「ねばならない思考」をやめてみる
今更ではありますが、僕は今、ねばならない思考をかなり手放してしまった生活をしております。ただそれでも100%全てを手放せたわけではなく、予定表には若干のスケジュールは存在しています。医者に行かねばならない、なんていうゆるい予約のようなものですが(笑)。
実は週に数日は働いてみようかと思ったこともあったのですが、「行かねばならない」というものを生活に取り込みたくなくて無職のまま現在に至っています。
50代でセミリタイアしてしまったわけなのですが、こういうのを単なるナマケモノとも言います。あはははっ。
ただ、まじめな話、うつ病で長いこと休職していた時のことを思い返してみると、この「ねばならない」感が非常に強固なもだったような気がしていて、それが回復の足を引っ張っていたのかと、今にして思っております。
早く復職しなければならないという焦り。切実な思い。いつしか脅迫観念へ。
でもこの時、苦しみに苦しみ抜いて、長いこと考え続けて、そしてそして、結果としてこんな答えを出しています。
別に復職しなくても良いんじゃないか。
なんという解を出してしまったことか...。ですよね。普通。
でもですね、そう決めた瞬間からこころがパーっと解放されていくことが分かったのですよ。物凄い重しを載せられていたのが、急にどけてもらえたような感じです。
身体がふぁ~っとなって、やはりこの思いが自分を苦しめていたのだとリアルに感じました。
その先の人生に何の計画もありませんでしたが、絶対に復職しなければならないのか?という問いに関してだけは明確な答えを自分の中で導き出せたのです。、
うつ病の治療中には大きな決断はしてはいけないということをよく聞きます。退職だとか離婚だとか、大きな買い物だとか、そういう決断は正常なメンタルを取り戻してからするべきだという考え方です。
でも、本当にそうなのかなぁと無責任ではありますが、今はこの考えに少し疑問を持っています。
そして、うつ病で苦しみ抜いている人は会社なんか一旦辞めちゃった方が良いのではないかと密かに思っていたりします。
人生においては「ねばならない」ことなんてひとつも無いと思うのです。お金が必要なのはもちろんなのですが、長い期間病状が回復しなければ障害年金を受給する手だって有効かもしれません。
僕自身は受給したことはないですが、月に数万円もらえれば、再起のための時間はなんとかなるような気がします。
そして体調が回復してきた暁には「働かねばならない」ではなくて「働こう」という方向に意識が変わってくるかもしれません。ただ自分自身には、まだそんな超前向きな意識の変革は訪れておりません。でもそれはそれで良いのです。
心や意識を苦しめている「ねばならない」という固定観念には大小様々なものがあると思います。その究極が働かなければならない、という視点。
大き過ぎるテーマですので、判断は各人にお任せします。
でも身近にある小さな「ねばならない」を排除していくことは、人生を楽しむために有効な手段であることは間違いないと思います。ガチガチに縛られている必要はないという気付きも時に必要だと思うのです。
そして小さな「ねばならない」を排除し続けていった先で、最後には何が残るのだろうか。そんなことを考えてみるのも楽しいかもしれません。
本当にやらねばならないことって何でしょうか。
もっと自由に。今日もまた、軽やかに生きてみましょうかね。
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