2019年3月19日火曜日

キッチンをDIYで白一色に仕上げる

キッチンをDIYで白一色に仕上げる


かなり大げさなタイトルになってしまいましたが、念願の真っ白なキッチンが完成しました。なぁ~んて。ただ単に720円のリメイクシートを貼っただけなのですが...。



キッチンの下の扉は元々木目の古臭い感じだったのですが、ホワイトのリメークシートを貼ったところ、見違えるように美しくなりました。昨年の6月上旬のころのことです。その時の話はこちら→ キッチンの収納を壁紙で装飾




リメークシートだけでこんなにも美しくなるということを実感したのですが、丸いロール型のシートで割と切り貼りが難しいこともあって、それ以降は何もやらないまま時間が経ってしまいました。



その時に完成したのがこちらの図





キッチンの上側の扉も真っ白にすれば、物凄くおしゃれになる。でも面倒くさい。誰か来てやってくれないかなぁ。とそんなことばかり考えておりました。



あれから10ヶ月。放置するにも程がある。ということで、今日、なんとか動いてみることにしました。ええっと、まずは寸法を測って...。メジャーが見つからない。ああ、折角やる気を出したのに。



何かやろうと思い立っても道具がみつからないと、急にトーンダウンしてしまいます。



やっぱ、やめっか(こんなヤツです。あしからず。)。



でも今日やらないと、また10ヶ月くらい経ってしまいそうな気がして、道具箱から長い定規を見つけだし、そいつで寸法を測ることにしました。



測った寸法通りにリメイクシートをカットして貼っていくのですが、おっと、その前に、取っ手の部分を外さなくては。



力は必要ないのですが、なんとなく面倒くさいので電ドラでぎゅぎゅぎゅ~んと一揆に全部外しました。これこれ。扉の取っ手。面倒くさがって外さないと余計面倒になります。




これから作業をしようとしている上の扉はこちら。一応三脚を用意。




最初の一枚を空気が入らないように上からそっと貼り付けていきます。ステンレスのハケで上からなっぞって空気を押し出しながら貼ると綺麗に貼れます。



こういう道具。これがあると綺麗に出来ます。





そして一枚目


やってしまえば大したことない作業。しかし何故かたった一枚貼ったところで、コーヒーブレイクとなります。遅々として作業が先に進みません。



しかしコーヒーブレイクの後はもう何も考えずに作業を進めることにしました。一気に2枚目、3枚目、4枚目。



じゃじゃ~ん。完成!!






というか、それほど騒ぐことでもないのですが、放置してしまった期間が長かっただけに、ふぅ~という感じなのです。これくらいパッパとやってしまえる人間になりたいです。



こうなると天井もすべてホワイトにしたい!なんて欲も出てきちゃったりするのですが、非常に大変なのでやりません。そういうのが好きな人が遊びにきてくれたら一緒にやります。来ぇ~って(笑)。



720円のリメイクシートだけでおニュー感が漂ってきます。業者には決して頼みません。こういう細かいところもお金を使わないコツなのかと思います。



やってよかった。1時間しか作業していないのに、とてつもない満足感が得られたので、今日はもう何もしません。



でも最後にひとつだけ。冷蔵庫の側面もホワイトにしてロゴなんか貼ってみたりして。



ちょぉ~おしゃれなんですけどぉ。すみません。完全な自己満足の世界でした。



今からAmazon Primeで映画でも観ることにします。



みなさん、良い午後を。



DIY作業のまとめページはこちら↓
DIY作業のまとめ


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お金を使わないコツ



2019年3月18日月曜日

ブログで自分をさらけ出すことについて

ブログで自分をさらけ出すことについて


あまり自分をさらけ出しているつもりもないのですが、このブログには思ったことや感じたことをそのまま書いています。








退職した会社の同僚学生時代の友達、実際に僕を知っている人達にも既にこのブログは知られてしまっているので、ウソを書くつもりもありません。



ただ僕のことを知っている人達には「こんなこと考えていたなんて知らなかったでしょ?」なんていうのは少し面白いかとは思っています。会社員生活を辞めて自由に暮らしたいとずっと思っておりました。あはははっ。知らなかったでしょ。






Facebook

実名で数年間やっていたFacebookにもブログの更新と共に記事が流れる設定になっています。Facebookをやっていたころは順風満帆なサラリーマン生活を書いていたように記憶しています。仕事最高!会社員最高!みたいなウソを。ですので、ちょっとビックリのではないかな。



