよし、続かなくてもよし、ということなのかもしれません。



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カプセルホテルで生活できるのだろうか


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Bライフ田舎暮らしブログ

2019年1月15日火曜日

もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


もう嫌だ。人生に疲れた。すっとこう感じているなら、逃げるが勝ちという言葉について少し考えてみてはどうでしょうか。



うつ病で逃げクセの付いている自分には座右の銘的な言葉です。凄く勇気付けられます。だって逃げても良いといっているのですから。



「もう嫌だ。疲れた。そんなに辛かったら、人生、逃げちゃっても良いのですよ



こんなことは学校でも家庭でも会社でも、どこでも教えてくれません。メンタルが壊れて、うつ病で通院し始めて初めて聞かされる言葉のように思います。


もう嫌だ。疲れた。


競争という人生のあり方


この世界は競争で成り立っていると言っても過言ではないですよね。技術も医療も、そして福祉でさえも競争のたまもののような気がします。一般企業だけが競争社会ではないですから。公務員でも同じことです。




競争、そしてその競争に勝ちたいという人の根源的な欲求が人の住む世界をより良いものにしてきている。これは疑いようのない事実のようです。



でもこれは人類とか地球とか、かなり大きな枠組みとしての機能です。その競争に参加するかどうかは実は自由なのです。誰かが参加しなければ成り立たないというものでもないのですから。



本当のところ、テキトウにやっても良いのですよ。



しかしながら、そんなことは分かっていても、テキトウにはできない。あたりまえのように植えつけられてしまった競争、そんな人生のあり方。



そんなものが僕らの潜在意識の中には強固に存在していて、少々の疑問を感じつつも、自らはそのレールからは降りられないように出来ている。



レールから落ちそうになれば、歯を食いしばって落ちないように努力し続けたりもする。



そしてその競争を富や名誉、お金、幸せ...いろいろな形で正当化する理由もきちんと持ち合わせています。だから、頑張る。





当たり前のことですが、頑張るのが良いか悪いかと問われれば、良いことなのでしょう。僕もそう思います。ですので是非、頑張りましょう、とも言ってはおきます。



もう嫌だ人生に疲れたと思ったら逃げても良い


頑張っている人の足を引っ張るようなことを言うつもりはありません。ただ、辛かったら頑張らなくても良いのではないでしょうか。そうとだけは付け加えておきたいと思います。



文字にするとたったの三文字。「疲れた」。しかし思いは大小様々です。



そしてこの「疲れた」という思いの延長線上で、究極の選択をしてしまう人も存在します。これは実に悲しいことだと感じます。



その選択が間違っているのかどうかは、僕が言い切ることは出来ないのかもしれませんが、生きていることが良いことだと捉えられる正常の意識からすれば間違いのように思います。



どうせ人は死ぬのですから
まずは今を生きましょう。



そしてその為に必要があれば
さっさと逃げましょう。貧乏なBライフでもいいじゃないですか。



逃げるが勝ち


「勝ち」という言葉がついているので、「一旦逃げて後で勝ちにいきましょう」的な意味に捉える人が多いかと思います。でも、そんな場面での勝ちなんて実はどうでも良いのです。



あえて意識するならばもっと大きいもの。そういうものに勝つという意味に僕は捉えています。





しょせん全てはちいさなことです。長い人生でちょっとやそっと逃げたって大したことはない。働かない生き方もありだと思うのです。



逃げまくり。いいじゃないですか。田舎でもどこでも逃げた先で時間を掛けて考えてみればいい。考えなくても、もちろんいいですけど。



もしかすると今まで信じてきた自分の価値観が何の根拠もないことだったのだと思い始めるかもしれません。



歯を食いしばって頑張ることが自分の中の正義だと思っていたかもしれません。しかし、もしかしたら違うかも、と感じ始めるかもしれません。



万人に共通する正しい道などひとつもないのです。誰かに、何かに無理やり合わせてきただけのことかもしれません。



そんなことを自分の中の、う~んと深い領域で考えてみる時間も、ちょっとだけ逃げてみると手にすることも出来ます。



逃げたから敗北。こういう考えを辞めてみるだけでも何かが変わるような気がします。



だから、もう嫌だ、人生に疲れたと感じているならば、逃げるが勝ちの意味を
今一度、少しだけ考えてみても良いのではないでしょうか。



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Bライフ田舎暮らしブログ

2019年1月13日日曜日

いつもの山奥に帰ってきた

いつもの山奥に帰ってきた


朝、風呂に入ってなんだか気分が盛り上がってしまい、急遽東京の実家に顔を出しに行きました。江東区の実家で一泊。以前住んでいた八王子で一泊。八王子では昼間から友人と居酒屋で談笑。Bライファーにあるまじき散財。




