2019年2月12日火曜日

軽自動車で楽しく暮らす別荘車ライフ

軽自動車で楽しく暮らす別荘車ライフ


一昨年の秋のこと。休職中の一人暮らしの延長で田舎暮らしを始めようと思い立ち、その足として人生初の軽自動車を手に入れました。( ブログの記事はこちら → 可愛い相棒を手に入れました )



走行距離17,000kmで45万円だったかな?忘れましたが安い!っと思った記憶があります。




1年半走ってますが全く問題なし。たぶん、もう少し安い25万円くらいのでも良かった気もします。



人生初の中古の軽自動車を所有してみてわかったことは、軽自動車って最高!ということ。たぶん一人乗りとして使っているからだとは思いますが、走りも快適、燃費もいい。税金も安い。いいことだらけなのです。お金を使わない生活を目指している自分としては最高の相棒。




山奥の別荘暮らしでの足としては車以外にもスクーターの使用を考えたことがあったのですが、買い物にはかなり不便だと思いやめました。それに冬のこの時期は多分寒くて乗れないですね。



税金、保険、車検を含めた維持費は月額にして5,000円くらい。結構テキトウな計算ですが1万円はいかないはずです。



山奥には車が必要


ほとんどの別荘地は山奥にあるため、なんらかの足は必要になります。ここには無料のバスが一日2本走っていますが、そんな本数のバスって、いったいどうやって使ってよいのか見当が付きません。



街へ行ったら何時間も帰ってこれない。無料だけど、そんな不自由なものにはこの先もおそらく乗らないと思います。



以前撮影したビデオがあります。山奥の住みかから山の麓まではこんな感じです。10分間を10倍速で1分間にしているのでジェットコースターのように見えますが、実際にはスピードは出てません。ちらっと見てみてください。




伊豆の山道は車がほとんど走っていません。都会に比べるととても運転は楽なのです。 そしていたるところがドライブコース。もちろん安全運転を心がけていますが、運転そのものがとても楽しみになものにもなるのです。



高齢になって車の運転ができなくなったらどうするの?山奥に住み続けるの?なんてことをしばしば聞かれますが、80歳まであと30年。



技術の新化は加速度的です。そのころには自動運転が一般化しているかもしれませんよね。たぶんそんな遠い先ではないと思います。



などとまたもやテキトウなことを言っていますが、あまり先のことを考えてもしょうがないので、こんな感じに納めております。



人には時の概念があるので、ついつい将来のことを危惧してしまいますが、この山奥に住むようになってから少しずつ身についてきた「今」という感覚。その感覚をこれからも大切にしていきたいと思っていおります。



裏返せば無責任ということにもなるかもしれませんが、起こってもいない先のことにアタフタするよりは、少しぐらい無責任である方が生きやすいと思うのです。




考えるのは精々5年後くらいまで。なるべく今に意識を。



そして今日も、一人暮らし田舎暮らしを、今を、気分良く生きようと思っています。


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2019年2月9日土曜日

食費を節約するなら切干ダイコンは必須

食費を節約するなら切干ダイコンは必須


コスパが良い食材はいろいろとあると思うのですが、味と値段、あと保存、そんな観点からBライファーの絶対的な味方といえる食材は、切干ダイコンなのではないかと密かに思っております。食費を節約しようと考えている方は是非、お試しを。



60g入っていて100円ジャスト。量は3食分に相当します。干して乾燥させてあるので保存も半年以上OK。それに価格が変動する生野菜と違って一年中変わらずこのお値段です。



食べたことが無いという人はいないとは思いますが、一人暮らしの方はいちいち作ったりしないかもしれません。でも、調理は実に簡単なのです。しかも誰が作っても多分同じ味になると思います。実に美味い。