いや。もう僕に関心などなく誰も見ていないのかもしれません。それはそれで良いのです。ただ、もうFacebook自体を開くことはないし、コメント欄なども見ていないということはお伝えしておこうと思います。



もしそちらにコメントなどくれていたとしたら、返信せずにいてゴメンなさい



自分をさらけだすこと

このブログはうつ病での最後の休職の真っ最中、2017年の7月に書き始めている(こちらが書き出し地点 → ブログを書くことにうつ病を治す効果があるか )のですが、そもそも自分の病状や気持ち、考え方などを文字にして解放してみるというこころみからのことでした。




なかなか表現できないような、もやもやとした感じが長いこと続いていたのですが、それでも何か書いていこうと続けたり続けなかったり。



初めの一ヶ月間はメンタルのリハビリという意識が強かったので、ほぼ毎日何かを書いていました。何かという程度なので恥ずかしくて読み返すこともできませんが。



その後はうつの波が襲ってきたのか、一週間に一回程度になったり1ヶ月間何も書けずにいたり。しかしブツ切れであってもなんとか続けていたら、そして自由に生きたいと思い続けていたら、いつの間にか今のこの山奥でのお金を使わない生活、Bライフ生活に辿り着いていた、そんな感じなのです。



病気(うつは病気なので明確に病気と記しておきます)自体は退職を決めたころから劇的に回復してきたことを記憶しています。症状はお腹が痛いというような白か黒かというようなものではないので、言葉に出来たとしても非常に抽象的なものです。



気分を数値で記録するような手法もあるようですが、もしそんな数字を記録していたとすれば、-90から+10くらいまで復活している様子がわかったかもしれません。



現在は+10です。それくらいの値なので簡単にマイナス領域に落ちることもあると思います。ただ多分プラス圏内にいます。今。




プラス圏の定義

メンタルや気分を数値化するには比較が必要になると思うのですが、一般的なのは、最悪な状態だった過去の記憶を-100、最高の気分だった時を+100とする手法のようです。



ただ実のところ僕はこういうことはあまり考えてはいません。あのころが+100であのころが-100だったとか。落ち込むことなく日々を過ごせているならば、常に+10くらいなのかなぁと思っています。



これくらいが良いのです。良いことも悪いことも人は簡単に虚像を作ってしまうのだろうから、あのころとの比較などあまりしない方が。



ブログに自分の気持ちをさらけ出してきたのですが、結局、過去は過去。今は今のような気がします。そしてこの感覚は強まっていくばかりです。



今を生きましょう



都会であっても田舎であっても山の中であっても、それは同じです。仕事をしていてもしていなくても同じ。今を生きられるようになれば、こころは物凄く軽くなるような気がします。



今はただこの一杯のコーヒーを頂くとします。昨日でもなく明日でもなく、この今を自由に楽しみ自由に生きる。そんなことを想起させてくれる一杯のコーヒー。





話が発散してしまいましたが、今日はこのへんで。良い午後をお過ごしください。



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念願の真っ白なキッチン


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会社員生活を辞めて自由に生きたい


2019年3月16日土曜日

別荘地の管理費の使い道

別荘地の管理費の使い道


少し前の記事に「別荘地の管理費は安ければ安いほど良いですよ」ということを書いたのですが(こちらの記事 → 別荘地の管理費の使い道 )、今回はその根拠を紹介しておこうかと思います。




僕は現在、周囲に誰もいない伊豆山奥の別荘地に住んでいるわけなのですが、僕の周囲に人影がないだけで、別荘地全体だと700軒強の方が定住しています。別荘として使っている方は同数程度。合計で1,400軒



この1,400軒と、その他に土地だけを所有している方がいるのですが、その方々が管理組合に毎月4,000~5,000円の管理費を払っています。詳細は省きますが、合計で毎年約1億円が管理費として発生しています。




1億円の使い道


会計報告が届くため、お金の使い道は割と透明ではあるのですが、透明であるだけで、無駄がないわけではありません。管理組合や管理費の仕組みは何十年も前から決まっていることなので、ここで騒ぎ立てるつもりも全くないのですが



ただ、使い道を紹介することで、管理費なるものがどれだけ無駄なものかを理解して頂けたらと思っています。働かない生活、お金を使わない生活の中にいると、こういうものが割とクリアに見えてきたりもします。



冒頭に結論を書いていますが、管理費など安いに越したことはないのです。仕組みを変えることなど出来ないので、できるだけ安いところを探した方が良いという点も再度強調しておきます。