しかし、なかなか楽しい時間でした。それでも時折襲ってくるナンとも言えない辛さ。東京へもどるのは今回で3回目なのにまだこんな症状が出てきます。潜在意識なのか、トラウマなのか、どよ~んとした気分になってしまうのは、もう治らないのかもしれません。



今回はデパスも睡眠剤も大量に服用しました。意識をうつろな状態にしてなんとか自分をごまかすという、イマイチな方法。東京へ行ってこんなことをしていて何か意味があるのだろうかという自問自答も.....。



今日、この山奥へもどってきたのですが、電車の窓から海が見え始めて、そして閑散とした函南駅に到着して自分のクルマに乗った瞬間、涙が。




なんなんだ~?僕は子供か!



田舎暮らしでの見慣れた道を走っている自分が嬉しくて涙がまたポトポトと。これは医者に行った方が良いかもしれませんね。三日程度でこんな感じになってしまうのは、やっぱりおかしいかもです。




理由はよくわからないのですが、この田舎が、この山奥が、好きなのだということでしょう。そう片付けてしまうのが一番簡単だし、あまり自分の心の底を詮索してもしょうがないのでね。多分闇は深いと思われますが。



折角出かけたのだから、旅行記的な視点でいろいろと書いてみたいとも思っていたのだけど、そういうのって何にも浮かばないのです。美味いもの食べましたぁ~!みたいなのが書けません...。ちゃんと食べてきましたが(笑)。



ということで、これからもこのブログは、この閉鎖された山奥の空間での生活がメインになります。それも貧乏なBライフを中心とした内容です。多分。



自由に生きる、と言い切ってはいますが、僕の場合、あちらこちらへ飛び回るのとはちょっと違うようです。そういうのをかえって不自由に感じてしまう人間のようなので。自由にゴロゴロします(笑)。



そうそう、電車の中の広告にFODというフジテレビ系のドラマの配信サービスを見つけました。先週Netflexの無料視聴期間の一ヶ月が来てしまったところなので、これには自分のアンテナがピピピっと反応。



先ほど早速、登録してみました。1ヶ月以内に解約すれば無料。ただし解約した日から観れなくなるとのことなのでギリギリ(2月12日)まで粘るつもりです。






ちなみにNetflexは登録後に即解約しても期日の1ヶ月までは無料で観続けることができます。何度かこのブログに書いてますがNetflexはおススメですよ。映画もドラマ(海外がメイン)も質と在庫量が違います。



さてさて、FODですが、こちらも超便利なのですが、というのも現在日本のテレビドラマってAmazonやNetflexではしょぼいものしか配信されていないからなのです。



テレビ局も自前のドラマは自分のところの収益につなげたいわけで、良いものは他では配信しないのですね。



僕自身は、うつ病と命名される数年前からテレビは観られなくなっていたので、観ていないドラマは山のようにあります。今は楽しめますので、思う存分楽しみます。



部屋に構築したミニシアターも300%くらい活躍してくれています。



働かない生き方を選択してしまった自分にとって、外で活動できない冬は特に、このシアター生活が最高のお気に入り。外から見れば完璧なグウタラ生活ですが、中から見ても完璧なグウタラ生活です(笑)。



いいのです。
これが幸せなのですから。


こんなことをしながら日常を取り戻しにかかりましたが、見事に取り戻せたようです。今とても落ち着いていて良い気分です。


またいつものようにゆっくり過ごす生活にもどります。



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もう嫌だ。人生に疲れた。ずっとこう感じているなら


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2019年1月10日木曜日

お金を使わない生活、節約生活は辛いのか?

お金を使わない生活、節約生活は辛いのか?