大好物なのです。



食物繊維だとかビタミンDだとか、おそらく身体にも良い食材だと思うのですが、そういうことはあまり考えておらす、単に安くて美味しいから食べています。




居酒屋なんかでたまにお通しとして出てくることがあったのですが、小さなお皿にほんの少しだけ。もっと沢山食べたいといつもそう思っていました。



でも自分で作ればたらふく食べられます(笑)。100円で食べきれない程の量ができてしまうのですから。


一応作り方を

作って食べてみたいという方の為に一応作り方を書いておきますと、こんな感じです。


①水でもみ洗い
②水に15分ほど漬ける
③しぼる
④ニンジンと一緒に炒める(贅沢な方は油揚げなども一緒に)
⑤かつおダシ、みりん、砂糖、しょうゆ、水、と一緒に15分ほど煮詰める





完成! 結構な量。


暖かいうちに食べても冷めてから食べても美味しい。



今この家には切干ダイコンを10パックほどストックしてあります。全く飽きのこない食べ物なので週一程度では作っていますが、非常食としても優れものです。



生のダイコンから切干ダイコンを作る


実は以前、魚を干物にするための網で自家製の切干ダイコンを作ってみたことがあります。ダイコン1本は1kgほど。値段は時期によりますが、その時は120円くらいでした。



裏にしたり表にしたりを繰り返して、天日干しで一週間。1kgのダイコンから出来上がった切干ダイコンの量はなんとたったの70gでした。100円で買っている切干ダイコンとほぼ同量です(笑)。



ダイコン一本からどれくらいの切干ダイコンができるのか、興味本位で作ってみたのですが、驚きの量でした。1kgが70gになってしまうのです。



市販の切干ダイコンが何故こんなに安いのかは、おそらく安い時期に現地(海外)で加工していることと、軽いので輸送費がかからないことでしょうか。いずれにしても自分で生のダイコンから作ってもあまりコスト的なメリットはないことは確かです。



自分で作ってみること自体は楽しいのですが、コスパを考えるなら100円60gのものを買ってしまいます。



テレビではしばしば有名人の回想として、売れない時代にインスタントラーメンを毎日食べていた、などという再現ブイが流れたりもしますが、インスタントラーメンなんて、コスパ悪過ぎなのです。切干ダイコンを食え!って思ってしまいます(笑)。



お金を掛けなくても美味しい食材は結構沢山あります。主婦の方々はそんなことは百も承知だとは思いますが、100%外食だった自分にとっては、こんな食生活が実に楽しくてしかたがないのです。



眠くなったら寝る。
そして腹が減ったら食べる。
今日は切干ダイコン。


今日もこんな感じで生きております。


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2019年2月6日水曜日

働かない生活は幸せなのか

働かない生活は幸せなのか


何もせずにゴロゴロと、そしてダラダラと、そんな働かない生活に憧れて仕事を辞めてみたものの、時折襲い掛かってくる虚無感、虚しさの感覚。これを本当に幸せな姿と言えるのだろうか...。



そんなものに脳ミソが支配され病的な心理状態になってしまう。こういう人が結構多くいるということ、このことはかなり理解できたりします。




アクセクと働いていれば、例えふと虚無感に襲われたとしても多忙さがそのことを忘れさせてくたりします。



しかし特にやるべきこともなくボーっとした毎日を過ごしていると、脳みそはやがてその使い場所を求めはじめます。そして時折この虚無感と対峙すること選んでみたりもします。