それでは使い道に関して紹介します。

①職員費

12名4,500万円
ここで注目したいのは、1名の給与の高低ではなく、この12名という人数。管理組合の建屋がありますが、そこで12名が働いています。



小さな町の郵便局を思い浮かべてみてください。窓口、奥の事務、合計で何名が働いているでしょうか。だいたい4~6名だと思います。



郵便局には多種多様な業務があり割と多忙だと思いますが、それでも4~6名で全業務を回していることが多いはずです。




比べて、管理組合には12名もの職員がいます。12名で対処する仕事ってかなりの仕事量だと思います。



僕はこの別荘地に移住して来た時に一度だけ定住者届けを出しに行きましたが、直接関わったのは、そのわずか5分程度です。しかも僕以外には誰もいませんでした。



誤解の無いように繰り返しますが、仕組みを変えるとか人員を削減するとか、そういうことを望んで、この記事を書いているわけではありません。



管理費というのは、こんな形で世襲されていく特権的なものなので安いところを選ぶべきだと言いたいだけです。実際この別荘地も安い方です。しかし中身はこんな感じなのです。


②役員費

役員は4名。計400万円。これも前述した職員費と同じです。


①と②を合わせて、交通費なども計上されて計6,000万円。



1億円の管理費の内、6割があまり実態のなさそうなところに給与として支払われています。おそらくどの別荘地でも6~7割を人件費と称して消化しているのではないでしょうか。



道路や樹木の伐採


僕は当初、この管理費というものの大半は、陥没した道路の補修だとか、飛び出している木の伐採などに使われているんだろうと勝手に思っていました。



しかし環境整備費として使われているのはわずかに400万円。おそらく、そういう仕事は「市」の仕事なのです。





どうでしょうか。



かなり辛口な内容になってしまいましたが、別荘地の管理費に月額8,000円も徴収されるところを選ぼうとしているなら一考かもしれませんよ。



以上、別荘地の管理費の使い道ってこんなものという話でした。



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ブログで自分をさらけ出すことについて



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働かない生き方、働きたくないのでお金を使わない



2019年3月14日木曜日

山奥まで遊びに来てくれる人がいるということ

山奥まで遊びに来てくれる人がいるということ


こんにちは。お金を使わない生き方を継続中のshigeです。


昨日、ツィツターのフォロワーさんがこの山奥まで遊びに来てくれました。朝方のツイッターでのやり取りで「今からちょっと顔出していいですか?」というような軽い流れから。



もちろん「大歓迎です!」と即答したのですが、そうは言ってもクルマで2時間半もかかる場所からということで、えらく恐縮してしまいます。



逆の立場だったらということをよく考えます。クルマで2時間半。出不精の自分にはかなりハードルの高い距離です。



しかもまだ会ったことのない人に会いに行くという行為も相当な難易度。こんな事を考えるとそれだけで感謝に堪えない気持ちで一杯になります。本当にありがたいことです。




初対面でしたが、話がつきることなどなく、かなり盛りあがりました。ただ、翌日の予定もあるということで今回はノンアルで乾杯!そして日帰りでした。



ただ、そのこともまた嬉しかったりするのです。ちょっと顔を見に。こういう優しさにはジワ~っときます。



僕はSkypeやLineで知人と話をする機会がかなりあるのでが、やはり人と直接会って話をするというのは、とても素敵なこと。大切にしたいことです。



誰もいない山奥で働かずしてダラダラと暮らしているような人間ですが、このことは変わらない事実なのです。仙人になるつもりはありません(笑)。




お米タコせんべいをおみあげに頂きました。タコせんはやみつきになりますね。うまし!





それと帰宅してから嬉しくなるツィート。本当にありがとうございました。またいつでも遊びに来てくださいね。





本日の予定


さてさて本日の予定ですが、ご想像通り何もありません(笑)。作りかけの畑とプランターに水をあげて、その後は和室の床の工事などしようかとも思っていたのですが、本日は若干気温が低めです。現在外気温は11℃。



気温とやる気は僕の場合ですが、完全な比例関係になるようです。外気温が15℃くらいまで上昇しないと、全くやる気がでません。ファンヒーターでぬくぬくに暖めたリビングにて映画でも観るという怠惰なパターンになる模様です。



そういえば、昨夜、寝室がえらく寒くて、なんだか凍えながら眠りに付いたような記憶があったのですが、昨日来客があったので自作の二重窓を開けたことを忘れていたのでした。