昨日、僕が尊敬している、そして僕に勇気をくれたBライフの先輩さんが久しぶりにブログを更新しました。山梨に120万円で土地を買って自力で小屋を建ててしまった方です。


お金を使わない節約生活を実践している先駆者的な存在。


初めて記事を読んだ時、閃光のようなものが頭の中を突き抜けました。うつ病で寝込んでいた時のことです。




会社を辞めて何もない土地にテントを張りながら半年間掛けて小屋を製作していく工程はまさに冒険と自由、そんな感じでした。



多くの人が影響を受けたことと思います。僕の知る限り(ツイッターのフォロワーさん)でも3名、同じように山奥の土地を購入して自力で小屋を建てています。


そして彼らもまたブログを書き、ツィートをし、田舎暮らしのBライファーとして他の人に影響を与えていくのかもしれません。




そんな先輩Bライファーさんの今回のブログの内容は衝撃的なものでした。


文末からの抜粋の転記:

"Bライフを始めてからの三年間はとても辛かった。この先どうなるかは知る由もないが、これからはBライフのための人生ではなく、自分のために人生を送りたい。Bライフについて、僕は勘違いをしていたのかもしれません。"



辛かった


辛かったというコメントがとても衝撃的でした。ここ最近の1年は、うつ病で心療内科に通っていることも知っていました。しかし生活そのもの、Bライフそのものが辛かったというのは、語られたことがなかったのです。



何が辛かったのか、その詳細は述べられていませんが、虚無感とか人生の意味とか、そういう点だとは想像が付きます。



人生の大半を快適な環境で暮らしてきた人が、何もない、そして全て自力でまかなわなければならない環境の中で生きていくには、それなりの苦悩が付きまとっても不思議ではないのかもしれません。



小屋暮らし。二泊三日のキャンプではないのかもしれません。その場所で、その環境でずっと生きていかなければなりません。



この点は小屋暮らしに憧れている多くの方が留意すべき点のように思います。



山奥別荘での暮らし


僕自身も小屋暮らしに憧れていましたが、踏み出す勇気がありませんでした。逃げ道を用意しておきたいと、そう感じていました。辛く感じてしまった時、それを回避する手段がどうしても必要になるような気がしていたのです。



うつ病で何年も苦しんできたこともあって、自分が何に苦しさを感じるだろうかが、良くわからなくもなっていました。冬も本当に恐れていました。有り余るであろう時間も怖い気がしていました。



農作業もDIY的な作業もやるべきことは今でも沢山あります。でも何もやりたくない時もあるのです。そんな時はひたすら映画を観ています。



光回線の存在に助けられたことは何度もあります



人には調子の良いときも悪いときもあって、それらは自分では上手く選ぶことが出来ないようにもなっています。だからただ横になって映画を観続ける時間というのも本当に大切。



自然環境という開放感だけに依存して生きていこうと思っていても、うまくいかない時もあるのです。



日々快適に生きていける生活環境があってこそのBライフなのかもしれません。



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いつもの山奥に帰ってきた



是非、こちらの記事も→

Bライフをブログで再考







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2019年1月9日水曜日

田舎暮らしのシンプルな夜の過ごし方

田舎暮らしの夜の過ごし方


ここで暮らすようになってからシンプルな夜が好きになりました。田舎暮らしのこの山奥は昼間でもとても静かですが、夜になると完全な無音の世界になります。そして外は街頭の下以外は完全な暗闇の世界。



寒い夜もバルコニーに出てコーヒーを飲みます。誰もいない世界でただ一人。星空だけが広がるこの山奥で。働かない生き方を実践している割には少しだけ優雅




田舎暮らしの夜


昨年の冬に泊まった時は、なんて寂しい田舎暮らしなのだろうかと、不安な気持ちになったのを覚えています。でも今は、そんな寂しい夜がとても心地良い



身体が冷えてきたら、暖かくしている部屋の中へ戻ってソファに奥深く腰掛けて、そして静かにピアノの曲を聴いたりして。




曲名はわからなくても、聴く曲聴く曲がとても心地が良い。心の奥底まで入り込んでくる気がします。そんないつもの静かな夜。



ゆったりと流れる時間に本当に身を任せられるようになった今、この感覚を静かに味わっていたい。ずっと。



夜はただ睡眠剤を飲んで眠るためだけのもの。東京のアパートに住んでいたころは、そんな風に感じていたような気がします。今、ここでは夜の深さを味わえるようになりました。