この虚無的な感覚はいったい何なのか。生きていてなんの意味があるというのか。こんな無限ループ的な思考の罠。



おそらく人のとる行動の多くはこの虚無感に由来しているのではないかと、そう思います。


無駄な消費も虚無感を覆い隠すため。アクセク動いているのもおそらくそう。そうしていないと虚しさについて真剣に考えてしまうからのように思います。




この虚無感自体は突然湧き出てくるという類のものではなくて、実は常にそこにあるのではないでしょうか。そのことに意識が向くか否かの違いだけなのかもしれません。



禅寺での修行

禅寺で修行をするお坊さんには作務と称して一日中何かしらの作業が強いられます。


座禅の時以外は常に何かをしている状態が作り出されているわけなのですが、余計なことを考えさせない為というのが理由のひとつではないかと思います。



一心不乱に今ここ。そういう修行です。




欲や思念を振り払うため。そして多分、その中に虚無感も含まれている気がします。こんな修行を続けていてなんの意味があるのか。そんな風に虚しさに倒されないため。



と、いうことで「いったいなんのために」という根源的な疑念が振り払えない限りは、人は一生この虚しさに同居を許すことになるのかもしれません。



働こうが働かない生活をしていようが根本はかわりません。忙しさでそこに意識が向く時間が多いか少ないかの違いだけ。



と、ここまで書いてきて、このブログを読まれている方は、おそらく僕自身もこの虚無感に打ちのめされているのではと思われたかと思います。



しかし、僕はもういろいろと諦めてしまったのです。以前に「諦観」という言葉が好きだということを書いたのですが、いろいろと諦めてみると、「なんのために」という思考もかなり減っていきます。



50代前半にして隠居などという言葉を使っているのもそんな意味からです。自分自身が虚無そのものなので虚無感に襲われて苦しむことも少なくなってきたのではないかと思っています。



ものごとにあまり意味を求めない



おそらくこれがひとつの答えのような気がします。



年収90万円で東京ハッピーライフ おすすめです。


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2019年2月3日日曜日

伊豆の別荘地の評判

伊豆の別荘地の評判


伊豆は激安から高級まで多様な別荘地が多いということで評判ですが、その数には本当に驚かされます。


熱海から伊藤、そして三島、トライアングルの中だけでも30近い別荘地があります。伊藤の先は天城、下田と続くのですが、南のほうまでびっしりと別荘地が続いています。



僕も一度、熱川方面にある別荘地は視察に行ったことがあるのですが、そこはかなりの廃墟でした。激安物件も多いのですが、道路は荒れ放題。水道問題でいつ水が止まるかも分からないとか。



そんなこともあって熱海周辺の別荘地を選んだのですが、標高400メートルの位置にあっても意外と冬も大丈夫だったりします。



気温はもちろん2,3℃低くなりますが、真冬の一番寒いときでもマイナスになるのは数日間のみ。



昨日、伊豆山奥の別荘へ移住してきてから始めて霜柱を見ました。でもそれは本当に小さな霜柱でした。暖かいという評判はウソではないかも。



冬季うつ対策で部屋の温度を暖かく保っているからではあるのですが、真冬も大丈夫そうです。



寝室を断熱剤で保温した話はこちら→

洋室で暖かい部屋に大改造




おそらく以前住んでいた東京の八王子の方が気温は低いと思われます。25年ほど住んでいましたが、冬場は会社にいくのに朝は手袋と耳当てが必需品でした。歩道も常に凍結していたと思います。



ここは標高400メートル。平地よりも2℃ほど気温が低いはずです。でも大丈夫。最低気温が0℃以下になったのはまだ数日しかありません。そして、このまま温暖化が進んでくれたらなぁなどと無責任なことを思っております。



標高に関して少し付け加えておくと、100メートル上がる毎に0.6℃温度が下がっていくようです。ですので例えば標高1500メートルの山奥だと、0.6℃x15 = 8℃ 気温が下がることになります。




平地の最低気温が5℃程度ある温暖な地域でも、1500メートルの山奥になれば -3℃ になります。ですので標高は重要なファクターになるのです。



山奥に住もうと考えている方がいれば、平地の気温からどれくらいの標高までなら自分が暮らしていけそうかということは考慮した方が良いと思います。



この点で伊豆の山奥の別荘。おススメですよ。あっ!でも熱川方面だけは辞めておいた方がよいです。別荘視察はこちらの記事。→

退職後の田舎暮らし移住先隠居別荘探し第二弾




夏の温暖化


昨年の夏場は40℃近く気温が上がったことが何日もありましたが、その時も伊豆って最高ぉ~という感じでした。温暖化は地球規模の環境破壊にも繋がるとのことですが、やはり暑い夏は大歓迎なのです。