これ、これ。



これを閉め忘れたせいで、えらく寒い夜となったわけなのですが、逆に、物凄い効力を発しているということがわかりました。これからは暖かくなる一方ですが、簡易的な二重窓でも断熱効果は抜群なので、次回の冬は是非、各自のご自宅での製作をおススメします。



昼ごはんには、好物のブロッコリーセニョールを頂きました。軽く茹た後、バターでベーコンと炒めて塩コショウで完成。アスパラに似た味で美味です。





みんさんも良い午後をお過ごしください。



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別荘地の管理費の使い道



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2019年3月11日月曜日

Bライフ自給自足用の種まき

Bライフ自給自足用の種まき


いよいよ本格的に気温が上がってきたので、今日は種まきをやることにしました。野菜の種類によってはもう少し待った方がよいものもあるのですが、3月中にまいて良いものだけ先にやってしまいます。



まずこのビニールのポット。150個も入っていて120円という激安ぶり。ということは1個1円くらい。そしてこの網網のトレイ。これはポットが20~25個入れられるサイズで130円。





100円ショップにも、いろいろと安いものがあったりしますが、こういうものだけはホームセンターの方が圧倒的に良いと思われます。これらも100円ショップの商品は、サイズも量もホームセンターの1/3程度です。割高



さて、トレイにポットを並べてみました。各20個で4つ。合計80個のポットになります。今回、オクラとズッキーニ、小松菜の種を蒔くのですが、そこで少し考えてしまいました。多過ぎやしないかぁ。




オクラもズッキー二も成長すると1つの苗につき30cm四方の土地が必要になります。段々畑は4段を製作して2段にこれらの野菜類を植えようと思っているのですが、面積的にパンパンになってしまう気がします。




わりと広い畑を確保したつもりでいたのですが、80個もの苗は多分キャパオーバー。と、いうことで段々畑も上側にあと1段増やして5段に増設しようと思います。しかし大変なんだなぁ、この開墾作業が...。働かない生き方などと常日頃言っていますが、この辺はしっかり労働!



一度開墾してしまえば、来年も再来年も畑として使えるので、ここはやっておくとします。でも来週か再来週。




野菜の苗のお値段


もう少しするとホームセンターに野菜の苗が続々と出始めます。去年は15ポッド買いました。でもひとつ150円~250円と結構なお値段がするのです。店で売られている苗は接木をしたり丈夫にする工夫がされているとはいえ、元はひと粒のタネですからね。




タネは100個ほど入っていて120円くらい。苗は1つで150円くらい。100倍も値段が違うということを今日あらためて考えてしまいました。



発芽率70%としてもそれでも80倍ほどになります。苗屋さんって儲かる。そんなことを考えてしまいました。やろうかな。野菜の苗の路上販売。ひとつ30円くらいで並べておけば、バンバンうれちゃうような気がしますね。



今年上手くいったら、来年は5,000個くらいポッドで育てて、無人の店に並べてみようか。30円x5,000個=15万円なり。Bライフの生活費3か月分弱になるではないですか!



などと妄想を膨らましておりました(笑)。お金を使わずにお金を確保する。





でも実際にバルコニーも広いし、時間もあるし出来ないことではないなぁと真剣に考えてみたりして。これからは面白そうなことはどんどんやってみようと思っていたりもします。何もかも実験実験。別に失敗してもなんともないのです。



コンパネ12枚が到着


ネットで注文しておいたコンパネ(1枚10kg、タタミ一畳のサイズ)が本日届きました。何に使うかというと客人が来た時に使っている和室の床を直すためです。




以前このブログにも書きましたが、この家は道路側にほんの少しだけ傾きがあってビー玉を落とすとゆっくりと転がります。



リビング寝室の床は昨年DIYで直したのですが、和室は手付かずのままでした。その話はこちら→ 中古別荘の傾きをフローリングの高低さで補正



やろうと思っていたら寒くなってしまったので戦意が喪失し今に至っております。ただ傾きといっても数日滞在したくらいではおそらく気が付かない程度のものです。



しかし僕は水平感覚が異常に発達していて、曲がっていたり傾いていたりするものを敏感に検知してしまう悪魔の実の能力保持者なのです(笑)。なのできっちりと水平を出したかったりするのです。


こちらの和室。


作業はまた一週間がかりかもしれません。でもやるです!