寂しさという感覚。それは一体どういう感覚だったのだろうか。そんな感覚すら忘れてしまったような気がします。



自分で弾く下手くそなピアノ(シンセ)の音もとても心地良い。



読みかけの本をまた開いて。




眠くなったらベッドに入って。こんなシンプルないつもの夜。



そしてまた野鳥達に起される朝を向かえます。



今日もお疲れ様でした。
おやすみなさい。

2019年1月7日月曜日

働かないで生きる、お金を使わない生き方

働かない生き方、なるべく働きたくないのでお金を使わない



働かない生き方が出来ないものだろうか。


出来ることならば、なるべく働かないで暮らしたい。今思えば、ずっと僕は、そんなことを考え続けながら会社員生活を送っていたのかもしれません


そんな自分が今、山奥住居のボロいバルコニーでこの記事を書いております。

働かないで生きる






1 働かない生活を実践している現在


会社員生活の定年までは、あと、30年、25年、20年...。その長さを常に感じながら、ついにはメンタルまで壊してしまって...。



でも、ふと気が付いてみると、いつの間にか今の自分は、あこがれていたそんな生活、働かない生活の中に身を置いていたりするのです。時折、あれれ?とタイムスリップしたかのような感覚を覚えます。



丸太で囲んだだけの庭でコーヒーを飲みながら、そんな自分がよく考えることは何年間も続いたあの葛藤は何だったのかということ。



定年まで苦しみ続けなければならないと、かたくなに信じ込んでいたのは何故だったのだろうか。



きっと魔法にかかっていたんだよな、と、働かない暮らしにある今、時々過去の自分のことを、そんな風に感じます。



やはり自由は良いです。生きていてこれ以上のことはないと思うほどに。



2 誰もが働かない生き方に踏み出せない理由


なるべく働かないという生き方の選択肢。その選択肢は誰にでもあるように見えて、実はそうでもないということも事実。



お金とか生き方とか、おそらくそういったことには、かなりの思い込みが働いてしまっているんじゃないかと思います。



今まで生きてきた習慣というか固定観念というか、お金は絶対的なものという、多分そういう感覚。



かく言う自分も会社を辞めるまでは長い長い葛藤がありました。生きていくには毎月30万円は必要なはず。かたくなにそう思っていました。




お金を使わない生き方など出来るわけもないし、第一、そんな生き方はつまらない



この感覚は揺るぎのないものでした。



だから働かない生き方を可能にしてくれるベースは「働かずに稼ぐ」ことだと思い込んでいる人が大多数なのではないでしょうかね。でも、実は違う(と思う)。



お金に依存せず楽しく」という視点。こっちの方が100倍重要。この点についてまず始めに言及しておこうかと思います。



もちろん、働かずに稼げれば最高。でもそんなことばかりに囚われていたら、あっという間に一生は終わってしまうかもしれません。と、僕は今もそう思っています。





3 働かない生き方と住居費の関係


僕は現在、月に6万円ちょっとの支出で毎日楽しく暮らしています。東京にいたころは家賃だけで7万円出ていきました。1年間で84万円。10年間だと1,000万円近くが家賃だけで出て行ってしまいます。




働かないで生きる基本ベースには、この家賃が発生しないという状況が大きく寄与しています。



もちろん、僕が今住んでいる中古別荘はお金を出して購入した家ですが、東京の家賃ベースに換算して考えれば3年半ほどで償却してしまう程度の額です。



つまり3年半経てば、後は一生タダ



住むところがタダであれば、働かなければならない理由は大きく減少します。東京に居座りたい理由があれば仕方のないことですが、地方で自分の好きな環境を見付けて、そこに住んでしまえば、自由度の高い生活が出来るひとつの例ではあります。




2~300万円台の物件、探せば日本全国どこにでもあるのではないでしょうか。さすがにこの値段では、自分でいろいろと直していく必要があるとは思いますが。でもそれも、すごく楽しいことなのですよ。