今年の夏は伊豆半島の海水浴場を全制覇するつもりでいます。伊豆半島には海水浴場が40箇所以上あるらしいのですが、全部いけるんじゃないかなぁ。早朝は釣りをして10時ころから海水浴。このパターンが良いのではと。まあ魚はあまり釣れないのですが。




このブログも伊豆への移住後は釣りに関して書いていくんだろうなぁと思っていましたが、昨年は全く行きませんでした。元々釣りが好きだったのですが、なんとなく。ただなんとなく行かなかったという。



自分でも良くわからないのです。ちょっと面倒になってしまったという感じです。頭の中の計画では、野菜を育てて、魚を釣って、そんなことで食料を確保して、こんなイメージがあったのですが、この2点とも計画倒れでした。



でも今年はやります。釣りも野菜作りも。



こんなことを考えていると本当に元気が出てきます。でも一年中夏だったりすると、そのありがたさもわからなかったりするのかもしれませんね。四季があるって大切。



毎日淡々と過ごしていますが、少しはウキウキすることも考えております(笑)。


よし!魚を釣ろう!
干物もつくるぞぉ~。

はやく春よ来い!


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働かない生活は幸せなのか



2019年2月1日金曜日

「ねばならない思考」をやめてみる

「ねばならない思考」をやめてみる


今更ではありますが、僕は今、ねばならない思考をかなり手放してしまった生活をしております。ただそれでも100%全てを手放せたわけではなく、予定表には若干のスケジュールは存在しています。医者に行かねばならない、なんていうゆるい予約のようなものですが(笑)。




実は週に数日は働いてみようかと思ったこともあったのですが、「行かねばならない」というものを生活に取り込みたくなくて無職のまま現在に至っています。



50代でセミリタイアしてしまったわけなのですが、こういうのを単なるナマケモノとも言います。あはははっ。



ただ、まじめな話、うつ病で長いこと休職していた時のことを思い返してみると、この「ねばならない」感が非常に強固なもだったような気がしていて、それが回復の足を引っ張っていたのかと、今にして思っております。



早く復職しなければならないという焦り。切実な思い。いつしか脅迫観念へ。




でもこの時、苦しみに苦しみ抜いて、長いこと考え続けて、そしてそして、結果としてこんな答えを出しています。



別に復職しなくても良いんじゃないか。



なんという解を出してしまったことか...。ですよね。普通。



でもですね、そう決めた瞬間からこころがパーっと解放されていくことが分かったのですよ。物凄い重しを載せられていたのが、急にどけてもらえたような感じです。


「ねばならない思考」をやめてみる


身体がふぁ~っとなって、やはりこの思いが自分を苦しめていたのだとリアルに感じました。



その先の人生に何の計画もありませんでしたが、絶対に復職しなければならないのか?という問いに関してだけは明確な答えを自分の中で導き出せたのです。、



うつ病の治療中には大きな決断はしてはいけないということをよく聞きます。退職だとか離婚だとか、大きな買い物だとか、そういう決断は正常なメンタルを取り戻してからするべきだという考え方です。



でも、本当にそうなのかなぁと無責任ではありますが、今はこの考えに少し疑問を持っています。



そして、うつ病で苦しみ抜いている人は会社なんか一旦辞めちゃった方が良いのではないかと密かに思っていたりします。



人生においては「ねばならない」ことなんてひとつも無いと思うのです。お金が必要なのはもちろんなのですが、長い期間病状が回復しなければ障害年金を受給する手だって有効かもしれません。



僕自身は受給したことはないですが、月に数万円もらえれば、再起のための時間はなんとかなるような気がします。



そして体調が回復してきた暁には「働かねばならない」ではなくて「働こう」という方向に意識が変わってくるかもしれません。ただ自分自身には、まだそんな超前向きな意識の変革は訪れておりません。でもそれはそれで良いのです。