また誰か遊びに来てくれるかもしれないので。
今日は天気が良いのでこれから川沿いの河津桜を見に行こうと思います。




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2019年3月9日土曜日

引きこもり一人暮らしと社会とのつながり

引きこもり一人暮らしと社会とのつながり


今から17ヶ月前、26年間勤めた会社を早期退職して社会とのつながりを絶ち、引きこもり一人暮らしとなりました。ただ退職前の会社との約束事だったのでリクルートエージェントという転職斡旋会社には半年ほど通っておりました。




ここに通えば転職活動をしている証明になるため、ハローワークにも月に一回しか行かなくて済んだからなのです。元々再就職などする気などは全くなく、さっさと山奥に引きこもろうと思っていました。



それ故に完全に失業保険をもらうためだけの行為。かなりの罪悪感。



そんな位置づけのリクルートだったのですが、行く度に担当者からこんな言葉を投げかけられ、毎回凹んだことを記憶しています。



「引きこもりでは社会とのつながりがなくなりますよ。一人暮らしならなおさら。働かない生き方などという選択はないですよ。働きましょう。」



抽象的な言葉ではあるのですが、会社を辞めたばかりの人間にとっては、とても強い魔力を秘めた言葉なのでした。



無職の状態というのはとてもヤバイ状態。この状態は孤立無援。引きこもり。その先に待つものは孤独死...。そんなことまでも想起させるような悪魔の言葉



しかし無職を17ヶ月間続けてみて、そのことを今一度考えてみると、なんてバカげた脅しだったのか、という感じなのです。



転職を成功させることで成功報酬を受け取るリクルートの戯言だったのだと、今は理解できます。







社会とのつながりを今一度考えてみる


本でもネット上でも、僕はこの表現を目にする度に、頭の中に大きなクエスチョンが浮かびます。何かのひとつ覚えのように、繰り返し使われているこの言葉に、すごい違和感を感じるのです。



リクルートに脅しをかけられた「社会とのつながり」という言葉。これって一体何を指していると思いますか?多くの人は60歳で定年退職となると思いますが、その後はこの脅し文句からすれば絶望的な状態になるわけなのです。




でもですね、安心してください。全くそんなことはないのです。退職後17ヶ月経ってみて、なんだかバカげた考え方だなぁという感覚は強まるばかりなのです。



社会とのつながり。そんな形だけのものは現代社会ではそれほど重要ではないのです。いや正確には元々そんなものは無いのですよ。



おそらく、みなさんが普通に考えている社会とのつながりとは、自分が社会に必要とされているか否かということを指すのだと思います。



そういうものがあれば、なんだか安心できそうだし、自分が存在していることが許されるような、そんな感覚なのかもしれません。



しかし、ここはバッサリと言い切ってしまいたいと思います。そんなものは単なる思い込みに過ぎない。



今のこの時代。どこに住んでいようが、何をしていようが、SNSやブログ、メールやLine、Skype、誰とでも、いつでも話すことが出来ます。そしてそこでは、誰もが相手にとって必要とされる存在なわけなのです。





極端な例で言えば、宇宙空間にただ一人で生きているなどどいう状況であれば、それは完全なる社会との隔絶だと言えるかもしれません。でもそんなことは在り得ないのです。




会話ができるのだから自己承認の欲求を満たすことも出来ると思います。社会とのつかながりは、自分にその意思さえあれば、つなげておくことは出来ます。



だからあまり、そんな言葉に惑わされて自由度を下げるような生き方はしない方が良いと、僕の私見ではありますが、そう思うのです。



今、ここではお金や収入の話はしていません。仕事を辞めること社会とのつながりとの話をしています。



企業に属していない。仕事をしていない。アルバイトをしていない...。重複しますが、今の世の中では、そういうことと、社会とのつながりということにはあまり深い関係性はないということです。



凝り固まった考えに従属し続けても良いことはないと心の底から感じています。再就職などしなくて本当に良かった。貧乏でもきままなBライフ、お金を使わない生活、働かない生き方って、やはり最高なのです。



もちろん、贅沢をしたかったり欲しいものがあるのなら、それ相応の収入を得る努力をしてください。社会とのつながりなどということを不安視しているのなら、それで解消もされるでしょう。



でも僕は今のこの怠惰な貧乏生活の中にいた方がSNSやこのブログなどを通して、よっぽど社会とのつながりを感じられるし、なによりも自由を得ている感覚がそんな概念めいたものよりもよっぽど大切です。



退職後17ヶ月経ってみて、こんなことを感じております。ああ、本当に良かった。



関係ないですが、この本面白いです。




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2019年3月6日水曜日

将来の夢は隠居と言っていた小学生

将来の夢は隠居と言っていた小学生


小学校の時の卒業文集に「将来の夢は隠居」というタイトルの陰気臭い内容を淡々と綴っていた子がいたことを思い出しました。確か高木くんという頭が良くてスポーツも出来る人気者でした。