4 働いている人の娯楽費、交際費


娯楽費、交際費が毎月かなり大きな支出になっている方も多いと思います。「働いて稼いでいるのだから、使って楽しむべきだ」という感覚なのですよね。僕もそうでした。



働いて稼いで、ストレスをため込んで散財。このルーチンが何年も続きました。実に馬鹿げた働き方だったと、今になって思います。




働いているときは、そういう支出が絶対に必要なものであると思い込んでいたのかもしれません。だから月6万円での生活など想像もできませんでした。



でも、今の毎日の生活は働いていたころより何倍も楽しいのです。6万円あれば十分





5 働かない生き方のミニマムな支出と収入

5-① 働かない生き方と支出、収入


僕の場合、毎月支出は6万円です。山奥での生活を始める前に月にいくらあれば生きていけるか試算していますが、その時は3万円という結果でした。



でも3万円はさすがに無理でした。欲張り過ぎ(笑)。



半年以上、生活してみて妥当なラインは6万円というという結論に至っています。月の支出、6万円の内訳はこちらの記事に記載しています。→ 山奥で暮らす田舎への移住、隠居1ヶ月目の感想


働かずに暮らす山奥の住処は斜面に建っております(笑)
月6万円で暮らす


6万円ってどうでしょうか。大学生のアルバイト代。もしくはそれ以下の金額です。



この金額で楽しく生きていける基盤を確立できてしまえば、後はその金額を得るだけの労働をすれば良いということにもなります。もう無理には働かない。そう思っても良い気がしてきませんか?



働かないで稼ぐ」なんて視点より「お金に依存せず楽しく」という視点が重要だと冒頭に書いたのは、こんな考え方が背景にあります。


お金に依存せず楽しく


毎月の支出6万円だけ収入を得れば、後は好きなことを自由に。



そして現在、本当にそんな生活を送っています。都会に暮らす人から見れば、物凄い貧乏生活を想像してしまうかもしれません。でもそんなことはないのです。欲しいものは買うし行きたいとこには行きます。



ただ単に「無意味にお金を使う世界」と決別しただけのことなのかもしれません。



山奥の中古別荘に住んでしまったが故に、毎日が趣味の世界、DIY。そして山菜や畑を楽しんで、たまに市街地へ。疲れたらネットの映画を観ながらゴロゴロ。



たまに遊びに来てくれるフォロワーさん達とバーベキュー(材料は持参してもらってます)。





どこにいてもお金を掛けないで楽しめることを見つけてしまえば良いのではないでしょうか。それが働かない生き方につながる第一ステップになるかと思います。



そんな感じで生き方そのものを少し見直してみると、お金って実はそれ程必要ないかもしれない。と、そんなことにおそらく気が付くと思います。



6万円で生活できるなら、一日の収入は2,000円で良い。こんな視点も面白いのではないでしょうか。



一日2,000円。



ちょっとアルバイトをすれば得られてしまう金額です。でもこの金額、ブログをある程度書き続けていれば達成できてしまう金額でもあるのです。←ここ、重要



このブログは書き始めて1年ちょっと。書いたり書かなかったりという、いい加減さが出てしまっていますが、それでも既に毎月3万円の広告収入が入ってきています。



ブログで一日に何万円もの収入を得ることは不可能なのかもしれません。しかし2,000円であれば十分に実現可能です。これは感触的に強くそう感じます。



やりたいことをやりながら、自由に生きながら、ブログだけはコツコツと。目標は大きくもなく小さくもなく6万円。到達時期は2年後。3年後でも良いと思ってます。



重要なのはその範囲で生活していくということ。



人生は全て実験です。試してみる価値はあるのではないでしょうか。ダメなら2年後に何か考えればよいし。無理に働かなくても少ない消費という土台があれば、道はいくらでもある気もします。


5-② 働かない生き方と趣向品への依存

趣向品への依存。働かない生き方を考えている人にとっては非常に大きな課題になるかもしれませんので、ここで少し触れておこうかと思います。



例えばタバコ。世の流れは禁煙に向かっていますが、僕が会社員になった90年代はほとんどの男性社員が喫煙者でした。僕もかれこれ30年間にわたって喫煙しています。



でも辞めました



会社員時代は、大げさでなく100回くらい禁煙にチャレンジしていますが、毎回失敗に終わっています。そんな自分がなんともあっさりと辞められました。



禁煙に成功した理由はとてもシンプル。それは、生涯喫煙代金をリアルに把握したから。金額の大きさにビビってしまったという理由です(笑)。それだけ。



一箱450円。毎日吸って、50歳から85歳まで35年間吸い続けると、値上がりを考慮に入れなくても、450円x365日x35年 = 574万円! なのです。今から570万円もかかるのです。