心や意識を苦しめている「ねばならない」という固定観念には大小様々なものがあると思います。その究極が働かなければならない、という視点。



大き過ぎるテーマですので、判断は各人にお任せします。



でも身近にある小さな「ねばならない」を排除していくことは、人生を楽しむために有効な手段であることは間違いないと思います。ガチガチに縛られている必要はないという気付きも時に必要だと思うのです。



そして小さな「ねばならない」を排除し続けていった先で、最後には何が残るのだろうか。そんなことを考えてみるのも楽しいかもしれません。



本当にやらねばならないことって何でしょうか



もっと自由に。今日もまた、軽やかに生きてみましょうかね。



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伊豆の別荘地の評判


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2019年1月30日水曜日

自然の中の田舎暮らし隠居生活

Bライフ田舎別荘暮らしブログ

自然の中の田舎暮らし隠居生活


このブログは元々自分のうつ病を綴り始めたものですが、いつの間にか会社の退職を決め、自然の中の田舎暮らしの隠居生活みたいな内容に変わってきてしまっています。




でも、こんなダラ~っとした働かない生活に興味を持ってくれる人がけっこういるということにちょっと嬉しさと驚きを感じています。



52歳で隠居を決め込んだのですが、突入してみて結構いいなぁというのが率直な感想です。年金がもらえるまでにはあと13年もあります。



ですので大手を振って隠居などと言ってもいられないのですが、お金を使わない生活に自分を慣らしてみると、なんか大丈夫そう。そんな感じがしています。



以前なら1年間くらいで消費していたお金で、今は3,4年間は普通に生きられそうです。




別に死にそうなほどに質素な生活をしているという感覚もないです。要は過去の僕の生活の8割くらいが、どお~でもよいことにお金を使っていたということなのだと思います。



この隠居生活ですが、年金のような定期的な安定収入が得られてから突入するべきだとは思いますが、半隠居のような形で月に数万円のアルバイトをして生活していくというのもありかと思います。



ただこんな生活が成り立つのも、快適な住処を手に入れられたからという点が大きいと思っています。小屋暮らしに憧れていたことがあったことは以前このブログにも書きましたが、やはり隠居というスタイルには向いていない、というか無理だと思います。



小屋暮らしはパワーのある若者向け。30代までじゃないでしょうか。




それに小屋暮らしは、そこに掛る初期費用が安いということでかなり安直にトライしてしまう人も多いと思うのですが、それでも土地代100万円、材料費50万円、製作期間に掛る諸経費30万円(半年間の交通費や食費、テント、その他もろもろ)。


結局200万円弱はかかると思います。



それで手に入るのは、風呂無し、トイレなしで6畳一間のスペース。そこに寝床、テーブル、キッチン。だから、多分、とても狭い



僕は一人で暮らしていくつもりなので、なるべく小さな2LDKの物件を探していました。部屋は二部屋あれば十分。



でも暮らしてみて思ったことですが、もっと広くてもいい。誰か泊まりに来た時にもうひと部屋あったらっと思い始めてます。



ですので、暖かくなったらルーフバルコニーの下の8畳ほどのスペースにもう一部屋増設するつもりです。DIYで。



こういうことを実行しようと思えるのも、この家に既に頑強な土台があるからです。長く暮らしていくには、少しずつ快適な環境にしていける、そんなベースも必要だと思うのです。



隠居というスタイルを取り込もうと思っている方には、別荘地の安い物件を探すことを強くおススメします。田舎の古民家なども良いとは思いますが、人間関係の当たり外れはかなり恐ろしいとも思います。 →田舎で村八分にあった友達の話



また別荘地の土地は80坪で30万円くらいで手にはいるかもしれません。隣に家が建っていなければ、その土地も購入可能か調べておけば、後々、敷地を広げていくこともできます。




なんならそこに小屋を建てても楽しいかもしれません。



まず、1,2年などという短いスパンではなく、10年,20年、自分がその土地で、その家で快適に暮らしていけそうか。こんな視点を持っておくことが隠居ライフを可能にする住処を見つけるためには役立つと思います。