「社会に出てお決まりの仕事をこなして少しお金を貯めて草々に隠居。庭の盆栽でもいじりながら、毎日平々凡々と暮らして生きたい」という内容だったと記憶しています。



この時はもちろん僕も小学生で、その内容には全く理解も共感も出来ませんでした。アホな事を書いているっと思ったくらいだったと思います。



ただ他のクラスメイトとは異質だったということと、彼のポジティブなキャラクタとのギャップが大きかったのでよく覚えています。


今朝のツィート



隠居とはそもそも何?


隠居ってそもそも何なのでしょうかね。隠居という言葉を多くの人がマイナーなイメージとして捉えているかと思います。まずは表舞台というものがあって、そこから退くというようなイメージ。



と、いうことはきっと、人はこの世界に対して「社会での活動や労働、努力、根性、成功、お金儲け、出世」というようなものを自分のメインストーリーだと観ているということなのかと思います。




高木くんは小学生ながらにして、このメインストーリーを見切っていたのかもしれませんね。そんなの別にどうでもいいやぁ的に。



今僕自身、Bライフと称した働かない生き方、お金を使わない生活という隠居の身にあるわけなのですが、小学生高木くんの語った夢は実は、これはこれでありなんじゃないかとも思っています。



ただ、学校の先生がこの作文を読んだら、きっとこんなことを言うのではないかとも思います。



「これからもっとやりたいことが見つかるはずだよ。チャレンジすることこそが人生なんだし、誰かを目標にして頑張ってみようよ」



良く出来た回答なのではないでしょうか。まだ小学生くらいなら、これくらいでイケるとも思います。特にチャレンジすることが人生なのだというフレーズ。これは絶大です。これさえ信じていれば、大抵のことはやれてしまいます。



チャレンジこそが人生


思考はポジティブであるべきだと思います。チャレンジもどんどんした方がよい。出来なくて元々。失敗してもいい。これは今でもそう思っています。でも人にはそういう言葉のイメージを全く受け付けつけられくなる時もあるとも思うのです。




チャレンジ、チャレンジと言われても苦しいだけで何の力も沸いてこないかもしれません。それならばむしろ、隠居みたいな世界もあるよぉ~、別にみんながみんなチャレンジしなくてもいいんだよぉ~っと言ってあげた方が、元気になるような気もするのです。



無理なチャレンジなどしなくても良い。これからは小さなチャレンジにしていく。そしてこの状態を一旦、小さな隠居と考えてみたらどうでしょうか。物理的に隠居の構えをするのではなく、隠居的なものの見方に切り替えてみる。



大きな目標や人生の意義。そういう小難しい考えを一旦捨ててしまって、こころに過負荷のかからないような人生の捉え方をし始めてみる。すると何かが変わるかもしれません。



自分のこころを軽く出来れば、生きていることへの楽しさも増すようにも思います。そんな風に生きていたら、その内、自発的に大きなことにチャレンジしてみたくなることがあるかもしれません。もしそんな時が来れば是非チャレンジしてみてください。



そしてそれでもなお、物理的にも隠居が良いのだっという感覚が強まっていくようであれば、その時はそれも選択肢のひとつだと考えてみてもよいと思います。実際隠居Bライフは結構楽しいですから。



ただ、まずは大きなチャレンジなどしなくったって良いのだということ。ここを押さえてみてはどうでしょうか。



隠居の身ながら少し提言してみたくなりました。



そんな隠居者の本日の小さなチャレンジは畑作業。作りかけの段々畑にジャガイモとアスパラガスを植えただけ。たった20分の作業でしたが、これで十分。十分疲れました。


ボールみたいのがジャガイモ

薄気味悪いモジャモジャがアスパラの根

隠居と家族

隠居したことで得られたものは端的に「自由」です。何をしても良いししなくても良い。この世界は本当に甘味な世界で、まぁ別の言葉で言えば自堕落な世界。


しかしこの心地良い世界に身を置くには前提条件があるような気もしています。それは独り身であること。


僕は結婚をしていたし成人している子供も二人います。もしその家族の形を保持したまま隠居という形を選択していたとしたら、アウトだったのではとも思っています。




これからもあまり根詰めずに出来ることだけ。軽く軽く生きていこうと思います。




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働いていなくても社会とのつながりは持てる




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