山奥の別荘なら2つ買えてしまう金額。さすがにアホ臭くなりました。そんな自分のセコさが幸いしてか、働かない生活を選んだ瞬間に、30年来の喫煙習慣と縁を切ることができたのです。



タバコは美味しいと思って吸っていることもあるとは思うのですが、ほとんどは惰性か習慣的なものです。ニコチンへの依存という面もありますが「そんなお金の掛かるものはいらん!」と思うことが出来れば、意外と簡単に辞められるんだということを理解しました。




喫煙者は要は金持ちなのです。570万円も煙に払い続けることを考えれば、普通に辞められます。ですので、辞めましょう。もったいないです。



他の趣向品も捉え方は同じ。自分の生活に分不相応なら辞める。あれこれ考えずに、これくらい単純な切り口が良いかと思います。



6 働かない生き方に必要な貯金額


もう既に上述してしまった通り、住む場所を手に入れて、毎月の支出をミニマムにして
、それを補填するだけの最低限の収入があれば、貯金はほとんどいらないのではないかとも思っています。



僕の場合、ブログ収入がまだ3万円程度です。ですので収入が支出を上回ってはいません。毎月3万円程度は出ていってしまいます。



この観点から言えば、働かないで12か月生きるには貯金が36万円必要だし、5年間では150万円ちょっと必要ということになるのかもしれません。



でも大丈夫



全然気にしてません。今のスタイルの消費や支出であれば、たぶんなんとかなります。ただ貯金ゼロでOK!と言っているわけではないです。



俗に言われている「セミリタイアには2,000万円必要」とか、そういう次元は完全に否定、という意味です。



そんなにいりません。全然。



7 収入が足りないなら少しだけ働く

ブログ収入などの少額の不労所得ベース、そんな形での働かない生き方にひとつのストーリを見立てているのですが、それが不可能だった場合、つまりは、いつまで経っても必要な支出に収入が追い付かない場合、どうするか。



その辺を少し紹介しておこうかと思います。



何度も触れている金額ですが、支出は6万円。そこに不足する金額なので必要な労働は最大で6万円分



①介護施設や老人ホームなどの宿直


勤務時間は19時から翌9時まで、拘束時間は14時間と非常に長いですが、22時から6時までは宿直室で眠ることができます。そこに居れば良いというだけの仕事です。伊豆周辺にはこの手の仕事が沢山あります。



日当は6千円3日に1回勤務で月額6万円。かなり安いですが、自宅で眠る代わりに宿直室で眠るだけなので勤務地が遠くなければ、良いかと思っています。


②農作物の収穫時期だけの手伝い

お米やイチゴなどの農家で繁忙期だけ働いて、日当8,000円、年2か月で30万円ちょっと。単発のアルバイトとして良いのではないかと思っています。



まだ真剣さが完全に不足しているので、働くことに関しては、これらくらいしか出てきません。本当に、かなり楽観的に捉えています。しかし6万円ならば、選択肢はいくらでもあるのは事実です。あくまで楽観的。




8 働かずに何を目標に生きるか


僕自身は今、人生に目標などを設ける必要もないとも思っています。けれど毎日毎日会社に通っていた人が急に働くことを辞めれば、この目標の喪失感というような感覚にとらわれるということも多いと聞きます。



しかし少数の人を除いて、いずれは誰もが働くことを辞めるのです。だから働かないで生きたいと考えている人でなくても、この点はきちんと考えておく必要があります。




労働から解放された自由時間を充実させるには積極的に行動することも必要であることは事実。



ダラダラ、ゴロゴロしながらも、やりたいことはやっていく。人とのつながりというのもそのひとつなんだと思います。




毎日が暇で暇でしょうがない。そんな愚痴を得意とする方もおられるんじゃないかと思いますが、人生の自由時間は自分自身の考え方と行動でいかようにも充実したものに変えることが出来るはずなのです。