Bライフ的にお金を掛けずに生活していくには若者なら自作の小屋でもOK。でも40代以上は無理。



ということで再度、別荘地を強くおススメしたいと思います。自然の中で暮らしているというこの感覚は何ものにも変えがたい気持ち良さがあります。



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2019年1月28日月曜日

暇を苦痛に感じる理由と対処法

Bライフ田舎別荘暮らしブログ

暇を苦痛に感じる理由と対処法

今、僕の24時間365日は全て自分の自由時間です。働かない生活を選んだわけなので当たり前のことなのですが、暇をこよなく愛している自分でさえ、本当に暇で暇でしょうがないと感じることも実はあります。




時には、その暇な状態を苦痛に感じてしまったりもします。でも実際にはやることは沢山あったりするわけなのです。


やることが沢山あるのに暇だと感じてしまう、この摩訶不思議な現象。最近になって、なんとなくこの理由が分かってきたような気がするのです。この現象はこんなことを考えている時に生じることが多いようだと。



「人生とは何か特別なことを成し遂げるべきものなのだ」



人生の使命感


実際の暇な状態と、それを暇と感じることの間には、いささかギャップがあるようなのです。


落ち着いていて、ゆったりと、のんびりと、特に何をしていなくても幸せな気分を満喫できることもあります。今はむしろこの状態の方が多いくらいです。





でも一度この「人生の使命感」のような概念が迷い込んで来ると自体は一変します。暇は恥ずかしいことだ、暇であることを許さん暇は悪なのだ....。



非常に興味深い現象です。



やるべきことは沢山あっても、それらは使命感を満たすようなものではないので暇の穴埋めにはならないという感覚。だからやるべきこともやらない。どうせなら全部終わってから、暇だぁ~っという感覚になってもらいたいものですが。



でも僕はこの感覚を少し客観視できるようにもなってきました。東京のアパートに住んでいたころは、ずっぽりとこの感覚にはまっていて、強い焦燥感、そして恐怖にすら感じていたように思います。



そこに落ちるか否かは紙一重なのかもしれません。人生の使命感というものを重視するか否か。



この使命感という感覚をぬぐってあげれば、すごくラクになります。そして今を今として満喫できるようにもなってくるようなのです。


暇を暇として楽しめる力。現代人に欠損している力ではないかと思われます。



定年退職をしたら


60歳、または65歳になれば多くの人はリタイアとなります。「人生が暇になるその時までに多くの趣味を持っておきましょう!」なんてことがしばしば推奨されますが、僕はちょっと違うなぁという感じがしているのです。



前述したように、「暇である状態」と「暇だと感じる状態」とは別ものだからです。



趣味をいくつか持っていても、暇だと感じてしまい焦燥感をぬぐえないこともあります。多くの人が定年後にこのことと対峙することになるはずなのです。


ですので、この記事のタイトルにした「暇を苦痛に感じる理由と対処法」ですが、それは決して趣味を見つけるなどというものではないのです。



人生の使命感のような得体の知れない概念とおさらばしてしまいましょう、ということです。



ここに引っ掛かっていると何年も何十年も自分の時間、自分の人生を楽しめなくなるかもしれません。非常にもったいないことです。


同じ一杯のコーヒーの味も全く別なものになるような気がします。




暇であることに苦痛や焦りを感じたら、何か目新しいこと、刺激のあること、そういう方向に目を向けるのではなくて


人生の使命感のような概念と決別してしまう方向へ向かう努力をすること。何か特別なことを成し遂げなくても良いのだということを真に理解すること。僕はそんな風に思っています。



仏教用語に「諦観」というものがあります。


諦(あきら)めて観るという文字の成り立ちですが、諦めるは「あからしめる」という意味で使われます。物事をあきらかにして観てみる。人生とはこうあるべきだという固定観念から一歩離れて観てみるということのようです。



ですので僕はこの諦観という言葉がとても好きです。




暇を苦痛に感じることがあれば、是非一度、こんなアプローチもしてみてください。きっと何かが変わると思います。


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