例えばブログやツイッターを通して、自分自身や自分の生き方に関心を持ってくれる人達とのつながりを増やしていくこと。



そんなつながりの輪を広げていくということも自由時間を充実させる上でのひとつの糧になりえるということを、この山奥に住むようになって強く感じています。



誰でも何でも発信できる時代です。少しだけやる気を出せば、その先の世界は無限であるようにも思えます。山奥に住み始めてから、まだ1年ですが、連絡を取り合ったり遊びに行けたりする仲間がもう2桁以上にもなりました。



実に不思議な現象ですが、少しの行動を心がければ、いろいろな側面で充実感を得やすくなるという、ひとつの例かもしれません。



自由に、気楽に、そして楽しい輪が広がっていく世界。働かない生活を選んだが故に得られた世界とも言えるような気がします。



正しい生き方正しい考え方などは、多分存在しないのではとも思っています。しかし、長いか短いかはよく分かりませんが、人生が一度きりであることは確かなはずです。



ですので、物凄く窮屈だと感じているのであれば、好きなように生きてみるというのも良いのではないでしょうか。



ただ、その先は各自の判断



僕自身は働かない生活の中に心地良いリズムを見つけられたのだと思います。



要は肩の力なんか抜いてしまって気楽に生きちゃいましょうということ。思い込みや強固な習慣の中にも、自分で崩した方が良いものもあったりします。



働いている今の自分の生活が最高と感じているのであれば、それはそのまま継続した方が良いと思います。



それに何が心地よいか人それぞれです。



ただ浪費するために苦痛な労働に身を置いているのであれば、一考も良いのではないかと思い、この記事を書かせて頂きました。



自分の心に耳を澄まして。そして是非、軽やかに。







9 働かない生き方とは、こんな日常


ここからは働かずに生きていくヒントになるかもしれない(なったらいいな的な)、僕自身の現在の生活について紹介していこうと思います。



山奥の生活という特殊な環境ではありますが、お役にたてれば。


9-①働かない生き方--自然を食す--

繰り返しになりますが、お金を稼ぐことよりも楽しく生きる、このことに視点を持っていった方が、全てにおいて上手くいくという確信があります。



例えば自然の中に存在する食材。それらを見付けて美味しく頂いてしまうなんて行為は、節約という観点は超えてしまっていて、かなり強めの幸福感を得ることもできたりします。



山の中だから、そんな自然の食材が沢山あるとも言えるのですが、人には見ようとしないものは見えないという特性があるのも事実です。



周囲に素敵なものが転がっていても、実は見ようとしなければ、見えません。山奥に住んでいても、そういうことには一切興味なし、という方々も実に多く、このことはとても不思議。



しかし、逆に言えば、都会に暮らしていても自然の恵みに目を向ける意識があれば、かなりいろいろと得られるのではないかということでもあるのです。是非。





春夏秋、冬以外は何かしら自然の恵みにありつけます。そんな視点を持って生き始めてみると、浪費の為にあくせく働いていたことが、やはりあまり意味がなかったという結論に導かれたりもします。



9-②働かない生き方--持ちよるという形--


ここに遊びに来てくれる人の多くは、何かしら食材を持参してくれます。とてもありがたいことです。誰かが来るから大量に食材を用意する、そんなことはしないで良いシステム。いつの間にかそんな感じに(笑)。



だからバーベキューも気軽に出来るし、無理せず楽しい時間を過ごすことができます。お互いに無理をせず気を使いすぎず、適度に。ナスや玉ねぎを焼くだけでも十分楽しいのです。



ちなみにこちらは焚火兼用のバーベキューコンロ。100円の重量ブロック18個を積み重ねただけの代物ですが、これで十分です。冬場は焼き芋も楽しめます。



天気が良くなければバルコニーでもんじゃ焼きなんていうのも定番。メイン材料は小麦粉なので材料費も激安です。




働かない生き方を通して見えてきたことのひとつは、あまり特別なイベントなど設けなくても十分楽しいし、無理にお金を使う必要もないということ。



皆が消費をして社会の経済が回ることは大切だと理解していますが、僕が回す必要もないという結論です。





他にもお伝えしたいことは沢山あります。後日、追記として書き足していこうと思います。





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2019年1月4日金曜日

一人暮らし貧乏生活

一人暮らし貧乏生活のブログです


伊豆の中古別荘での一人暮らし貧乏生活。たまにブログを更新するだけという怠惰な生活を送っておりますが、これはこれで想像以上に中々良いものなのであります。




都会の貧乏暮らしは、結構辛かったりもするのでしょうが、山奥だとお金そのものがほとんど出てい行かないのです。それ故に、貧乏もまたこれ楽し、という感覚を覚えてしまうほどです。



ミニマムな食費


食材の買出しにもあまり行かなくなってしまって、特に無理をしているわけではないですが、食費もミニマム。



今、冷蔵庫にある食材もいつ買ったかは正確には覚えていないのですが、前回買ってから一週間以上は経っている気がします。



毎回玉子を買っていて毎朝一つは食べているので、この残りの個数でなんとなく8日間だと推測できたりします。



ということは8日間も外出していない。これは貧乏一人暮らしという以前に引きこもりニート(もうニートという年齢ではないですが)と表現した方が良いかもしれません(笑)。



ちょこちょこ出歩いているような気がしていましたが、8日間も家の中にこもっていたようです。そしてそれをなんとも感じていないということに、ちょっとヤバイさを感じております。



ただ、早期退職した後は、一人暮らしの貧乏生活を、そんな感じで過ごそうとも思っていたので、これはこれでOK。



いや、しかしプールには行った気が...(記憶喪失感はやばいです)。



やはりこまめにブログを書いていないとダメかもしれません。何もしていないくても、記録だけは残しておいた方が良い。



出歩かない生活

お金を使わない生活というのは端的に出歩かない生活とも言いかえられるような気がします。お金は出歩くために必要なもの。そんな風にお金に対する認識が変わってきました。



山の中にずっといて楽しい。これは本当にそう感じているのです。ここで何か特別なものをお見せすることは出来ないのですが、レジャーなるものはその辺にごろごろしているのでその日の気分で好きなことをしていれば良い。




世の中には暇な状態に苦痛を感じてしまう方が多くいるようではありますが、僕は暇すら、大好きだったりします。



何もしない。ただコーヒーを飲んでおもいっきりくつろぐ。今はそういうことが楽しめるようにもなったのだ、そんなこと自体もが喜びにつながったりします。



東京のアパートにいたころは、休職中の焦燥感のせいもあったのでしょうか、何かしなくてはとういう強迫観念に取り付かれていました。でも今は、暇も最高。



ごろごろと映画を観続ける。ダラダラと風呂に入り続ける。ボーっと野鳥を観続ける。



どれも好きです。ただクルマでの山道ドライブも好きなので、出来れば週に一回は外に出てプールなどに行って、食料を買出しに。



で、今日、久しぶりにお金を使ったわけなのです。5千円くらい。



これでまた一週間くらいは、どこにも出かけないような気がします。という感じなので、少し前までは結構気にしていたお金の消費ですが、今はあまり気にしていません。本当に使わなくなってしまったので。



一年間で80万円。貧乏生活の下限ライン、このBライフのラインはクリアできるのではないかと思います。バカでかいテレビを5万円で買ってしまいましたが、このおかげで、ほぼ無料に近い娯楽も無尽蔵に楽しめます。



今までいったい何にお金を使っていたのだろうか...??



とても不思議な感覚です。



缶ジュース

余談ですが、缶ジュースってバカ高いですね。あんなにちょっとで130円。スーパーに行けば1.5リットルのコーラが常に130円で売ってます。コーヒーだってドリップ式のパックで一杯20円。




世の中でもっとも詐欺的な商品は実は飲み物ではないかと思っているのです。みなさん、騙されないようにしましょう。缶ジュースはよく考えるとバカ高いのですよぉ。貧乏生活志向なら、まず第一に辞めるべきものかとも思います。



100円ちょっとならまぁいいか。そういうものは削ぎ落としてしまった方がよいように感じます。缶ジュースごとき、飲み続けたとしても一年間でたいした金額にはならないとは思います。



でも習慣的に存在する無駄こそ排除すべき対象ではあるのです。




と、すっかりお金を使わない人間になってしまいました。カップラーメンですら高いと感じてしまう超貧乏人感覚が身についてしまいました。



とても良いことではないでしょうかね。



お金を使わなくても一日を楽しいと感じられる自分が、やはりうれしい。


特に何もなく。


今日もそれで良し、です。これからも伊豆の中古別荘にて働かない生き方、セカンドライフを満喫していこうと思っております。



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